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こんなもんなの~?

趣味の写真を添えて、日々の『戯言』を・・・

牛頭は羅刹 

『 千 葉 城 』

2011-10-08 華2306

『猪鼻城』 とも言われ、大治元年(1126年) 千葉常重は此の地に本拠を移し構えた。

以後13代330年もの永き間存続した城である。

常重の子・常胤の代には石橋山の合戦で敗北した源 頼朝をよく助け、千葉氏は全盛期を迎えた。

室町中期に、足利氏と上杉氏との抗争が激化、巻き込まれた千葉氏は次第に分裂の憂き目を見る。

康生(1455年)の時期に、一族の謀反襲撃に遭い、遂には城は炎上滅亡へと相成った。


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千葉城が聳える「亥鼻公園」の一角に、どうも不思議な記念碑が建っている。

『原爆慰霊ノ塔』である。 塔の上には小さな丸い球が鎮座しているだけの簡素なものだ。


『 七 天 王 塚 』

千葉城跡の麓にある千葉大学医学部構内には、千葉市指定史跡・文化財である「七天王塚」がある。

2011-10-08 華2301

北斗七星を模るように配置された七つの塚は、「七天王塚」とも「七つ塚」とも呼ばれ、

疫病・災害を除く神として崇められている。

千葉大医学部だけあって、牛頭王(医薬の神)を祭っているのか? 偶々なのだが・・・

冷気を帯びた鬱蒼とした木立は、古墳だったとも言われている様だ。

2011-10-08 華2300

千葉城がある猪鼻山は、川と断崖に面した天険の要塞の地でもあり、

千葉氏が一族の繁栄を願い、「七天王塚」には牛頭王が祀られている。

又一説には、七天王塚は七人の兄弟を葬った墓であるとか、

平 将門の七騎武者の墓であったとも言われているが、果たして真相は藪の中と言うべきなのか?


2011-10-08 華2303

医薬の神とか疫病を防ぐ神とか言われる「牛頭王」だが、こんな面白い仏教説話がある。

『 冥 途 へ の 旅 立 ち 』

四十九日・一周忌・三回忌、などの事を書いた『十王経』というお経がある。

臨終を迎える人がいると、閻魔大王が獄卒を使わすとある。

奪魂鬼・奪精鬼・縛魄鬼という聞くも恐ろしい名前の鬼たち。

人の魂を抜き取り、命の精気を奪い取り、魂を縛り上げ引き立てると言う羅刹たちである。

葬式の出そうな家の門のあたりの庭には、羅刹たちが潜んでおり、何処からともなく庭の鳥が・・・

一羽は「カンロウ」と言う名の鳥で、‟ベットトンギジュ” と鳴き、

もう一羽は「カラス」で、‟アワサッカ” と、気味の悪い鳴き声を立てるという。

庭の茂みには二匹の鬼が、炎に包まれた火車(荷車)を引いて、

亡者となって彷徨い出てくるのを、今か今かと待ち構えている。

この二匹の鬼も閻魔大王の使者で、一方の鬼の頭は‟牛の頭”を持った姿から、「牛頭」と呼ばれ、

もう一方の鬼は、馬の頭を持っている事から、「馬頭」と呼ばれる。

逝く人は断末魔の苦しみに耐えているのに、外の庭では牛頭と馬頭の羅刹が、

今か?今か?、早く死ね・早く死ね、と待ち構えている。

死での旅が始まると、牛頭・馬頭の火車に載せられて、冥途への第一歩を歩む事となる。

「七天王塚」に崇め祀られている‟牛頭”、死を催促する ‟牛頭” も、同じ‟牛頭” とは思えないが、

『所変われば、品代わる』とも言われる如くに、‟牛頭” もその意味が変わるのだろうか?

人間が勝手に作る神や王や仏の役目って、「こんなもんなの~?」



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category: 雑感

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勧進相撲発祥の地は 

『 勧進相撲発祥の地 』

‟振袖火事” ‟吉原遊女の亡骸の投げ捨て” 等で御馴染みの両国「回向院」。

明治五年(1768年)九月に、此処「回向院」で初めての相撲興行が行われた事は知る人が少ない。

天保四年十月からは、境内の掛け小屋で相撲の定場所として年二回の興行が開かれるようになり、

観覧客で賑わう人々の姿が版画にも残されている。


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回向院 『 力 塚 』

「力塚」は、昭和十一年に歴代相撲年寄の慰霊の為に建立されたものである。

相撲興行自体は、新国技館に移っているが、

「力塚」を中心とした此の一画は、相撲の歴史が刻まれ、

現在もなお、相撲の街として続く両国の姿を象徴している。


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両国駅を降り、国技館までの僅かな距離に歴代横綱の銅像が数体立っている。

今年の九州場所では、新横綱・日馬富士に注目が集まり、白鳳の闘志も興味を引いた。

千秋楽を待たずに、14勝1負で東の横綱・白鳳が賜杯を手にした。

横綱・朝青龍、横綱・日馬富士は、モンゴルからの出稼ぎ力士。

横綱・白鳳は、引退後も此の地・日本に留まり、相撲界に寄与する功績が大いに期待できる。

ただ残念なのは、日本人力士の不甲斐なさである。


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『 国 技 館 』

2011-10-08 華2299

明治時代に入っても、相撲興行は回向院境内で続いていたが、

欧風主義の影響で一時的に相撲人気は衰えをみせた。

しかし、明治十七年に行われた天覧相撲を契機に人気も復活し、

その後、多くの名横綱・名力士の誕生をみるようになる。


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国技館壁面に描かれた、相撲の図。

「満員御礼」の垂れ幕も掛るほどの人気振りが伺える。

四本柱は、天井からの吊り柱ではなく、地に足がついている。

明治四十二年に、回向院境内・北側に国技館が竣工し、天候に関係なく相撲が開催出来るようになり、

相撲の大衆化と隆盛を観るようになった。

最近は八百長など問題も多く、人気が下降線を描き 「満員御礼」 の幕を見るのも珍しい事となった。


2011-10-08 華2298

『 天 覧 相 撲 』 を記念して、宮内庁長官の記念の碑。

「天皇が一般国民と一つになって、我が国の国技である相撲をご覧になられた。

 和やかな情景は、戦前には見られなかった。云々・・・」 と、書かれている。


『 出稼ぎに 押し出され気味の 大相撲 』

ゴルフ界では優勝も賞金王も男女とも韓国が強い。

相撲にしても、スポーツの世界では ‟出稼ぎ” にやられっぱなし。ハングリー精神の問題なのかね~?

日本人の闘魂って、「こんなもんなの~?」


category: 雑感

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哀しいね~ 

2011-10-08 華2286

『 公園の 日陰に咲くや 苔の花 』

いつも散歩する近くの公園の外周は、谷津干潟への導水路が流れている。

潮の満ち干きの時には、エイやボラやスズキ、そしてクラゲの大群が流れる姿が見受けられる。

その水路の堤防の日陰に、苔の花がひっそりと美しい緑の姿を見せている。


2011-10-08 華2287

9月に我が家にやって来た盆栽(一応、盆栽です)も、手入れの方法を全く知らないのが原因のなのか?

