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こんなもんなの~?

趣味の写真を添えて、日々の『戯言』を・・・

佛と仙人と凡人 


先日、懐かしくなって訪ねた「乗蓮寺」で、とても愉快な石像に出会った。

『 奪 衣 婆 』

2011-10-08 華1988

仏教では、人が亡くなると七・七日(49日)を迎えるまでを “中陰” という空白期間があると説く。

厳しい初七日の冥府をやっとの思いで通り抜けると、目の前には賽の河原が広がる大きな河に出る。

かの名だたる三途の川と呼ばれる “葬頭河” である。


河を渡りきると “衣領樹” という大きな樹木が立っている。

樹の根元には恐ろしい鬼神 “奪衣婆” が居て、樹の上には “懸衣翁” という鬼神が姿を現す。

驚き縮み上がる亡者から “奪衣婆” が着ている衣を容赦なく剥ぎ取り、“懸衣翁” が衣を

樹の枝に懸け、枝のしなり具合により、亡者の生前の罪の大きさを測るという、

なんとも恐ろしい “奪衣婆” であるが、此の石像の表情を眺めていると、

その何とも言えない情けない顔に、気の毒でもあり可哀そうになってくる。


『 役 の 小 角 』(えんのおずぬ)

2011-10-08 華1989

修験道の祖。 舒明天皇6年(634年)1月1日に生まれる。

母が金色の独鈷杵を呑む夢を見てご懐妊したと言うが、実は彼は父なし児であった。

4・5歳の頃より梵字を書いては遊んでいた。

19歳の時、五色の霊光に導かれ箕面山の滝に至る。その時、

「此の滝穴に入れば、必ず役行者・龍樹菩薩に逢える」と言われ本有灌頂の法を授かる。

その後、千日修行の果てに金剛蔵王権現の力により「三世救済信仰」の基礎を確立する。

宙を自由に飛び交う事が出来た行者は701年の大峰山で「天竺に行く」と云い残し入滅。

棺を開いてみると遺骸は無く、納衣・錫杖・鐡履のみが残っていた。享年68歳。

平安時代に行者の尊号が贈られ、以来「役行者」と呼ばれ、「神変大菩薩」の尊号を賜る。


現在は修験道は独立では認められず、天台宗か真言宗系の修験に取り込まれている。

護摩を焚き、火渡りで名を馳せる修験道だが、行の厳しさは想像をはるかに絶するものだ。

修験者(山伏)の祖であり、今でも尊敬を一身に集めているのが「役の小角」なのだ。


『 が ま ん の 鬼 』

2011-10-08 華1990

何とも可愛い鬼なのか。何ともいじらしい鬼なのでしょう。

我慢という言葉は一般に良い意味で用いられ、辛抱すると云う意味であるが、

仏教用語であり、それほど好ましい意味の言葉では無い。

我慢とは、自己の中心に我があると考えられ、その我を拠り所として心が傲慢に成る事を意味する。

仏教では七慢があり、その四番目が「我慢」である。意味は、

「我あり、我が所有ありと執着して奢り昂ぶる」と説く。

仏教では悪しき意味の筈の「我慢」だが、我が強いという事で負けぬ気の強い意味となり、

次第に頑張りが効くとなり、遂には辛抱するという意味で捉えられるように変化した。


『 鉄 拐 仙 人 』

2011-10-08 華1991

中国の桃源郷に棲む八仙の一人。

中国では医薬の神とされているが、日本では足の神様として親しまれている。

逸話によれば、ある日、魂だけを別の世界・崋山へと遊離させ、

弟子に「七日経っても戻らなければ、身を焼いてくれ」と云い残し出掛けてしまった。

六日目に弟子は、母が病気になり、鉄拐の体を焼いて母の元へ行ってしまった。

七日目に鉄拐が帰って見れば、体は既に焼かれて無くなっていた。

仕方なく付近に転がっていた乞食の体に入る事とした。

石像は、鉄の杖を持ち、ボロボロの服を着て不自由な物乞いの姿をしているように造られている。


2011-10-08 華1992

苦渋に満ちた顔なのか?何か考え事をしている顔なのか?

落語家・立川談志の伝説の講座に「鉄拐」という噺がある。

「えぇ~、鉄拐というのは・・・」と切り出すや否や、

あの頃の台湾は・・・日本は・・・天皇は・・・アフガンなんて・・・

文字に書くのを躊躇うような事を、あの毒舌で捲し立て、脱線のしっぱなし。

今の現状を見て、亡き談志は何を喋るのであろうか?

中国の尖閣問題、韓国の竹島問題、ロシアの北方領土問題、北朝鮮の拉致問題・・・

一度、談志のあの口調で喋ってもらいたいものである。

為政者をはじめ官僚、報道機関などなど、談志の口からはどんな言葉が発せられるのかお楽しみな事だ。


「鉄拐仙人」は、足の神様。

「がまんの鬼」となり我慢をする必要はない。

『苦しい時の神頼み』ではないが、多くの人が一番願う事は長寿だろうか?

お釈迦様は悟りを開き、断食でも過ごせたろう。

仙人は、悟りまでは開いていないが、霞を食ってでも生きて行けると云う。

煩悩塗れの凡人である我々は、断食は不可能。霞では空腹すぎる。せめて煙ぐらいは欲しいものだ。

かって101歳のご婦人から長生きのコツを聞いた事があった。

曰く、「毎晩二合の酒と、二箱のタバコ」だそうだ。

やはり、煙を食べて今日まで生きて来たんだろうね~。

仙人には成れない我々凡人が長生きしたけりゃ、酒とタバコ。

蓬莱仙法の習いは酒とタバコなのか?

松柏の永運を保ち、雪山の良薬「酒とタバコ」とで、鶴亀の長寿が得られるのか?