何となく生彩がなく感じられだした。

少し前から思っていたのだが、苔を幹の回りに置いてやれば・・・と。

犬の散歩ついでに苔を取りに行った。


2011-10-08 華2290

「真柏」の幹回りには油粕が3個置いてある。

室内での鑑賞を楽しもうと思っていたが、其のうちに室内でコバエが飛び交うようになった。

聞いてみれば、油粕にコバエが卵を産み付けるという。

盆栽は室外の自然環境で育てるのが基本という。

育てるのが趣味ではなく、観るのが趣味なのだが・・・困ったものですね~。

どんな種類の苔を、どんな様に置けば(植えれば?)良いのか?全く分からない。

兎に角、置くだけ置いてみようという事となるが、其のうちに枯れてしまうのか?


2011-10-08 華2291

我が家に来た時には、葉と実が目を楽しませたが、今は実だけが残り儚さをも漂わせている。

薄紅色の実に緑の苔のコントラストは美しく思える。

優美な紫色の実は、『源氏物語』の作者・紫式部になぞらえた。

小さな球体で美しい其の色は古色豊で、気品と優雅ささえ感じられ、貴婦人を連想させる。


「盆栽」は、芸術性豊かな趣味と言うが、素人と云うのか?無知と云うのか? 

手入れの方法・育て方を全く知らない悲しさからか、「真柏」も「紫式部」も少しづつ貧弱に見えだした。

盆栽の美は、自然空間と時間経過の美を兼ね備え、優雅・風雅・侘び寂び・幽玄などと表現されるが、

素人の悲しさなのか?来春の植え替え・枝打ち迄はこのまま陽の光と水だけでも遣るとしましょうか。

肥料も必要ないと云う。せめて苔の服でも纏わせて飾って遣るとしますか・・・

素人が盆栽を楽しむって、「こんなもんなの~?」



category: 雑感

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三味で一杯 

『 晩秋に 三味の音ひびく 四畳半 』

粋だね~、風流だね~、三味の音に耳を傾け チビチビと・・・

2011-10-08 華2249

この度、我が家に三味線が一棹やってきた。

一の糸・二の糸・三の糸は絹糸。

カイコが創る糸を10本より合わせ、其れをまた10~30本束ねたものが三味線の糸に成るらしい。

糸の振動を胴へ伝える ‟駒” は象牙。 左・練習用 右・舞台演奏用

2011-10-08 華2258

長唄用三味線である。

「菊岡三絃店」の伊藤氏(元・東京都伝統工芸士)制作による逸品との事だ。

三味線を習い始めるなら長唄をと言われている。

三味線も長唄も、それぞれ聴かせどころがあり、聴くにも楽しいからだ。

歌舞伎音楽として発達してきた長唄には、長唄用三味線(細棹)を使う。

三本の糸を結びつける根緒は、複雑に見えるが解くと一本の紐になる。


2011-10-08 華2254

棹材は最高級な紅木を使用し、丁寧な ‟金細” 細工が施されている。

棹は持ち運びに便利なように三本から成り、使用時に組み立てる。

江戸の唄である長唄を知るには、歌舞伎を観るに限る。その時使用する三味線が ”長唄用三味線” なのだ。

勧進帳・娘道成寺・藤娘・鏡獅子・・・等など、有名な歌舞伎があり、三味が舞を助ける。


2011-10-08 華2263

皮の上、半月状の皮が重ね貼りしてある。バチ皮といいバチが下の皮を傷つけないように貼られた物。

皮は、糸と共鳴し音を広げる役目をする。高級なものは猫皮だが、

此の三味線は初心が使うので犬皮を使っている。

『 面白きこともなき世に 面白く 』

長州藩士・高杉晋作の趣味が三味線だった事はあまり知られていない。

藩内でクーデターを起こし、騎兵隊を創設し、幕末の長州藩を討幕へと導き、

明治維新の夜明けを迎えた其の功績は大きい。

風流人で、三味線をこよなく愛し、俳句を好み、酒と女を愛した晋作でも、

此の世は何と面白くないのだろ、どうすれば面白く生きられるのか?と、呟いた。

其の答えが、酒と女と三味線だったのか?


2011-10-08 華2259

此の三味線は皮こそ犬皮だが、紅木を使用し、それも木目が良く、

最近ではこんな棹の三味線は手に入らないらしい。

見事な天神の木目。

糸の音色をシャープにする為の上駒は金を使用。さわりを出す為に一の糸には敷かれていない。

伝統工芸士が作った、こんな高級な長唄用三味線が、どうして我が家に来たのか?

娘が長唄と三味線を始めたからだ。

そう云えば、私も随分永いこと三味線を弾いて来たもんだ。

えっ、どんな三味線かって?

其れはね~、「口三味線」っていうとても便利な三味線をね~・・・

私が出来る楽器って、「こんなもんなの~」




category: 雑感

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往く秋に想う・・・ 

2011-10-08 華2285

『 草枕 旅行く人も行き触れば 匂いぬべくも 咲ける紅葉かも 』

風に舞い、雨や霜にも濡れる紅葉の葉、

鮮やかさを増し風情があるが、想うは輪廻転生の理か・・・


2011-10-08 華2282

『 限りとて 別るる道の悲しきに いかまほしきは命なりけり 』 
                                  源氏物語「桐壷」

当に今、命は風前の灯となるが、別れなければならない運命の道とは云えど、何と哀しい事なのか。

有為無常の奮里を辞し 湛然として無為楽邦の涅槃に遷る。

蓋し、悲しい哉 生者必滅の掟、痛ましい哉 会者定離の理。


2011-10-08 華2283

‟ロウヤ柿” の実も冬の到来を告げるかの如く、緑の葉も落ち赤く熟した実も、今当に終焉を告げるのか。

去りゆく秋を惜しむ気持ちは、侘しさを増し、静かに眺めるも心は痛む。


2011-10-08 華2284

盛りを過ぎたとは云え、‟ほらほら此れを見てよ~!!” とばかりの紅葉。

片方では、生を全うした蓮の花が、‟必滅” の理を曝け出している。

生と死の共存を眺めていると、人生の儚さも思い知らされるようだった。

『 ほろほろ酔うて 木の葉ふる 』  種田山頭火(句)

山頭火ならずとも、人生の悲哀を感じる秋の暮れ、

一杯飲んで侘しさを感じるとしましょうか?ね・・・


2011-10-08 華2281

風に吹かれるままにたなびく芒の姿。何と潔い柔軟な尊い姿なんでしょうか。

『 病むもよし 病まば見るべし 萩芒 』 吉川英治(句)

往く身でありながら、光を浴びてなほ一層光り輝く芒、

私も最後の人生を光り輝きたいものだと思うのだが・・・

往く秋に想う心の動きって、「こんなもんなの~?」

 


category: 雑感

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まっかっかっか・・・ 


2011-10-08 華2277

『 まっかだな まっかだな つたの葉っぱも まっかだな

 もみじの葉っぱも まっかだな・・・
  童謡「まっかな秋」 薩摩 忠(作詞)

秋と云えば紅葉、紅葉と云えば赤・あか・赤。

赤一色の秋を求めて野山に足を運ぶ。


2011-10-08 華2278

燃えるような真っ赤な紅葉。

全山赤一色の紅葉は、見ていても風情が無い。

他の色との対比が私の眼を楽しませてくれるのだが・・・

実は此の童謡「まっかだな」の曲は私は知らなかった。妻が口ずさむのを聴いてUPした。

2011-10-08 華2279

どの人の顔を見ても赤く染まっている。寺の白壁も緑の苔も・・・

おそらく私の顔も紅葉に赤く染まっていたのだろう。

「貴方の色に染まりたい」と白無垢の花嫁は思っていたのだろう(たぶん)、昔の女性は・・・

現代女性は、「私の好きな様に、貴方が染まって!!」とでも言うのであろうか?

何はともあれ(紅葉にしてでもあるが)、あまり染まりたくないものですね~。


2011-10-08 華2276

緑から黄色へ、黄色から薄紅色に、そして真っ赤に色付く紅葉は見ていて本当に美しい。

今年は、「真柏」の盆栽が我が家にやってきた。

来年こそ、「いろは紅葉」の盆栽が欲しいな~。真っ赤に色付く山紅葉は遠慮したい。


2011-10-08 華2280

一日中、真っ赤に染まった野山を、庭園に色付く紅葉を歩いて散策すれば、

‟もう、結構!” と言いたくなる。

そんな時、爽やかな水音を聴かせる清流を眺めていると、

紅葉も良いが、静寂な一時が持ちたくなるのは、私だけなのでしょうか?


 まっかだな まっかだな・・・

ふと我に返り、我が身を眺むれば、『我が家の家計も、真っ赤だな~!!』

紅葉の落ち葉を歩きながら思う事って、「こんなもんなの~?」


category: 雑感

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恋に疲れた女が・・・ 

『 あかあかや あかあかあかや あかあかや

          あかあかあかや あかあかや月 』
   明恵上人


2011-10-08 華2275

明恵上人ゆかりの寺 「高山寺」に秋を探しに行った。

国宝・「石水院」や、国宝・「鳥獣戯画」で有名な古刹である。


2011-10-08 華2273

「石水院」は、明恵上人が後鳥羽院より学問所として賜った建物。

簡素な中に優雅さを持ち、極めて機能的な構造を持っている。

生活の智慧の結晶とも云える住宅建築の傑作。

「石水院」に掛っている扁額は、富岡鉄斎画伯によるものである。


2011-10-08 華2274

東屋の屋根に毀れた紅葉の落ち葉が、如何にも長閑さを味あわせてくれる。


2011-10-08 華2272

『 茶 の 本 園 』

古くから、明恵上人は茶祖・栂尾山は茶の発祥の地、と言われている。

”日本最古の茶園” が僅かに其の面影を偲ばせている。


2011-10-08 華2271

京都 栂尾 高山寺
 
  恋に疲れた 女が一人・・・
 永 六輔(作詞)

昔、流行ったこんな歌謡曲の文句を思いだし、気持ちはロマンチックに・・・

とは言え、平日と言うのに人ひと人の人出!!

何処に居るのか?恋に破れた女が・・・

秋の侘しさを求めて来てみたものの、京都の秋って、「こんなもんなの~?」


category: 雑感

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人混みを・・・ 


『 そ う だ 、京 都 行 こ う 』

2011-10-08 華2270

猛暑の夏も終わり、秋らしい秋を味わう間もなく、冬の寒さが肌を差す時期となった。

久し振りに家を空けても良い時間がとれたので、JR東海のお誘いにより京都へと行ってきた。日帰りだが・・・


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『天竜寺』:「曹源池」の紅葉


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1339年、吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために、

足利尊氏が夢想国師を開山として創建した、臨済宗の大本山である。

平日と言うのにこの人出、紅葉を観ると言うより人の頭を見に行くようなものである。


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「曹源池」 此の庭園は夢想国師による庭園で、国の史跡・特別名勝第一号に指定されたもの。

1994年には、世界文化遺産に登録された。

日本画家・加山又造画伯による、法堂の天井画 ‟雲龍図” は直径9mで、墨色瑞々しい龍が躍動している。


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新装なった京都駅構内に飾られたクリスマス・ツリー。

古式豊かな雅を謳う京都に、クリスマス・ツリーは不似合いにしか見えなかった。

日帰り旅行で想像を絶する観光客に、撮影も侭ならなかった。

観光シーズンに観光地に行くという事は、「こんなもんなの~」

category: 雑感

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自然美の再現 

『 細 川 流・盆 石 』

2011-10-08 華2238


『 ほととぎす 消え行く方や 嶋一つ 』  松尾芭蕉(句)

俳句を題材とした作品つくりや、旅行の想い出を再現し、自由気儘に楽しめるのが一番か?


2011-10-08 華2235

盆石展を初めて観た。 細川流(勝野功子家元)の展覧会だ。

黒漆塗りの盆上に、数個の自然石を置き、大小9種類の白砂を配して、大自然の美しい景色をお盆の中に描く。

縮小して描く故 “縮景藝術” とも言われ,日本独特の伝統である。


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絵筆を用いるのではなく、羽・匙・篩・箒などの道具を用いて描く。

絵心が無くても最初はお手本があり、誰でも気楽に取り組む事が出来ると言う。

遠州流・石州流・細川流と三流派があるが、細川流は古典盆石の伝承と共に、

さまざまな創作盆石に取り組み、盆画もある。


2011-10-08 華2237

題名 「粟叉の滝」

日本人は古来、美しい風土の中で、自然を愛し・親しみ、人と自然を融合させてきた。


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東海道五十三次を題材に、盆石で表現したもの。


『 盆 石 の 歴 史 』

天武天皇の頃、茶道や華道と同様に、宮廷女官たちの間で盛んになったと言う。

その後、一時期衰退をみるが、再び盆石が歴史に登場するのは室町時代となる。

足利義政の頃に再興され、以来活発に行われてきた。

江戸時代の文化文政の頃には、盆に詠歌を添える事が流行した。


子供の頃に近くの浜辺に遊びに行き、砂山を造り、手で少しづつ削りながら遊んだ事を想い出す。

折角作った砂山の造形物(?)も、寄せる波に消されたり、友が足で崩したり・・・

盆石も、上手く出来なければ簡単に消すことが出来る。

砂山遊びと盆石とは当然ながら全く違う事だが、ふと砂山遊びに心が向く。

白砂が浪打ち、自然石が荒々しさを表現する“盆石”,

縮景に大自然を楽しむ興って、「こんなもんなの~?」




category: 雑感

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民間航空発祥の地 

『 稲毛民間航空記念館 』

2011-10-08 華2227

民間航空発祥の地 “稲毛” にモダンな姿を見せる記念館がある。入場料は無料である。

飛行機の事なら何でもわかる解説員が常駐し、校外学習に子供会の見学にと活用されている。

また、施設「講習室」(有料)も用意され、講習会や体験学習の場として運営されている。


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グライダーは性能と形式で、「プライマリー」「セカンダリー」「ソアラー」とに大別されるが、

展示のグライダーは「プライマリー」の復元機である。


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奈良原式4号機 『鳳』号
                       昭和62年(1987年)の復元され『鳳』4号機