長寿の秘訣って、「こんなもんなの~?」


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category: 雑感

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盆踊り 

2011-10-08 華1983

近所の団地の公園で、恒例の盆踊りが開かれた。

『盆踊り』は平安時代からそうで、盂蘭盆に訪れる死者の霊魂や、無縁仏の霊を慰め、

山の麓へと魂にお帰り頂く為の踊りだった。


『 踊るアホウに踊らぬアホウ 同じアホウなら踊らにゃ損々 』


2011-10-08 華1985

村々で催される盆踊り大会だが、昔の写真を見てみると全員が踊りの輪の中に入っていて、

眺め楽しんでいる人は一人もいない。

祭りと化した現代の盆踊りとは違い、帰って来た死者を楽しませ供養するのだから、

当然と云えば当然の事だろうが・・・決して踊るアホウでは無かったのである。


『 娘が真似る 父の腰つき 盆踊り 』


2011-10-08 華1986

若い女性が浴衣着で、腕を跳ね上げ裾まくり、腰をくねくねなら何とも艶めかしい事だが、

踊りの輪に入っているのは、何とも可愛らしい子供達ばかり。

此れでは盆踊りの本来の意味は後世には伝わらないだろう。

月が出た出た~月が~ぁ出た~、ヨイヨイ 

お馴染みの「炭坑節」の音頭に誘われ、無心に踊ったものであるが、

最近の盆踊り音頭も変り果て、聞いていても判らなかった。


2011-10-08 華1987

与謝蕪村の句に、『 四五人に 月落ちかかる 踊りかな 』

笛や太鼓に誘われ、我を忘れて気が付けば、天空の月も西の空へと傾き始め・・・

昨日は澄んだ夜空に半月が明るく照っていたが、

一人減り二人減って行った昔とは違い、時間が来れば自動的に踊りの輪も解散する。

蕪村が眺めた盆踊りの情緒も今は昔と化したのだろうか?


『 焼き鳥の匂いに 提灯に誘われて・・・』

2011-10-08 華1984
 

娘や息子は踊りの輪に・・・親はすぐ横の焼き鳥屋へ。

普段でも会社帰りのサラリーマンが足を止める店。

団地内だから子供も迷子にはならないだろうとばかり、足は焼き鳥屋へと向かう。

淋しくて飲み、悲しくて飲み、また嬉しくて飲み、いつの世も酒があればこそ働けるのか? 

「酒は心の憂さの吐きどころ」。

今日は、祭りだ・祭りだ、大目に見てよ~!! と来たもんだ。

踊りを心から楽しむ子供達。お酒を心から楽しむお父さん。

最近の祭り風景って、「こんなもんなの~?」


category: 雑感

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お懐かしゅう御座います 

2011-10-08 華1973

『 乗 蓮 寺・東 京 大 仏 』

四年半前までは此処・東京大仏がある練馬に十四年間住んでいた。

昨日は私用あって清瀬市まで車を走らせた。

外気温37℃であったが、体調も良く元気なので懐かしい『乗蓮寺』に立ち寄った。


2011-10-08 華1974

石段を登ると古くて大きな山門(仁王門)が迎えてくれる。

左に阿形、右に吽形の立像を金網越しに見ることが出来る。


2011-10-08 華1976

「東京大仏」で有名な『乗蓮寺』は、徳川家康公より10万石に朱印地を拝領した由緒ある寺院だ。

八代将軍:吉宗公の鷹狩の際には、休憩所またお膳所として使用された。

正面が本堂で、続く右横の建物は客殿である。


2011-10-08 華1977

「東京大仏」と言われている大仏は“阿弥陀如来” 青銅製座像で高さは13m。

奈良・東大寺の大仏殿の毘盧遮那仏 鎌倉の大仏に次ぐ大きさである。

この暑さにも拘らず、二組の参拝者と出会った。

この大仏建立の目的は、東京大空襲や関東大震災のような悲惨な災難が、

二度と繰り返さないようにとの願いから建立された物である。


2011-10-08 華1978

大仏の左手前には、「弁財天池」があり、六角の金堂が水の中に建てられている。

おそらく全体が金箔押しであった事だろうが、今は屋根に其の面影を見ることが出来る。


2011-10-08 華1979

大仏の右手前には、「天保飢饉供養塔」が建てられている。

天保の大飢饉の折の犠牲者の多くが此の「乗蓮寺」に埋葬され供養をされている。

『 災難は、忘れた頃にやってくる 』

天保の大飢饉を覚えている人はいないだろうが、昨年の東日本大震災、

そして思いもしなかった福島の原発の爆発。

「喉元過ぎれば、熱さを忘れる」では、本当に困る。


2011-10-08 華1981

両脇に植え込みのある石段を少し下れば、「福寿観音堂」を見ることが出来る。


2011-10-08 華1980

中には、長崎の原爆記念で建立された “平和の像” の制作者で、

今となっては物故者である文化勲章受章者の北村西望氏が制作された観音立像がある。


2011-10-08 華1975

戻って門を出れば、左側には「閻魔堂」がある。

閻魔堂には七人の王が祀られている。

人が亡くなると、七日後には三途の川を渡るが、

初七日・・・・秦広王(不動明王)
二・七日・・・初広王(釈迦如来)
三・七日・・・宋帝王(文殊菩薩)
四・七日・・・五官王(普賢菩薩)
五・七日・・・閻魔大王(地蔵菩薩)
六・七日・・・変成王(弥勒菩薩)
七・七日・・・太山王(薬師如来)

以上の七大王であるが、


2011-10-08 華1982


五・七日を担当している王が閻魔大王であり、実は本地は地蔵菩薩で姿を変えていると仏教では言う。

この時、大王が見ているのが、閻魔帳で過去の罪が全て書き込まれている。

この五・七日の時が大変なので、亡者は閻魔大王の前に引き出され、過去に冒した罪を全て告白し、

懺悔したか?どうか?を厳しく問われる。嘘を言っても閻魔帳を見れば嘘は直ぐばれる仕組みなのだが・・・

亡者は早く楽に成りたい一心から、過去の罪を全て告白懺悔しましたと嘘をつく。

また閻魔大王が居る処にある光明王殿の広間には “浄玻璃の鏡” があり、

亡者が「そう云えば、あの時に・・・」と想い起こせば、其のこと全て鏡に映しだされる仕組みになっている。

嘘はつけないものである。

『 嘘をつくと、閻魔さまに舌を抜かれるぞ 』

子どもの頃には、誰でもが親に一度や二度は言われた経験をお持ちでしょう。

閻魔さまに脅されて子供が嘘をつかないようにと・・・親の方便という事なのか。


子どもの嘘は可愛いもので、罪も大きくはナイと思うのだが、

政治家や企業家たちは嘘で身を武装しているきらいがあるように思えてならない。

こういう“お偉いさん”にこそ、閻魔大王の恐ろしさを解からせたいものである。

冥途の大王の恐ろしさって、「こんなもんなの~?」



category: 雑感

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酒は心の・・・ 

『 酒 は 心 の ・・・』

2011-10-08 華1967

『 想い出は 私の心の隅々に光をあてる

 霞んだ水彩画のような想い出 あの頃の私たちの想い出 』

                     『追憶のテーマ』 バーバラ・ストライサンドの詩訳

世に「幸福論」を謳う本は山ほど出版されている。

いつの世も人々は “幸福” を探し求めてきたのだろう。

“幸福” って何だろうと常々考えていた。

金満家であれば幸福なのか? 学歴が高く容姿が良ければ幸福なのか?

或いは被害者意識も無く、日々を感謝の気持ちで送れれば、幸福なのであろうか?

人は生まれてこの方、長い人生を送ってきている。

心の片隅に追いやられている記憶。此の記憶にある原風景に出会った時の気持ちに、私は幸福感を覚える。


2011-10-08 華1969

小さな木造駅舎を暫く歩くと子供の頃を送った家がある。

戦後の道は舗装されていず、土の道は馬車や車が通れば埃まみれになる道だった。

道を挟んで反対側には、粗末な雑貨屋さんがあり、駄菓子などを売っていた。

西日が当たる我が家の入り口は、少々立てつけが悪いのか木戸を開けるにも力を要した。

陽も沈む頃、遊び疲れて帰った我が家の玄関を開けると、

家の中から母親の「お帰りなさい」の声に安堵を感じたものだった。

子供心にも小さな小さな幸せだったに違いない。


2011-10-08 華1971

小学5年生の時、引っ越しをした。

距離にして500m程だったのか。父親の商売に都合が良いようにと少しばかり大きな家になった。

家半分は前側が店舗に成っているが、生活する一階部分は半分が畳敷き。

台所は三和土になっており、竈が設えてあり傍には井戸が掘ってあった。風呂は五右衛門風呂だった。

竹の筒で竈に空気を送り、初めチョロチョロ・中パッパでご飯を炊いたものだった。

風呂はマキで沸かしていた。風呂には敷板を敷き入るが、

隙間からは熱い湯が出て来て尻を浮かせる必要があった。

思い起こせば夏は涼しく、冬暖かだったように思う。

叩き土と消石灰とニガリで出来ている三和土の土間は今は見る事も少なくなった。

先月近くの一軒家で火事があった。全焼だったが土間だけが往時を留めていた。

『焼け跡に 遺る三和土や 手毬つく』 中村草田男(句)

草田男の家も全焼の憂き目にあったのか? 残された三和土で手毬をついた悲しい想い出なのか?


2011-10-08 華1968

『 今はとて 宿離れぬとも 馴れきつる真木の柱は 我を忘るな 』 
源氏物語

私が家を出て行っても、普段馴染んできた真木の柱よ 私を忘れないで・・・という思いか?

「拾遺和歌集」 藤原 実は、こうも詠んでいる。

『 面影を 忘れむと思む心こそ 別れよりも哀しかりけり 』

住み慣れた家を後にし、忘れよう・忘れようと思う気持ちは、実際の別れよりは辛い物だな・・・


2011-10-08 華1970

柱のきずは おととしの 五月五日の背くらべ 童謡「背くらべ」

子どもの頃には、誰もが口ずさんだ童謡であろう。

兄弟姉妹で五月の “子供の日” に背くらべをし、大きくなった子供のその姿に親は目を細めた事だった。

傷つきやせ細った此の柱をジッと眺めていた。

父親は大黒柱・・・脛をかじられた父親である大黒柱も、こんな思いだったのか?


2011-10-08 華1972

旧家を訪ねる度に思う事がある。 “幸せって、何だろう?”

墨絵の如く薄く記憶の彼方へと消え行くような、幼き頃の原風景。

何は無くても、こんなシーンに出会った時の嬉しさほど、幸せを感じる時間は無い。

過ぎ去った記憶を呼び戻し感慨に浸れる事ほどの、幸せって、何処にあるのだろうか?


『 秋立つや 小石をはらふ 竹箒 』 東皐(句)

廊下の突き当たりはご不浄が設えてあり、その前の柱に立て掛けられたハタキと箒。

掃除機からすれば、ハタキを掛ければ埃が舞い上がり。箒で掃いても塵は舞い上がる。

土方歳三はこう詠んでもいる。『うぐいすや はたきの音も ついやめる』 と。

ハタキを掛けていた時に、鶯の美しい声が耳に。思わず手が止まった事でしょう。


何処の家庭でも積り埃はハタキを掛け、積もった塵は箒で掃くのが普通だったが、

塵や埃は家の中だけとは限らない。

時代も進み、現代人の心の中にはストレスが一杯、鬱憤も晴らしようが無く灰汁の如くに・・・

心の埃や塵は、どうすれば祓い去る事が出来るのか?

『 酒 は 憂 い の 玉 箒 』 諺

酒の効用って、「こんなもんなの~?」


 

category: 雑感

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客まで川に流す・・・ 

『 船 宿 』

屋形船や釣り船を生業とする施設で、江戸時代には大川添いには多くの船宿があった。

遊里・吉原に近い船宿には、二階に休憩所を設けた一大社交場でもあった。

吉原通いの遊客や、深川芸者遊びに出掛ける客などにも、持て囃され活況を呈していた。


2011-10-08 華1963

『 吉 野 屋 』

青年時代を浦安で過ごした、文豪・山本周五郎の『青べか物語』に登場する船宿「千本」の

モデルとなった船宿である。

浦安を舞台に当時の庶民の人情や、下町風情が切々と語られている。


2011-10-08 華1962

『 吉 久 』

東京湾で獲れる魚の名前がずらりと並んで書かれている立て看板は、船宿「吉久」の物。

「吉久」には、納涼船・双胴屋形船があり、夏の一夜の一時を楽しむ事が出来る。

全くの初心者でも安心して釣りを楽しめるようにと、

スタッフ一同のモットーは、“暖かい心でおもてなし”という。


2011-10-08 華1961

『 岩 田 屋 』

創業100年になる浦安でも最古参の、長い歴史を誇る船宿である。

若い四代目の船長をはじめ、愛嬌は日本一の若女将。

そして、別嬪さんの女船頭さんが、四季折々の釣りの楽しみを提供してくれる。


2011-10-08 華1964

『 旧・宇田川家住宅 』

明治2年の建築で、江戸時代中期に名主の家からの分家で、屋号を「藤村屋」と名乗り、

呉服・米・油・雑貨を取り扱っていた。浦安市の有形文化財に指定されている。

其の店先の模様が実にリアルに再現されている。丸髷のご婦人が、反物の見立てをしている風景だ。


2011-10-08 華1966


2011-10-08 華1965

『 旧・大塚家住宅 』

江戸時代末期の建築。

漁業と農業を営む比較的に大きな網元でもあるのか?