民間航空機研究科家であった奈良原三次は、明治43年に国産第1号飛行機を制作したが、

エンジンの出力不足から飛行が出来ず、翌年5月、2号機により初めて所沢飛行場で、

高度4m 距離60m の飛行に成功した。


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                               『鳳』号の操縦室 兼 同乗者室

更に3号機を経て、明治45年に奈良原式4号機を完成させ、『鳳』号と命名。

同年4月、川崎競馬場で、白戸栄之助操縦による初の有料飛行会を開いた。

5月には、青山練兵場で天覧飛行を成功させ、実用に耐えうる民間1号飛行機となった。


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                             NASA エンデバー号の模型

『 NASA エンデバー号 』

アメリカ航空宇宙局は、昨年6月までにすべてのスペースシャトルを引退させた。

ピギー・バックライドという輸送方法には、多くの人が驚いた。

1981年、スペースシャトル1号機「コロンビア号」の打ち上げが全世界注目の中、成功した。

1986年、「チャレンジャー」号が打ち上げから約76秒後に、燃焼を続けながら高度を上げようと

迷走し、空中爆発を引き起こした。犠牲者は7名。

この事故は、後に起こる更なる悲劇の幕揚げに過ぎなかった。

2003年、宇宙スペースシャトル「コロンビア号」が、28回目の飛行を終え、

地球に帰還する際、大気圏に再突入に失敗し、上空で空中分解を引き起こした。

同乗の宇宙飛行士7名がやはり犠牲となった。

『 多いか?少ないか? 2%・・・』

宇宙飛行における惨事の確立は、ソビエト・ソユーズにしてもアメリカ・スペースシャトルにしても、

打ち上げ・再突入の際の危険性は同じようなもので、事故発生の確立はおよそ2%と言われる。

事故が起れば乗務員の死亡確率は100%となる。

シャトルの運搬には、ボーイング747が2機使用されていた。

其の内の一機は、もともとJAL(日本航空)で使用されていた機であることは、

“知る人ぞ知る” 事実だった。


2011-10-08 華2229

大きな解説板には、「航空機の発達」「日本の宇宙開発」「宇宙への挑戦」「飛行の原理」が描かれている。

右下にある四角い箱は、「風洞実験装置」である。

宇宙開発に限らず、全ての分野で開発チャレンジするには、リスクは付き物である。

『 運の良し悪しが有ることは確かだ。 但し運はその人の手の中にしかない 』

人は結果を他人のせいにする事が多い。運が悪いと反省もしない。

全てにおいて、成功にはリスクがつきものだが、決してゼロにはならない。

リスクを考えない成功は、運が良かったという事だけだ。

チャレンジャーに必要な心構えって、「こんなもんなの~?」




category: 雑感

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もう直ぐクリスマス 

ジングルベル ジングルベル 鈴が鳴る・・・

今年も騒々しい年末を迎えようとしている。

クリスマス商戦、お歳暮商戦にと、デパートやスーパーは大わらわ。

2011-10-08 華2225

子供達に楽しいクリスマスをアピールしているデコレーション。

普段から欲しいと思っていた物が、手に入る絶好のチャンスがもう直ぐ目の前まで来ているのだから。

サンタクロースを見れば、心は早くもイブの夜に・・・


2011-10-08 華2217

ところで、イエス・キリストの誕生日は歴史上も定かでなく全く不明である。

最も古い「マルコ福音書」にも、キリストの誕生日は記述されていない。

馬小屋で生まれたとか、赤ん坊の頃にエジプトに避難したとか、生誕に関した伝記は、

キリストの死後、初期のキリスト教会の中で徐々に出来上がったものらしい。

12月25日がキリストの誕生日とは限らないのであるが、

一年365日の1日、12月25日の可能性もゼロではないと云えるのか?


2011-10-08 華2221

キリスト教を布教している人がいた。名をニコラスさんと言う。

ある日、村で貧困の家庭に、貧しくて嫁にいけない娘さんがいたことを耳にし、

その家の煙突から、金貨を投げ入れてあげた。

金貨は暖炉の傍に吊るしてあった靴下の中に入った。

翌日の朝、家族がその金貨を発見し、家族は大喜びし娘さんをお嫁に出してあげる事ができた。

此の事が村中に広まり、ニコラスさんはセント(聖)ニコラスと呼ばれるようになった。

アメリカでこの話が広まっていくうちに、セント・ニクラスが訛って、サンタクロースへと変化した。


2011-10-08 華2223

 I'm dreaming of a white Christmas 

"私は夢見てます ホワイト・クリスマス” なんて響きの美しい事だろうか。

戦後の高度成長期には、何処の街でも繁華街の飲み屋やキャバレーで、

酒を飲んだ酔っぱらいが、罵声を上げながら騒ぎ盛り上がる醜態を曝け出していた。

住宅事情と経済の変化により、日本のクリスマスの祝い方(騒ぎ方?)も変化した。

外でのバカ騒ぎから家庭中心となり、ケーキやローストチキンの売り上げも向上した。

更にバブル期には、若者を中心に恋人たちのイベントへと変化し、

プレゼントの交換が一般化するようになった。

近年は、ツリーや装飾品も少し贅沢な気分を味わいながら、大人から子供までが楽しむイベントとなった。


2011-10-08 華2222

シャレコウベのプレゼントとは、一寸ばかりの悪ふざけなのか?ね。

1843年、ヘンリー・コールというイギリス人が、画家に絵を描かせ作らせたカードが、

世界最初のクリスマス・カードと言われる。

年賀状にしてもクリスマス・カードにしても、紙のカードが届くと嬉しく思える。

パソコンのお蔭(?)で、今ではメールで何でも遣り取り。

手紙を貰う事すら稀となり、多くの場合頂くのは、引っ越しのお知らせか、喪中につき・・・だろうか?

何とも味気ない殺風景な世の中になったもんだね~。


2011-10-08 華2220

「子供の為の、クリスマス!!」  こんな飾り付けがしてあった。

親の収入が増え、どこの家庭も経済的には豊かになったのか、

子供達の遊びを見ていると、驚く程にお金のかかった遊びが増えているような気がしてならない。

12月24日の晩、サンタクロースがやって来ると信じていた幼い日の想い出、

欲しい物の願いを親に託し、眠れない夜を無理やり寝た事だった。

あくる朝、枕元の靴下に僅かなお菓子が入っていた事を懐かしく想い出す。

経済に余裕が出来、何でも買い与えられる世の中になったものの、

果たして子供の将来を考えた時に、「これで、イイのかね~」と思わざるを得ない。

デパートやスーパー等の商売人の言う事に踊らされて・・・

何でもプレゼントするクリスマス・イヴって、「こんなもんなの~?」





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戒名って・・・ 

『 天が下 古き例はしら浪の 身にぞ鼠と現れけり 』  「ねずみ小僧」 辞世の句


2011-10-08 華2211

此処は、江戸時代には「本所松坂町」と呼ばれた所。

国技館通りが、国道14号線(京葉道路)に突き当たる所に、『回向院』 が在る。


2011-10-08 華2212

明暦三年(1657年)、江戸の大火 「振袖火事」 に依る死者十万四千人を弔うために建立された。

嫁ぐ日をまじかに控えた娘さんの為に、豪華な振袖を用意したのであるが、

その娘さんが婚礼前に突然死した。親御さんは、不要になった振袖を売りに出した。

古着屋から、また別の婚礼まじかの娘さんのために、その振袖を買った人がいたが、

不幸は重なるもので、又もや娘さんが婚礼前に突然死する。

其れを聞いた寺の僧侶が、「不吉な振袖は燃してしまえ」とばかりに、境内で火をつけた。

その時、突風が吹いて、火は瞬く間に江戸中に燃え広がった。『振袖火事』である。


2011-10-08 華2213

『回向院』の奥に、義賊 “ねずみ小僧” の供養墓が建立されている。

「甲子夜話」によるば、武家屋敷のみ押し入ったために、庶民からは義賊扱いされているとの記述がある。

後に、幕末の戯作家・河竹 黙阿弥が、権力者である大名家に自在に侵入し、被権力者である庶民に

盗んだ金を配るという、虚構の鼠小僧を主人公とした作品を世に送り出した事から、

人気に火が付き演劇界においては、現在まで続く当たり狂言の一つとなった。


2011-10-08 華2214

供養墓の前にある小さな供養碑は、「欠き石」と呼ばれる物である。

鼠小僧の墓石を欠き、財布や袂に入れておけば、金回りが良く成る、或いは持病が治ると言われ、

願いが成就した人々により奉納された「欠き石」は、擦り減る度に数年ごとに建て替えられる。

現在までに、その数は数百基にも及んでいるという。

見事な辞世の句もさることながら、“ねずみ小僧” の戒名も又立派なものである。

天保二年八月十八日
教 覚 速 善 居 士
俗名 中村 次良吉

天保三年八月十九日 浅草にて処刑される。 処刑日と寂滅日とに、一年のずれがあるが?

義賊故、戒名を授与されたのであろう。


戒名とは本来、得度・受戒・灌頂などの儀礼を受け、仏門に帰依した者に与えられる法号である。

現在では多くの場合、通夜葬儀の際に受戒・読経して引導により与えられる事が殆どである。

所謂、亡者の冥途での名前のように化しているが、本来ならば生前に法の世界に生きる事への誓いなのだ。


「 戒 名 閑 話 」

「忠臣蔵」で有名な浅野内匠頭の戒名は、

『 冷光院殿前小府朝散大夫吹毛玄利大居士 』

因みに、辞世の句は、

「風さそふ 花よりもなほ我はまた 春のなごりをいかにとやせん」 と詠んでいる。

大石蔵ノ助の戒名は、『 忠誠院刃空淨釼居士 』

四十六人の志士の戒名にも全員、“刃” と “釼” の文字が用いられている。

ユーモラスな戒名には、山田風太郎氏がある。

『 風風院風風居士 』

「板垣死すとも、自由は死せず」で有名な板垣退助らが主宰した立志社の『高知新聞』は、

明治政府より発言の自由を剥奪され出版の停止の憂き目に遭った。

新聞の死亡広告を出し、新聞のお葬式を営み政府に抵抗した。その時の新聞の戒名は・・・

『 無常高知新聞 』之霊位

『高知新聞』を廃刊し新たに、『高知自由新聞』を発刊するが、

またも発刊停止に遭い、同じく死亡広告を出し、

『 殺身成仁 視死如帰 』と、幡に戒名を書く。

その後引き続き『土陽新聞』を再発刊、大団扇にかの有名な文句を書き、政府に抵抗し続け、

最後には自由なる発言権を獲得するに至った。

『 いうまじと 思えど今日の 暑さかな 』


調べてみれば、戒名にも悲哀を窺わせるものや、ユーモア豊かなものや、似つかわぬものや、色々あり、

人と成りとが伺われ面白いですね~。

ところで、自分の戒名は生前、自分で考えとくとしましょうか・・・

『古事記』研究の第一人者・本居信長も、その奥さんも、自分と妻の戒名は決めていたという。

自分で決めても、僧侶から頂いても、どちらでも差支えないの?

戒名って、「こんなもんなの~?」



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魅せられて・・・ 

『 自然は、それを愛するものの心を 裏切ることは決して無い 』 
                                 ワーズワース


セザンヌ・モネ・ピカソ・ルノワール等の印象派とポスト印象派の絵画を収集した、

「オランジェリー美術館」がパリにある。

明るい光に満ちた楕円形のホール壁一面に飾られたモネの『睡蓮』は、

煌めく水辺の風景の世界へと見る者を誘ってくれる。


2011-10-08 華2210

『 モ ネ の 言 葉 』

私が睡蓮を植えたのは楽しみの為であり、此れを描こうなどとは思いもせずに育ててきた。

そして突如として、私の池の妖精たちが私の眼前に現れた。私はパレットを手に取った。

この時以来、ほとんど私は他のモデルを使う事がなかった。


あるサロンの装飾に<睡蓮>のテーマを使ってみようという考えが浮かんだ。

壁に沿って、間仕切り壁を一つのまとまりで包んでしまうと、

切れ目のない、水平線のない、また岸のない水のイリュージョンが生まれるかも知れない・・・


2011-10-08 華2209

私は、自然な中により深く入って行こうという、願いの他の望みは持たないし、

ゲーテの教訓にならって、

自然の教えと調和して制作し、生きていくと言う運命以外のものを願いはしない。


自然は偉大で強大で不滅のものなのだが、それに比べたら人間の描き出したものなどは、

憐れな芥子の粒の如きものに過ぎない・・・


千葉県立「花の美術館」円形ホールの壁一面に、モネの『睡蓮』の模写が描かれている。

モネが云うように、自然の中にこそ「自然の美」は存在する。

良い香りだ・綺麗な花だ、とつい手を出し、一枝一葉を折りたくなるものだが、

そして美しい物は、手に入れたいと思うのが人情とでも云えるのか?

『 手に取るな、やはり野に置け レンゲ草 』

自然な中に、在るがままに鑑賞することこそ大切な事なのだろう。

「求不得苦」・・・求めても得られない苦しみ。

あれも欲しい、これも欲しいと、欲しい・欲しいと思いはしても、なかなか手に入らない苦しみがある。

それが此の世の常ならば、必要以上の無い物ねだりはしない事こそ大切と言う事。

春の野に一面、可憐に咲くレンゲ草。手にしたくなる思いは判りはするが、

やはり、自然の中で見る事こそ大切なでしょう。

モネの『睡蓮』を眺めながら、ふと 『手に取るな!』 を思い出した。

名画が教える教訓って、「こんなもんなの~?」


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心はギリシャへ・・・ 


2011-10-08 華2208

『 パルティノスの神殿? 』

白いペンキを塗った石柱は時間の経過を映し、あたかもギリシャの神殿を彷彿とさせるものであった。

イタリア半島のドーリア式石柱は素朴さを見せるが、

後にギリシャ本土に影響を及ぼした小アジアのイオニア式石柱は、建築を優雅で華美にする美意識が働き、

ローマ時代には、柱頭をアカンサスの葉で装飾したコリント形式の石柱へとその姿の変化を見ることが出来る。

ギリシャ建築の最高傑作である「パルティノスの大神殿」は、ドーリア式とイオニア式が混在するという。

千葉市の「県立青葉の森公園」に足を運び、数ある彫刻を楽しんだ。

ギリシャ式石柱の間に垣間見るブロンズ像に、心はギリシャへと誘えるような錯覚に陥る。


2011-10-08 華2204

『 三つの時代 』  小寺 真知子(作)

祖母の膝の上に立つ母親が、子供を天高く捧げ持ち、親子の愛情を高らかに謳い上げた力作である。

核家族化が進み、人間の関係性が希薄になりつつある現代を、風刺したものなのか?