漁網の修理を家主が・・・網糸を操作しながら祖父のお手伝いをする少女の再現。

この祖父と孫娘は、実在していた両人をモデルとしている。


客まで川に流した・・・古典落語 『 船 徳 』

親元を勘当された若旦那・徳兵衛が船宿に居候し、船頭にして欲しいと頼み込み、ようやく了解を得、

やっとの思いで船頭になったものの、なにしろ若旦那の悲しい事で力不足であった。

一向に客の付かない日々が過ぎるが、夏の暑い盛り、浅草浅草寺の四満六千日参りの縁日に、

船頭が皆、出はからってしまい、念願の船頭役の仕事が舞い込む事となる。

船頭の女房の心配もどこ吹く風とばかりに、客を乗せて大川を渡ろうするが、着岸に失敗ばかり。

客の、「おい、大丈夫か?」の声に、

「へぇ~、大丈夫。この前は客一人を川に落してしまったが、今日はそんな事はない」 と。

舟客は「冗談じゃない」と大騒ぎとなる。

まともに岸に着けない徳兵衛を見た舟客が、

質屋の倅だけに、「客まで川に流した」・・・と、落ちにしている古典落語。


浦安の船宿を訪ねながら、古典落語のこんな話を想い出した。

カメラを肩に、古き良き時代を訪ねる楽しみって、「こんなもんなの~?」


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銭湯と浮世風呂 

『 いもせ山 ながるゝ川もうす氷 とけてぞいとど袖はぬれける 』

江戸・吉原の湯女風呂の遊女が詠んだ歌。

「好きあった男女の間に流れる川に張っていた薄氷が解けて、悲しみの涙でたっぷりと袖を濡らした」


2011-10-08 華1956

浦安本町界隈を散策中、「清瀧神社」の川向こうに『松の湯』という看板を掛けた銭湯に出会った。

私は瀬戸内・山陽道の小さな田舎町で育った。

大変珍しい “潮湯” と言う施設のある銭湯が近くの厚狭町の海岸辺にあった。

海水を利用する “潮湯” は、湯船ではなく熱気が充満するサウナのようなものだ。

小学生の間は洗面器とタオルをぶら下げ、家から3分の所にある銭湯に通ったものだった。


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愛媛県松山市 『道後温泉』 建築様式も立派だが重要文化財に指定されているのではと思う。

夏目漱石の「坊ちゃん」も利用した日本で一二を競う古い温泉。

私も以前は、此の『道後温泉』の直ぐ近くにJPS(日本写真家協会)カメラマンの友人が居たので

一度ではあるが入浴を楽しんだ事がある。


下 駄 を 鳴 ら し て ・・・

大学時代に、こんな歌がヒットしていた。

歩いて15分の所にある銭湯には、真冬の寒さで帰り道ではタオルが凍りついた事など・・・

銭湯を見ると、幼き頃の事や学生時代の頃、松山『道後温泉』を想い出す。


2011-10-08 華1957

10分も歩いただろうか? かなり寂びれた風情の銭湯が目に入る。

午前中だから暖簾が仕舞ってあるのか? それとも営業をしていないのか?と思い上を見上げると、

煙突からは煙が微かに立ち上り、只今準備中を知らせていた。


2011-10-08 華1958

100mも離れていない所に、更にもう一軒銭湯があった。

どう見ても廃業しているようにしか見えない銭湯だ。


『 田舎者でござい、冷物でござい、御免なさいといひ、或はお静かに、

  おゆるりなどといふたぐひ、則ち礼なり 』
 

江戸時代の庶民生活をテーマとした滑稽本「浮世風呂」にはこう書かれている。

入浴のマナーが書かれているのだ。

当時の銭湯は湯気が立ち込め、入浴中の先客が良く見えなく声を掛けたのだろう。

当時の銭湯には “柘榴口” なるものがあり、薄暗かったのである。

この薄暗さが銭湯の楽しみの一つでもあったようだ。

男女混浴の「入込み湯」だったので、こんな川柳も生まれたようだ。

『 湯の中で 洗いざらしの芸尽くし 』

『 湯屋の清本 まだ垢の抜けぬ声 』


風流を感じさせる歌ではあるが、

混浴を良い事にして、中では男女の営みも頻繁に行われていたようだ。


2011-10-08 華1959

斜め前にある銭湯だが、此方も営業をしているのか? していないのか?


「入込み風呂」があった江戸時代には、「湯女風呂」という銭湯もあった。

本来、湯女と言われる女性の仕事は、客の垢を落としたり、髪を整えたり、湯上り客の酒の席でのお相手、

ところが場合によっては枕をも共にした。

銭湯で売春!!これでは吉原の遊女も客を奪われる事になる。

結果、吉原から銭湯に遊女を派遣するほどの盛況を見るようになった。

吉原は高くて頻繁に通う訳にもいかぬ。 銭湯の遊女なら手頃な金額だったのか大変な人気だった。


『 銭 湯 は , 江 戸 の 極 楽 か ? 』

2011-10-08 華1960
                      復元されているのは昭和初期の銭湯か?

寺院の施浴施設に始まり、江戸時代の混浴銭湯、そして現在の健全な銭湯へと変遷するが、

何時の時代も銭湯は、“庶民の楽しみの場” だった事には変わりはない。

銭湯専門絵師が画いた富士山を眺めながら、頭にタオルを載せ、首まで浸かれば出てくる言葉は、

あぁ~、極楽・極楽の言葉・・・


「極楽は西にもある東にも、 北(来た)道さがせ 南(皆身)にも」

以前は極楽であっただろう銭湯も、東に西に行けど見当たらなくなった現在。

徒歩5分圏内に銭湯が4件もあるなんて少なからず驚きを感じた。


江戸時代には銭湯内で春を売る女性が待ち受けていたが、最近の銭湯の変わり振りには驚かされる。

一昔前までは銭湯こそ、庶民の楽しみの場であり社交の場でもあったのだ。

銭湯にしても、人情にしても、世の中の変わり振りって、「こんなもんなの~?」



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お願い、食べないで!! 