半逆光で見る彫刻からは、絆の大切さを、荒んだ心の現代人への警鐘とみるのか?


2011-10-08 華2207

『 ATHENA 』  関 正司(作)

アクロポリスの神殿に立つ女神のブロンズなのか?

石柱の上に立つ女神は、左肩を露わに晒し、きりりとした表情が女性の力強さを表現している。

襞をとった衣服と、筋の入った石柱とが連続性を持ち、よりスッキリとした表現を助けている。

人差し指を突きだした左腕は、遠く何処を指さしているのか?

作者は女性の純粋性を此の指先に託したものなのか?


2011-10-08 華2205

『 絆 』  古川 武彦(作)

幼い男の子と女の子が、「はやく滑っておいで・・・」と母親の声に誘われて、

どうした事なのか?女の子は反対を向き、大きく両手を広げでいる。

親子がただ、滑り台で楽しそうに遊んでいるだけの表現がしたかったのか?

この親子に、家族の「絆」を見ただけではあるまい。

女の子の表現をどのように観るのか、各人各様であろうが・・・

昨年、3月11日を境に、家族や縁者をばらばらに失った人々は想像を絶するほど多かった。

この様な情景を見せていただろう、また将来こんな遊びをすることであろう家族の事を考えると、

ただただ、「楽しそうだね~」という気持ちにもなれない、複雑な思いを覚えた。


2011-10-08 華2206

『 眩 驚 』  土田 隆生(作)

夕日に黄金色に染まるこの彫刻が、一際異彩を放っている。

と言うのもこの作品以外は全てリアルな表現なのだ。

両手・両足を力の限り広げた身に、驚きの表情の小さな顔が目を引く。

「眩 驚」という題。 作者の意図はどこに在るのだろうか?

“眩”・・・くらむ・くらます・めまい・まばゆい。

“驚”・・・おどろく・おどろかす。

アルミに金色メッキの此の異様な表現に此の表題。 どう解釈すれば良いのか?

「玄瞀驚愕」という事なのか?

理不尽な世の中に、目眩がするほどの驚きを覚えるという事なのか?

「OH、NO!!」と反意を表現した此の彫刻(?)には暫し足を止めて立ちすくんだ。


野外彫刻展は全国どこにもあるが、近場の公園でも見ることが出来る。

美術鑑賞の秋です。

作品を眺めながら、作者の意図に思いを馳せる楽しみって、「こんなもんなの~?」



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秋を楽しむ 

2011-10-08 華2202

『 木漏れ日の 光を受けて落葉敷く 小道の真中 草青みたり 』
                                   平成22年 天皇陛下御歌

木枯らしに葉を散らした訳ではあるまいが、黄色く色づいた銀杏の葉が目に染みる。

「木枯らし」とは、女房言葉では「擂粉木」の事だ。

葉の無い「擂粉木」と、葉を落とす「木枯らし」とを掛けた言葉だそうだ。


2011-10-08 華2199

深まり行く秋から冬への気配を惜しむかのように、置き石に座し思いに耽る男性が・・・

緑葉と真紅のセーターとのコントラストが余りにも美しく、思わず一枚パチリと。

『 心に風雅あるもの 一度口にいでずと 云事なし 』  向井去来(句)


2011-10-08 華2198

若く明るい歌声に 雪崩は消える 花も咲く
         ・
         ・
 今日もわれらの 夢を呼ぶ
  「青い山脈」西条八十(作詞)

カセット・テープから流れる音楽に合わせ、若い(?)男女が楽しそうに愉快に踊っていた。

秋の日差しを浴び、上着を脱ぎ捨て・・・


2011-10-08 華2200

緑の広場では、お母さんが転がすフラフープを、追いかけて遊ぶ男の子が・・・

『 末枯野 何か忘れて きし思ひ 』  中村苑子(句)

自然が繊細なまでに織りなす豊かな色彩、

冬を間近に秋との別れを惜しむかのように・・・とは言え、緑に燃える芝生は目に痛い。


2011-10-08 華2201

一頻り遊び疲れた子供達。足取りも重く学校へ帰るのか。


今日は、久しぶりに千葉大病院へ行った。

漢方のお蔭で、今年の夏は疲れ知らず。???

果物が大好きなお蔭で、血糖値A1cの値は7,8と・・・大きければ良いというものでもないのだが。

教授の一言が、「歳は幾つになったのかな?」

         「古希を迎えました」

         「そうか、70だね~」と・・・

A1cの理想からすれば、数値は7以下が良いのだけれど、

歳を考えれば、7,5ぐらいまで下げたいね~と。

果物を減らし、食後歩く事ですね、と。

老い先短いのだから、無理してまで血糖値を下げなくても良いとのお達しなのだろう。


2011-10-08 華2203

苔生した小道を散策しながらの歩数は、本日、12,000歩でした。

春から夏が過ぎた秋の小道を歩き、こんな事に心が動く、

「いにしえ」って、な~んだ、と・・・

過ぎ去った己の人生を振り返り、思いを昔に馳せれば、

数えきれない程の経験や想い出が。過去は人生のお手本と。

『古学び』という言葉があるが、

深まり行く秋に思いを馳せるって、「こんなもんなの~?」



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男と女、子供のコスモロジー 


『 あしびきの 山に行きける山人の 心も知らず やまびとや、誰 』 
                                     万葉集・舎人親王(句)


2011-10-08 華2192

山里の小さな村を訪ね歩けば、昔はこんな情景が目に飛び込んで来たのだろう。

両脇の樹や太い竹の間に張られた、荒縄で作られた色々な魔除けが吊るされている。

ヤマトの国:日本には、山人の村が何処にも点在していたことだろう。

山から授かる大切な物(聖なる山の贈り物)に、

感謝の心と畏敬の念を抱いて日々の生活を暮らしてきたはずだ。


2011-10-08 華2193

木々には、細く長く編んだ“へび”がぶら下げてある。

村々では周りを結界し、村外からの魔や邪の侵入を防ぐことに心を砕いた事であろう。

2011-10-08 華2194

『 犬供養と人形送り 』

「 犬 供 養 」
子供を産む、また将来産むであろう女性たちが、お産が軽いと言われる犬にあやかり、安産を願う行事。

子安講で犬供養を行う事は、何処の村々でも広く行われた風習だろう。

サガマタと呼ばれるY字形の生木に梵字を書いた卒塔婆を立てる。(手前のY字形の木)

鉦や太鼓を打ち鳴らしながら、村はずれの辻へ、ねむの木で作ったサガマタを運び、

そこに握り飯を入れたツトッコという藁束を下げて立てた。

残った握り飯は家々に持ち帰り、神棚に供えた。


「 人 形 送 り 」
子供達中心の行事で、7月頃に悪霊退散を願って・・・

5月の頃には、田植えの直前に安産と五穀豊穣を祈願して建てたものである。(真ん中、上の小さな人形)