2011-10-08 華1949

夏の盛りも過ぎたようだが残暑が厳しい中、千葉県浦安市の懐かしい風景を求めて歩いてみた。

JR「浦安駅」を下車し、少し歩くと『浦安魚市場』の前を通り過ぎる。

両脇の出入り口の間に、とてつもない大きな鯨の看板が目に飛び込んでくる。


2011-10-08 華1948

思わず足を止め、中に入って見ると、

魚屋さんをはじめ、乾物屋さん・野菜屋さんも軒を並べている。

此処「浦安」は昔より江戸前の漁師町として栄えた所なので、魚市場も立派な大きな物であった。


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陽射しを避けながら暫く歩くと、「舟圦緑道」に行きつく。

此処は地元の人々の散策道として親しまれている。

余りの暑さに写真奥のベンチに腰掛け、清涼飲料水を喉に流し込んだ。


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現在緑道になっている此の場所は、昭和40年代まで「舟圦」と呼ばれた人工的に掘削された川が流れていた。

“当代島”と言う地区は、此の川沿いに集落が形成され発展した。

此の川からは農業用水が引かれ、また漁業用の船の出入りの激しく多くの漁船が係留されていた。


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一休みし、緑道を流れる水路を眺めながら歩いていると、こんな看板が目に飛び込んで来た。

『 お願い、私を食べないで!! 』

何と!天然ウナギが泳いでいる。

れっきとした江戸前うなぎ(アナゴではないですぞ)が暑さの為か身動きしないでいるのを二か所で見た。

此処にも心無い人が居るのであろうか?「天然ウナギが放してあります。取らないで!」と・・・


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眼を凝らしながら歩いていると、川底に貝が居るのが見えた。

名前は判らないが、結構な大きさの貝であった。

この他にも何か?いるのでははないかと探してみたが他には見当たらなかった。


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『 そう云えば、ウナギだよな~ 』

土用丑の日も過ぎて暫くたつが、先ほど江戸前天然ウナギを見たことだし。

今年はウナギを頂いていないことだし。夏バテ防止にウナギでも食べたいな~と思いながら歩いていると、

川沿いに「うなぎ蒲焼」の看板が目に入る。

此のウナギ屋さんでは、「私を食べないで」とは言わないであろうと思いながら暖簾を潜った。


生き物は皆、親から生まれるのであるが、

ある物は食物連鎖の犠牲者となり、またある物は生涯を全うする。

「舟圦緑道」のあのウナギは少々窮屈ではあるが、安心して暮らせる。

方や私が頂こうとしている「うなぎ蒲焼」のウナギは気の毒にも・・・

同じこの世に生を享けても行先は違うって、「こんなもんなの~?」



category: 雑感

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只今 留守です 

『 防犯を 金で買う世の 落とし穴 』

近年、経済の高度成長をみたが、心の成長が失われてきた。

一軒家にしてもマンションにしても、玄関の鍵は二重に架ける用心深さ。

都会ではお隣さんが、何処の誰やらすら知らないし、一向に構わないのが現状の様だ。

鍵だけでは物足りないとばかり、防犯テレビまで設える家が増えてきたようだ。

今や、安全は金で買う世の中になってしまった。

セコムに頼んでも、アルソックに頼んでも、一度犯罪が起きれば間に合わないのに・・・


2011-10-08 華1947

「久松 るす」

いいね~、此の言葉!!

表札すら無い玄関に、二枚貝の内側の書かれた “るす” のお知らせ。

戦後暫くは、農村でも漁村でも、玄関は開けっ放しだった。

“るす” の表札が出ていれば、声を掛けなくても留守なのは判る。

泥棒が入る事など無かったし、考えもしない時代だった。

最近は「人を見たら、泥棒と思え」ときたもんだ。

何が原因でこんな世の中になってしまったのか?


『 狙われる 心の隙間 戸の隙間 』

小さな子供が防犯ベルをランドセルに括り付けている。

変な人が後ろから遠くからつけてくれば、思わずストーカーかと。

何とも物騒な世の中になったもんだね~。

心に隙間があって、何が悪いのか?

戸締りを忘れたからと、何が悪いのか?

住居不法侵入や、人の物を黙って取るのが悪いのでないのか?

悪と罪が全く理解できない人間なんて、そう多くいるものではない。

悪い事を知って、罪を犯す。 何処か狂ってはいやしないのか?

世の中、一体全体どうなっているんだ?

『久松 るす』・・・他人が信用でき、こんな看板で留守が出来る世の中が懐かしい。

貴方は、お出かけの時、こんな留守表示だけで玄関を開けっ放しで出かけられますか?

何ともほのぼのとした表札に出会った一日でした。

他人が信用出来るって、「こんなもんなの~?」

このブログは、明日PM9:00にUPの予定でしたが間違えて今日になりました・・・


category: 雑感

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盆休み 

『 盆休みにつき 不在中です 』

日本中、帰省ラッシュが始まった。どこの高速道路も大渋滞。

都会から生まれ故郷へと草木もなびくのがこの時期。


2011-10-08 華1946

昨日、ある漁師の家で見かけた盆棚だ。

笹をくくり、鬼燈を飾り、茄子と胡瓜の牛と馬。

是ほど綺麗に飾り付けられると、さぞかしご先祖も急いで帰りたくなる事だろう。


『 盆中は 笑顔で通す 家長の嫁 』

帰省組家族は、「やっぱり田舎はいいな~」 と、

迎える実家は、特に長男の嫁はそうはいかない。息つく暇もないほどの忙しさ。

気が効かない弟やその嫁、そして子供まで・・・

旅館やホテルではあるまいし、一体何様の積りなのか、それでもジッと我慢の長男の嫁。


お盆には、お墓の掃除にお仏壇の飾り付け。そして食事の支度に後片付け、

長男の嫁は目の回るほどの忙しさにてんてこ舞い!!

「ネエさん、少しは座って休んだら」と、心にもない言葉を掛ける帰省組の嫁たち。

三食昼寝つきで気楽なものだが、親の遺産に関しては結構シビアな事を言う嫁たち。

長男の嫁は、「だから長男の嫁には成りたくなかったのよ~もう!!」と。

小言を聞く俺の身になってもみろよ~と、長男は逃げ腰に・・・


毎年是だから、今年は一家で旅行にでもと長男が提案、男って優しいんだよね、特に嫁に関して。

家族全員で盆休み・・・そこで

『 盆休みにつき 不在中です 』 と相成る次第だ。

親類縁者も帰省する所が無くなり困るだろうが、何と云っても、ご先祖さまが、

「久しぶりに帰ってみれば、留守とは何処へ行けば良いのやら」 と溢す事しきり。

嫁や小姑はお気を付け遊ばせ!!

長男の嫁って、「こんなもんなの~?」


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千尋の谷から・・・ 

『 親思う 心にまさる親心 今日の訪れ何と聞くらん 』  吉田松陰

どんなに親の有難さを感じても、其れは子供が精一杯出来る事なのだが、

親心というものは、そんなに薄っぺらなものでは無いと、松陰は後悔しているのでしょうか?