子供達は戦いの神である鹿島・香取大明神の陣羽織を纏った人形を作り、竹に差して集合する。

「鹿島・香取、ミーサイナ。戦いに勝って、ミーサイナ」と謳いながら村外れに行く。

其処で、お互いの人形をぶつけ合い、最後まで勝ち残った人形を、村の境に立てたという。


2011-10-08 華2195

太い幹に吊るされた草鞋。

村に入って来る悪魔に、此の大きな草鞋を差し上げますから、早く村の外へ出て下さいと・・・


2011-10-08 華2196

『 かしま人形 』

秋の彼岸前になると、村人が新藁を持ち寄って、武者姿をした男女一対の藁人形を作る。

手足の指が四本で、腰には大小の刀を差し、男人形は袖絡、女人形は薙刀を手に持たせる。

完成した人形は、村の中心である春日大神宮に、悪病退散・五穀豊穣を祈って奉納した。


2011-10-08 華2197

木々の間に跨る荒縄で作った “大蛇” が横たわる。或いは垂直に魔や邪の侵入を待ち受ける。

大きく口を開け開いた大蛇の威力によって、清浄に保たれた村を怪我して欲しくない願いからなのか?


山麓の村々を歩くと、この様な光景をしばしば見受けることができる。

山には神霊が棲むと同時に、一方では妖怪や魔や邪も住み着いていると考え、

崇めるとともに、魔処として畏れもしたのであろう。

魔や邪の侵入を防ぐための拙い魔除けに始まり、次第に高度な祭りへと変化昇華した事であろう。

「農耕と霊山の信仰」「山と人の一生」、村人たちは山を崇め畏れも抱いた。

そして村に魔や邪の侵入を防ぐ方法をも編み出した。

素朴な民衆の原始的宗教心に、男と女、そして子供のコスモロジーを観たような気がした。

「やまと魂」と言へば、勇猛果敢な戦う力を感じるが、

「やまと心」と言えば、やまと民族の心のコスモロジーを感じる。

長閑な一日の散歩に、「やまと心」の一端を垣間見ることができた。

村々の “ぶらり旅” の楽しみって、「こんなもんなの~?」



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季節の足音 


穏やかに 時は過ぎ 今日も輝いて

 一日が終わることを 感謝しています
    SAORI YUKI(唄)

2011-10-08 華2188

暖かく陽気な秋の陽を浴びて、菊花が艶やかな姿を披露していた。

経済を始め国際外交問題などに複雑な思いを馳せながらも、

この長閑な日本に棲めることを感謝せずにはおれない。いやいや諦めの良い日本人にか?


2011-10-08 華2189

『 帚木に 影というもの ありにけり 』  高浜虚子(句)

民家の縁側にでも見受けたのか、一本の帚木が落すその陰に 興味を覚えたのか? 虚子の鋭い観察力。

夏は緑々とした箒草も、秋も深まれば茎は真っ赤になり、草紅葉と呼ばれるようになる。

“とんぶり” という秋田県特産の食べ物は、実は此の箒草の実なのである。

別名を “畑のキャビア” とも呼ばれ珍味の一つである。


2011-10-08 華2191

『 冬の使者…木枯らし 』

冬の到来を告げる木枯らし。心引き締まる思いがする昨今である。

この季節になるとデパートではお歳暮の商戦に入り、今年も残り少なくなった事を教える。

夏の暑い日の一日、浅草では “ほうずき市” が開かれ、多くの人々が行き交っていたが、

そのホウズキも秋の寒気にすっかり枯れ果て、憐れを呼ぶ姿を晒していた。


2011-10-08 華2190

『 口あけて 腹わた見せる アケビかな 』

紫色の中に柔らかな白い果肉が詰まっていて、甘く美味しい味である。

諸説紛々としているが、あだ姿をした此の実から「アケビ」と呼ばれるようになったと云う。

昔はアケビの実の皮は薬材として用い、「肉袋子」という名だった。

秋には木の葉も色付くのだが、その色にも 『捨て色』 と呼ばれる色がある。

捨てたようにさりげなく施していて、実はとっても大切な色で、無くてはならない色のことだ。

秋は色を楽しむ季節でもあるのだろう!!


2011-10-08 華2187

真壁にカマキリが昼休み?

色が楽しめる訳では無いが、一生を終ろうとしているカマキリが命の儚さを教えるようでもあった。

黄土色は好感を持って見られる色ではないが、何となく秋の気配が偲ばれる素敵な色だった。

小林一茶の句に、こんな一句がある。

『 かまきりが 片手かけたり つり鐘に 』 

綺麗な心で、澄んだ眼で周りを見れば、其処には季節の気配を感じることが出来るよ!!と一茶は教えるのか。

観察力さえあれば、季節の訪れは身の回りにあるのだ。曇った眼では、何も見えないと云う事なのだろう。

春を、夏を、秋を、冬を、探し見つけ、季節を楽しむ心って、「こんなもんなの~?」


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道を行くって・・・ 

『 勧 学 院 雀 囀 蒙 求 』

「勧学院の雀は蒙求を囀る」 と言うが、学習院の雀たちは何を囀るのか?

2011-10-08 華2182

明治32年~昭和50年まで、学習院初等科の講堂として使われていた建物。

此処を巣立ち、学習院大学へと進学した子供達も多くいる。

『 学習院大学って、天皇の子孫が学ぶ大学なの~? 』

天皇家・貴族・華族が学ぶ為の学校でもあったが、

学習環境改善の為に一般にも開放されたという経緯を持つ “お上品” な学校なのである。

2011-10-08 華2183

「学習院初等科講堂」内部

西洋建築のデザインを取り入れながらも、日本の伝統建築の技法で造られているのが特徴。

明治時代の学校建築として、数少ない残された貴重な構造物である。

見よ!!ギリシャ神殿の柱を彷彿とさせるではないか。

扉の上には菊の飾りが鎮座しているではないか。


2011-10-08 華2184

祈りを捧げたくなるような光と椅子。

「時代が付く」という言葉がピッタリと当てはまる講堂。

皇族・元貴族・元家族は、無条件で入学出来るが、一方では大学の存在意義が問題視されてもいる。

果たして、愛子さまが皇族最後の大学入学者となるのでしょうか?

2011-10-08 華2185

元総理大臣・麻生太郎氏(大久保利通の孫)の出身校でも有名であるが、

皇室関係でも最近は、眞子さまはICUに入学。

高円宮家の承子さまは早稲田大学へ、竹田家は慶応大学へと進学。

一概に皇族・貴族・華族が学習院大学に進学とは限らない現象が生じている。

2011-10-08 華2186

時代の風雪に揉まれて、純白に塗られた建物も、あちら此方がペンキも剥げ見苦しい姿を晒している。

『 “い じ め” の 問 題 』

最近とみに学校の ‟いじめ” の問題が世間を騒がせている。

学習院でも、皇族継承権を持つ人への、“いじめ” 問題が発生し教育環境を損ねる時代となったようだ。

つい最近、文部科学省大臣の田中真紀子氏の発言が物議をかもした。

大学が異常に増えた所為なのか?質の低下に歯止めが掛らなくなっている。

そんな中での大臣の発言だが、本質的には間違っていないと思う。

『 学ぶって、一体何なの~? 』

学ぶって、自分を磨き人生を豊かに生きるための智慧なのか?

理想への挑戦をし、仕事に満足を得るためのエネルギーなのか?

大自然の摂理や人間の本質を理解し、哲学を持って人生を歩む為の手段なのか?

自己を理解し、生き抜くためのバイタリティの源とするのか?

希望に満ちた明日のために、そして己の道を開く為の知識なのか?

人其々の考えの元に大学へ、或いは社会へと・・・


「深き智慧を具ちて 心さとく 道なると 道にあらざるとを弁え・・・」

知識ではなく、“智慧”という所が大切なのである。

学校では知識は身に付くが、智慧は教えてはくれない。

東洋哲学では、「人倫の道」「天地の大道」と、「道」を説きます。

「道」とは、首を賭けて進むという意味です。

何事にも心惑わされず、まっしぐらに真剣に進む事が大事なのでしょう。

「言うは易く 行うは難し」と言いますが、

残り少なくなった人生を道を外さず全うしたいものです。

学問と道を進む智慧との違いって、「こんなもんなの~?」


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棺の中からコンニチハ 


届いた報せは 黒い縁どりがありました ちあきなおみ 「喝采」

「喪中につき 年頭のご挨拶は・・・」 ご存じ、薬石効なく逝去された報せである。

 
IMG_0547.jpg

先日、昔の同級生が亡くなり、遺族の方から届いた報せ。

祇園精舎の鐘の声ではないが、諸行無常のお知らせでした。

何時かは必ずやってくる自分の “死” 、そんな事を考えながら古墳を訪ねたくなった。


2011-10-08 華2178

『房総のむら : 風土記の丘』 101号古墳

6~7世紀の古墳で、周囲に埴輪が配置された築造当時の姿を再現したもの。

『 下総の 埴輪古墳 姫女苑 』

愛しの君が眠るのか? 心揺さぶる古墳の愛が眠るのか?

古代のロマンを思いつつ「黒い縁どりの報せ」に哀惜の念を覚えた。

2011-10-08 華2181

「竪穴住居」 弥生時代・古墳時代の竪穴住居が二棟復元されている。

イギリスBBSテレビで、古代の原人たちの暮らしぶりは再々報道されているので、

その姿は瞼に容易く浮かぶ。 毛皮の腰巻を纏い、弓矢を携えて・・・


2011-10-08 華2180

浅く掘られた住居は小さく、石の腰掛が円形に座し、

夫婦・子供達が楽しく暖を取り、晩餐を楽しむ声すら聞こえてきそう。

最低必要限の物以外には何もない原始の生活。

金と物に溢れた現代人の不満だらけの生活習慣・・・考えずにはおれないね~!!


2011-10-08 華2179

ごく一般人がこんな立派な石棺に埋葬される筈はないだろうが、

死者を葬る習慣は形こそ違うが、「棺」を通して現代でも想像できる。

アニミズムに始まり、宗教は度々の変遷を繰り返し、現在まで脈々と流れている。

大自然に畏敬の念を抱き、死者を葬り先祖を敬う。

最先端の自然科学知識をひけらかし、「死の冒涜」を高らかに謳うとは・・・


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死者は決して消滅するものではない。

『 棺の中から、こんにちは 』

昔の人々は考えた。

酒を酌み交わし、極上の料理を用意し、飲めや唄えの大騒ぎをすれば、

死者の霊魂は屋根の上から其れを見て、

「あんなに楽しいのなら、もう一度帰ろうかな」・・・と、思い直してくれはしないのか。

何はともあれ、死者の復活を願い、飲んで唄い騒いだのである。

通夜・葬儀に黒い喪服を着て、ふさぎ込んでは死者は、「面白くも無い、早く黄泉の世界に行こう」と。

日本橋の呉服屋に言い含まれて普及した「喪服」

黒づくめの喪服では、死者の霊魂も浮かばれないのかも?ね!!

『 棺に嵌まって、さぁ大変! 』

何時かは判らないが、必ずやってくる事は確かな・・・災難と死

そんな時に後悔しないように、今を充実した生活を送るとしましょうよ。

棺に入って極楽へ。いやいや、極楽はこの世にこそあるのでしょう。

ほら!、竜宮城も極楽も貴方の心の中に!!

生きて極楽!死んで地獄!とは、「こんなもんなの~?」


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凡才だね~ 

『 二度とない命だから つゆ草の露にも 巡り合いの不思議を思い 』

2011-10-08 華2177

朝の散歩で必ず(今の所)出会う野良がいる。

私の足音を聞き、“にゃ~” と鳴きながら近づいて来る。

右足を怪我して歩けない時から、散歩のとき猫餌を持って行ってやっている。

野良は野良、餌を与える事は是か?非か? 迷いながらも・・・


2011-10-08 華2176

一方、此方の野良は決して近寄ろうとはしない。

身を構え、今にも逃げんかというような身構えをする。

当然、餌を与えても知らぬ振り。

「一期一会」と言う言葉もあるが、人間と野良の出会いとは言え、

この広い地球上で「私とお前」の出会いなのである。

そんなに怪訝そうな顔をするなよと言いたいが、其処は所詮人間と畜生の間柄、

此の巡り合いをどう思っているのか? 野良さんよ!!


2011-10-08 華2175

先日、我が家にやって来た盆栽:真柏 である。

今まで蠅も蚊も一匹もいない部屋に、最近小蠅が数匹飛び交うようになった。

網戸を通り抜け侵入したようでもなく、果てさて何処から?と訝しげに思っていた。

よくよく鉢を眺めていて気が付いたのだが、肥料として“油粕”が3個載せてある。

どうみても油粕から湧き出てくるように見える。中に卵でも産み付けているのか?

今日は一日中暇があるので、「春花園」の小林國雄先生に会い二・三聞いて見たい事があった。


2011-10-08 華2173

盆栽鉢の油粕に蠅が卵を産み付けるとの事だった。

朝8時に水をたっぷりと撒いてやり、夕方4時迄の間は日の当たるベランダに出して、

夕方から部屋の中に入れる。こんな小さな盆栽でも部屋の雰囲気がガラリと変わるから嬉しさも一入。

そんな話をしていると、師匠曰く「真柏は部屋に入れる必要は無い」との事だった。

盆栽は見て楽しむものと思うから、出来れば室内で眺めていたいのだが・・・素人の浅ましさなのか?


2011-10-08 華2174

「真柏」の美しさは、形骸化した “シャリ” と “ジン” のコントラストの美しさ、

“生と死” を彷彿とさせる自然美とでも言えようか?

何となくコントラストがくすんだように思えたから、「使い古した歯ブラシで磨く」と云う事を思いだした。

水を懸け、ブラシでこすると綺麗になるとの事だった。

来春の鉢の植え替えまでは、日光と水とにだけ気を付ければ、其れだけでイイとの事だ。

それにしても、小蠅の問題は何とかならないものか?と・・・

初歩的な事すら判らない、凡才の私が盆栽をいじるって、「こんなもんなの~?」



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