2011-10-08 華1944

『 獅子は 我が子を千尋の谷に落す 』 中国故事

此処、『清瀧神社』の狛犬は、子どもを大切に抱いている母仔像

反対側の狛犬は、落ちた子どもを優しく見下ろす母親だ。


2011-10-08 華1945

獅子は中国五台県の清涼山に棲むと云う。

此の山は、『華厳経』に出てくる、文殊菩薩の棲む霊地でもある。


『 可愛い子には旅をさせろ 』

こんな諺も聞くことが無くなって久しくなる。

親としては子供が可愛ければ可愛い程、他人の飯を食わして一人前の大人に成って欲しいと願ったものだ。

中国の故事にしても、日本の諺にしても、子どもに対する親の愛情には変わりはないのだ。

ところがである、最近の親を見ていると、千尋の谷に突き落とすどころか、

危険な事は一切させないようになってきた。

『 転ばぬ先の杖 』 を、地で行くようなものである。

子どもが可愛く大切なのだと云うよりは、只々偏愛としか言いようのない現状だ。

獅子は子供を千尋の谷へ・・・

では実際には、ライオンはどうなのか? 果たして我が子を谷底へ落すのだろうか?


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此処にこの様なカット写真がある。

落ちた子供が這い上がるのを優しく見守るのではなく、

いそいそと引き上げに行き、口にくわえて元の場所に・・・

これでは、『 獅子は 我が子を助けに千尋の谷底へ 』 という事と相成った。

いやぁ~、人も獅子も子供に対する親ばか加減が同じと言う事なのか。

所詮、親の愛情って、「こんなもんなの~?」


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風たちぬ 

『 秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風のおとにぞおどろかれぬる 』
                   古今和歌集・藤原敏行

暑い夏の夜の過ごし方に、昔は夕涼みがあった。

立秋の日に詠まれた此の和歌に、忘れていた涼を求める繊細な感性にハッと驚かされた。


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『 秋うちわ 団扇置く 捨て団扇 忘れ団扇 』

古民家の板戸に懸けられた江戸団扇。

夏の暑さにも馴れ、涼風が感じられ始めると、お世話になった団扇とも暫しのお別れが・・・

エアコンの無い子どもの頃に、寝苦しい夜を少しでも涼しくと、

『 寝ていても 団扇の動く 親心 』 一茶(句)

よ~く、ぐっすりと眠るのですよと、煽ぐ母親のあの時の優しさは、誰にも想い出がある事でしょう。


2011-10-08 華1942

『 涼風の 曲がりくねって 来りけり 』 一茶(句)

何処からともなく吹いてくる風に チリ~ン・チリーンと鳴る風鈴。

奏でる音に秋の訪れをも感じ取ることができる昨今だ。


2011-10-08 華1943

『 立秋や 軒に一つ 江戸手ぬぐい 』

落語家がこよなく愛する日本手ぬぐい。

煙草入れになり、お財布にも成る “日本手ぬぐい” 落語家には必要な小物だが

多くの落語家が、自分専用の日本手ぬぐいを作っている。

手水用の手ぬぐいだが、爽やかな風に吹かれ過ぎ行く夏の終わりを感じさせるのか。


「団扇」「風鈴」「日本手ぬぐい」 夏を上手に乗り切るための三種の神器なのか?

和歌に誘われ古き良き時代を求め、秋風を感じに11,335歩の散歩に出かけた。

『目にはさやかに見えねども・・・』

こんなところにも小さな秋を見つける日本人の感性って、「こんなもんなの~?」





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涼しさを・・・ 


『 涼 風 献 上 』


2011-10-08 華1940

残暑厳しき折柄、お体にはくれぐれもご自愛の上、ご健勝であられて下さい。

私は少々疲れ気味なので、ブログは毎日更新出来そうもありませんが、

此れに懲りずに、また遊びに立ち寄って下さい・・・

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謎解き? 

『 歴 史 の 謎 解 き 』

2011-10-08 華1934

国立歴史民俗博物館で、卑弥呼?に出会った。

弥生時代の埴輪と原人の間に、此れは卑弥呼か?

佐賀県で発見された吉野ヶ里遺跡は、卑弥呼の王国だったのか?

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                       吉野ヶ里遺跡

『魏志倭人伝』に、「倭国乱れ、相攻伐すること歴年、すなわち共に一女子を立てて王となす。

          名付けて卑弥呼という』

吉野ヶ里遺跡の宮室は、楼閣や城柵で厳しく守られていたようだ。


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巫女が祖霊からお告げを授かっている場面。

鏡や玉や剣などは、祖霊魂との交信に使っていた道具。

右端の白衣を纏った女性は、卑弥呼から神のお告げを聞き、外部に知らせる役目の女か。

卑弥呼は弥生時代の耶馬台国の女王で、鬼道(道教か?)を使い大衆を惑わしていたと言う。

王座に就いてからは、人前に姿を見せる事はなく、唯一の弟だけが全ての取り次ぎをしていたと云う。


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                 博物館内にある、箸墓古墳の模型

箸墓古墳は奈良市桜井市にある巨大古墳で、卑弥呼の墓ではないか?と言う説が有力。

佐賀県吉野ヶ里と奈良県桜井市とは余りにも距離を隔てている。

吉野ヶ里で活躍した卑弥呼の墓が、奈良県桜井市にある墓に眠ると云うのも、どうしたものなのか?

266年頃、倭国内では巨大前方後円墳の築造が始まる。

耶馬台王権が、より広域を統括する、乃至はより多くの地方王権を掌握した“ヤマト王権”に成長した

証拠ではないかと考えられているのだ。


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青森県・三内丸山遺跡の模型。

吉野ヶ里遺跡とは少々時代のずれがあるが、似たような建造物が沢山発見されている。


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高床式の穀物倉庫。この時期になると、貯蔵技術も進んでいるよだ。


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倉庫内に蓄えられた穀物の入った素焼きの壺。


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福岡県志賀島で発見された金印(国宝)。

印面に彫られた文字は、『漢委奴国王』

此の金印にしても、他にも金印は発見されているし、吉野ヶ里にしても卑弥呼の墳墓にしても、

真贋諸説紛々としているようだ。

歴史の謎解きの面白さって、「こんなもんなの~?」

歴史民俗博物館を観ていると、こんな謎解きに興味をそそられる一日だった。


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カミヤ・シャトーって? 

2011-10-08 華1903

今は昔?とまではいかないが、今となっては本当に懐かしい 『電気ブラン』

電気が珍しかった明治時代に誕生した、ブランディー・ベースのカクテルだ。

口の中が痺れる状態と電気で痺れるイメージが一致していたため、ハイカラな飲み物として一世を風靡した。

浅草「神谷バー」で注文すると、良く冷えた「電気ブラン」のストレートに、

口直しの氷水の入ったグラスと一緒に提供された。

モボ・モガが、気取って飲んだアルコール飲料だ。


2011-10-08 華1926

『 カミヤ・シャトー 』 

「電気ブラン」の発明者・神谷傳兵衛記念館を訪ねてみた。

神谷傳兵衛が、明治31年に国産ワイン作りに挑戦した場。

明治34年には、「神谷葡萄園」で栽培した葡萄で造る、赤ワイン・白ワインの第一号が誕生した処。

2008年に、旧醸造場施設3棟が、国の重要文化財に指定された建物だ。


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『 ワインのない食卓・・・それは太陽が輝かない一日 』 ヨーロッパの諺

先ず目に飛び込んでくる此の看板、憎いキャッチ・コピーだね~。

料理を美味しく、更に健康にも良い飲み物・・・それがワインという事らしい。


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本館入口の直ぐ左側に、“最後の晩餐” のモニュメントが。

ワインを飲みながらの晩餐の食卓だが、裏切者が出て此れが最後の晩餐となったと云う。

先の看板には、こんな事が書かれてる。

「ワインと料理とは車の両輪のように切り離せません

 ワイン独特の快い風味が、美味しさに馴れた舌を洗い、新鮮な味覚を蘇らせてくれる」と、

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「シャトー・カミヤ」園内は、神谷傳兵衛記念館をはじめ、

レストラン“キャノン” スーベニア・ショップ ラ・テラス・ドゥ・オエノン(レストラン)

其の他、バーベキュー・ガーデンなどから構成されている。

フレンチ料理を頂きながら楽しい一時をお過ごしください・

「料理を美味しく楽しみながらの健康づくり。

 まさに天然の葡萄で造られているワインの嬉しい効用です」と・・・


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傷んだ建物の大改修の真っ最中で、記念館は只今閉鎖中でした。

綺麗に刈り込まれた植栽の小道を進むと、スーベニア・ショップ売店がある。


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売店の少し手前に、おや!と思う物が。

何と、洋風庭園の中に、観音さまの石像が祀ってある。少々違和感を覚える。


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『 スーベニア・ショップ 』 

「神谷葡萄園」は日本で最古のワイン製造所。

売店の中には、各種のワインや「電気ブラン」が並べられている。

しばし涼を取る為に、店先のベンチに腰を掛け一休み。


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メインの建物が修復中で休館となっている。其の為か観光客もまばらだった。

下戸な私だが、酒瓶はどれを見ても綺羅で見飽きない。

せめて訪ねてきた記念にと、ワインの小瓶三本セットを購入。

飲めないので、仕方なく料理酒として使うとするか・・・


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修復中の本館。

国の重要文化財に指定されているので、改修が終わるのは5年先ぐらいでしょうか?とは工事人の言。

一般の建造物ならもっと早く完成するだろうに、

お上が係ると修復にかかる時間も、「こんなもんなの~?」





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暑気払いに・・・ 

『 気まずさを お菓子でつなぐ 仲直り 』 向井和子(川柳)

夫婦喧嘩にしても、子供の喧嘩にしても、お菓子が取り持つ仲直りという事でしょう。


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頑張れ!!NIPPON

ロンドン2012オリンピック真っ盛り。

金メダルを期待してか? こんなお菓子を頂いた。

『なまどーなつ』という銘菓で、「ダブルマンゴー」「カフェオレ」「メープル」

                     「宇治金時」「ももヨーグルト」

日本の獲得メダルは、 金  2個
           銀  6個
           銅 11個

予想に反して振るわぬ日本チームの成績だ。


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『 暑気払い おかずに 激辛明太子 』

右の緑色した箱は、山口の友人からのお中元?というところか。

「かば田」食品の『雷』という辛子明太子だ。

博多は辛子明太子の発祥の地であり、有名な店も多いが、

この「かば田」の『雷』を食べると、他のメーカーの明太子は食べられない。

其れを知ってか、友人が送ってくれた。


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左の箱は、創業明治15年、『藏六餅本舗』(株)「木村屋」の銘菓だ。

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『 おらが世や そこらの草も 餅になる 』 小林一茶

全国いたる所に銘菓と言われるお菓子はあるものだが、

昔は近くの叢から摘んで来た “よもぎ” で作ってもらった「草餅」が本当に美味しかった。


『藏六餅』とは、佐倉市の藩主・堀田家には、三百年の昔から上面に亀の甲を曝した様な五彩混じった

地肌の一奇石が、藏六石と称され伝えられている。

『藏六餅』は、この家宝に因み独自の餡を用いた最中だ。

変わった食べ方として、熱湯を注げば美味しい「おしるこ」としても頂ける。


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京都西陣の、京菓子「鶴屋吉信」の『香とり石』という変わった銘菓。

『 玉あらば 玉あらひたき 清水かな 』 江涯(句)

滝清水に打たれて きらきらと輝く渓流の小石 涼しさに心も洗われる光景だ。

小石を果物の香りの宝石と見立てて、京菓子の琥珀にグレープ・パイン、オレンジの

香りをこめた『香とり石』。清涼の雅趣が味わえる逸品だ。

すこし変わった、気の利いたお品を、此の方は何時もくださる。


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『メロン・ジュエリー』と言うゼリー菓子。 和裁の先生からの頂き物。


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「芳醇な香りがするメロンをさらに瑞々しいゼリーに仕立てました」とある。


『じいちゃんは 駄菓子積み上げ 孫を待つ』 山藤聖子(川柳)

現代の孫は、常に美味しいお菓子を食べているのか? 駄菓子には目も向けない子供が増えたという。

懐かしく細やかな駄菓子を集めて、やがて遊びに来る孫を楽しみにしている光景でしょう。


オリンピックも中盤に差し掛かるが、果たして日本はメダルの獲得の行方は如何なものか?

あるテレビ局の報道では、メダルの獲得成績は、日本は第12位とか・・・

理由の一つが面白い、経済状況が加味されているという事らしい。経済状況がね~?

国技に近い柔道は全くダメ! 水泳は素晴らしい! 体操も予想外! 陸上は期待薄!

あ~ぁ、日本のオリンピックなんて、「こんなもんなの~?」



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古井戸の怪 

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『佐倉城跡公園』は、天守閣をはじめ城らしき跡は形を見せないが、多くの珍しい見所がある。


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今回、見ていない所も「銅櫓跡」「礎石群」「正岡子規の石碑」「訓練用の階段」「モッコクの木」など等、

そして何よりなのは広々とした芝生の広場「草ぶえの公園」。春には満開のサクラが観光客の目を楽しませる。


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『 馬 出 し 空 濠 』

城門前に築いて、人馬の出入りを敵に知られないようにした土手を言う。

一旦は埋め立てられたものを昭和46年の発掘調査によって、長さや深さが確認され復元したもの。


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『 兵 営 の 便 所 』

兵士が使用した便所の跡だが、建屋は無く土台のみが残っている。20名分ぐらい有るだろうか。


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『 佐 倉 陸 軍 病 院 跡 』

明治7年に創られた病院で、四度に亘って名前が変わったが、最後には此の名の病院となった。

昭和40年まで、テラスを配した洋風病院が残っていたと言う。

黒御影石の記念碑には、

「明治・大正・昭和・平成の四世に亘る 佐倉醫のこころ 茲に遺す  “仁に心を腎に”」 と。


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「堀田正睦公」銅像。此の横には、「タウンゼント・ハリス」の銅像も建っている。

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『 姥 が 池 』

水面一面に睡蓮の葉が広がっていた。もう少し早い時期に来ていれば、さぞかし綺麗な池だったろうが。

池の周りは散策コースとなっており、のんびりと歩く事ができる。

子の池の名前には、悲しい謂れが云い継がれている。

「昔、この池の周りで家老の愛娘をお守りしていた姥が、 誤って愛姫を池に落し、沈めてしまった。

 困り果てた姥は、自分も身を投げたと云う事から、此の名が付いたそうだ」


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『 お 手 洗 い 』

取り立てて紹介する程の物でもないが、数寄屋風の此の「お手洗い」思わず入りたくなる。

遠目には一見して茶店かな?と思う程の立派な物である。夏の日を浴びて猫が留守番をしていた。


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『 三 遥 亭 』 

お休み処の茶室。 お抹茶一服¥400.

歩き疲れた体を休めに、一服のお抹茶と茶菓子を頂くのも一興だろう。


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『 古 井 戸 の 怪 』

陸軍歩兵第一師団が此処・佐倉城跡にあった。

勇猛な兵士2500人の連隊があったが、レイテ島に派遣され、生存者91名となり壊滅した。

今は国立歴史博物館となっているが、此処にあった本部の前が茂みになっていて門があった。

門の横には歩哨ポストがあり、門限ギリギリの帰営の兵士には、歩哨が鬼に見えた事でしょう。

「佐倉連隊七不思議」の一つに歩哨の哀話があった。

厳しい門衛勤務の時間にも魔の時間がある。

ある兵士が明け方近く、安心したせいかつい微睡んでしまった。

運悪く上官に見つかり、上官は銃口内を掃除するサク杖を抜き取り、傍の古井戸に投げ込んでしまった。

上官は「すぐ取って来い」と怒鳴る。兵士は上官の顔をじっと見つめていたが、古井戸に飛び込んでしまった。

以来、同じ時刻に古井戸の近くを当番兵・士官が通ると、「サク杖よこせ、サク杖よこせ」と声がし、

気絶する者がいたほどだ。

も一つ歩哨に纏わる七不思議は、門衛と遊女の話で、

時刻を間違えた遊女が、深夜門衛に会いに来たが約束の時間には既に交代していた。

其れを知らない遊女が名を呼び、歩哨に三度誰何され、黙っていたので撃たれ井戸に投げ込まれた。

やはり、その時間になると美しい遊女の亡霊が現れたと云う。

お城にしろ、軍隊にしろ、病院にしろ、多くの死者が出た事だろう。

当然、亡霊が出ても不思議な事では無いのだろう。

「七不思議」の話はいたる所で聴く事が出来るが、

非業の死を遂げた亡霊の話って、何処でも「こんなもんなの~?」





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芋銭とカッパ 


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国道6号線を1時間半ほど北上すると茨城県牛久市に入る。

此処に、カッパ伝説が残っていると云うので訪ねてみた。


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「牛久沼」の東岸にカッパ伝説の地はあった。国道から細い道を4㎞ほど入った所に。

駐車場(3・4台分の広さだが)の横にはこんな綺麗な看板が建っていた。


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河童は一説によると1600年前、中国から九州八代地方に伝来し、その後全国に伝搬したという。

有名な所としては、柳田国男氏が紹介した“遠野のカッパ伝説”

牛久沼の河童伝説は、小川芋銭によって広く知られる事となった。


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『河童伝説記念碑』

石碑には、何とももの悲しげに膝を立てしゃがんでいるカッパが彫られ、

その横に、「 誰識 古人画龍心 」 と、芋銭の言葉が彫られている。

「昔は、龍を描いて宇宙の尊厳を表したように、

 私は、河童を描いて、その不思議さ・大自然の大切さを、

 世に訴えようとしてるが、誰かこれを理解してくれる人がいるだろうか?」

河童の絵といえば、先ず思い出すのが、日本画家・小川芋銭だろう。

彼をして言わしめた含蓄ある言葉ではないか。


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左端の立札の横に一本の石柱が建ってある。

『 改 善 一 歩 』 と刻まれている。

この道標は、旧牛久村の主要な道筋に建てられたものの一つで、

小川芋銭が、永久に耐えられる石柱にしなさいと寄付した物だ。

石柱に芋銭の名を刻もうとしたが、芋銭が「改善一歩」と刻みなさいと言った。

「自分の歩む道を、善い方へ改めて進め」という意味を込めて・・・


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雑木と竹林に挟まれた小道を少し歩くと、『かっぱ松』に出る。


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昔々、良庵というい修行僧が道に落ちていた妙な物を拾い、家に持ち帰った。

その晩、牛久沼の河童が訪ねて来て、「それは私の手です。返してくれたらお礼に、

代々伝わる秘薬の作り方を教えます」と、

良庵は半信半疑ながら拾った手を河童に返してやった。

数日後、老人が現れて、「おかげで手は元通りに治りました。此れが秘薬の作り方です」

と一本の巻物を手渡してくれた。

巻物通りに作った黒くドロドロした薬を、切り傷に塗ってみると忽ちに治った。

此れを「河童の秘薬」として、多くの村人が助かったそうだ。


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「かっぱ松」の左側に、小川芋銭旧宅が佇んでいる。

今は記念館となっているが、芋銭は此の画室兼居宅を『雲魚亭』と名付けていた。

此の宅は、芋銭の夫人と長男により新築され、「河童百図」なども此の宅で準備された。


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小川芋銭画伯の “河童の掛け軸” は、昔よく観たものだ。

飾り気なく淡色で、さらりとした描かれた河童の画は、見ていて心が和むものだった。

そんな記憶の中の芋銭と、久し振りに再会出来たような気持ちで懐かしかった。

物故者とはいえ、好きな画家との再会の喜びって、「こんなもんなの~?」


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