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こんなもんなの~?

趣味の写真を添えて、日々の『戯言』を・・・

そこのけ、そこのけ・・・ 

『 そこのけ、そこのけ、神様が通る 』

2011-10-08 華3277

先日、香取神宮、十二年に一度の式年遷宮があり、佐原の町並みを行列が練り歩いた。

神様のお通りを先導して、神官たちがお馬に乗って露払い?

『 さながら時代絵巻? 』

2011-10-08 華3285

そよ風に靡く柳の下、300mにも及ぶ一大絵巻?

京都の祭りに模した行事は全国いたる所で見られるが、ここ佐原でもご多分に漏れず。

一見すれば担がれているのは神輿なのか? と思ったのだが、どうも違うようでもある。

御神体が載っているのでなければ、いったいあの小さな赤い箱は何なのか?

『 神輿に乗った神様のお通りか? 』

2011-10-08 華3281

黄木蘭の衣装に担がれた神輿のお通り。

このシーンが一番の見せどころなのか? ポスターにもこのカットが使われている。

最近のお祭りを見ていると、神輿や山車や山鉾の上に人が載り、囃したり飛び跳ねたりする写真を目にするが、

失礼千万な事である。神が載る処に汚れた人が乗るとは・・・

『 獅子身中の虫 』

2011-10-08 華3283

行列の中に、獅子頭と黒鬼のお通りが。

獅子は幸せを招くと共に、厄病退治や悪魔祓いをしてくれると古来より伝わる。

獅子舞は縁起を祝うお祭りとして、わが国では古い行事の一つであるが、

何故かその後に黒い面を付けた鬼が続く。

獅子で思い出すのは、『獅子身中の虫』 という格言であろうか。

味方を裏切り、恩を仇で返す者の事と言うが、実は本来の意味は・・・

獅子の身中で恩を受けている虫が、かえって獅子の肉を食って害をなす事なのだ。

何事も、時間と共に本来の意味も変わると言う事だろう。

そう云えば、人間も移り気なもんで、恋心も時間と共に変わるもんだ。

『 日本精神の基点 』

2011-10-08 華3286

漆黒の鬼の面を被り、行列を先導する。

此の光景を見ながら思った事は、

縄文時代の日本人は、死者を心込めて埋葬していた。

この時代の長老の死に、人々は ”死の尊厳” を感じ取った事だろう。

死霊(霊魂・タマ)が、オニとカミの未分化の存在だった。

日本精神史の基点は、死霊からオニやカミが生まれ来たのである。

『 鬼さん、鬼さん、手の鳴る方へ・・・』

童が囃しつつ遊ぶ ”鬼ごっこ” は、社寺の鬼祓いの行事(追儺)を子供向けにした遊びの一種。

『宇治拾遺物語』 や、狂言の 『せつぶん』、西行の 『山家集』 にと、鬼を語るには事欠かない。

鬼も相貌は、恐ろしくもあり神に似た威厳すら感じ、親しみにも満ちている。

悪鬼ではなく、我々に幸せをもたらす鬼へと変貌している。

さきの狂言 『せつぶん』 では、女に惚れこんだ鬼は、宝の隠れ蓑・隠れ笠・打出の小槌を、

女に騙し取られ、豆を投げ打たれて飛んで逃げる・・・

鬼は強面でも、どこかしら愛嬌があり憎めない存在なのである。

式年遷宮を祝う祭りの行列に、たまたま足を運んだ佐原の街で遭遇。

人混みを避けながらの撮影だったが、写しながら思った事は、

神聖な祭りも、観光目的と化した現実にその本義を振り返ってみた。

”獅子舞” は、しょうしょう場違いの様にも思えた事を・・・

何でも有りのお祭りって、「こんなもんなの~?」




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category: 雑感

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美なるかな・・・ 

『 過ぎ行く春に想う 』

2011-10-08 華3270

温和な春の日差しも既に彼方へと去ったのか、静かな林間を散歩すれば、

閭港、無節の謡を愛するは、是あに人の情けならんや。

あぁ~、桜にして花の麗しきに如かず、鶯にして我が声の美しきに如かず。人にして人たるの道を得ず。

『 赤 の 印 象 』

2011-10-08 華3267

散歩道の林間を抜け広場に出、ふと右を見れば ”コスプレ” の若者達が目に飛び込む。

”赤” 色のメッセージは蝶や鳥・蜜蜂にも伝わり、反応を起こさせ媒介により受粉をさす。

鳥媒花には ”赤” が多いにはその所為である。

多くの民族に共通する風習に、体の一部を赤く染めて化粧する習慣がある。

日本女性の化粧の変遷を見れば、江戸時代末には、女性は唇に墨を塗りその上に紅をさし、

唇が青黒く光った笹色紅を好んだと言う。化粧には念には念を入れたようだ。

暖かく力強く見える情熱の ”赤”、太陽が燃え真っ赤な血が燃える。情熱と興奮の色である。

真紅のマントを見ていても、イメージは大きく膨らむ。

お伽噺の 「赤ずきんちゃん」 をはじめ、童話の中には ”赤” が多く登場する。

変わったところでは、江戸カルタの ”て” には、「亭主の好きな赤烏帽子」 なんてのがある。

亭主が好めば、女房も其れを異としないと凡俗を皮肉ったものである。

若者だけではなく、街や田舎でも多くの年寄りが ”赤” い服を着込んでいる平和的な光景を見る。

夜の街を漫ろ歩けば、そこには ”赤”が溢れている。

人の心を浮つかせ、溌剌とした軽々しささえ感じ取ることが出来る。

”おばぁちゃんの原宿” で有名な巣鴨では、店頭全体を ”赤” が目に入る。

歳を取っても元気が出るとばかりに、”赤パンツ” が飾られている。

夜の新橋を歩けば、赤ちょうちんを見てふと足を止め、何時間も時間を潰した日の事が想い出される。

赤ちょうちんは赤信号では無いので、足を止める必要もないのにね~!!

”コスプレ”の女の子を眺めながら、色の持つ面白さを感じていた。

『 白 の 印 象 』

2011-10-08 華3266

”コスプレ” は、見せる悦び、写す楽しみ。

民俗文化歴史上、”白” は最初に存在する色であった。

後世にではあるが、”白” と聞き思い出すのは、

『 春はあけぼの、やうやう ”しろく” なりゆく山ぎは、すこし明かりて・・・』 であろう。

禅詞に、「月白風清」 と言うのがあり、煩悩から解脱した境涯をを表わしている標語である。

白い衣装に緑の髪 (とは言え、緑の黒髪ではないが)。

未だ幼さが残る少女は、白い鳥の可憐な少女なのか?

「白鳥は悲しからずや 空の青 海の青にも染まらず ただよふ」 若山牧水、心情投影の一句だ。

”白” は、清浄であり、何物にも染められていない無彩色。

可憐な少女であったり、”貴方の色に染まりたい” と言いつつ少女は人妻になり、色を重ねる事となる。

『 性情を感化する枯れ枝 』

2011-10-08 華3269

日本人は間々桜花をもって、その性情を代表する。

桜花もとより美にして佳、且その早く散るところうたた多情。

是、人に憐れまれ惜しまれるところなるも、たちまちにして爛漫、たちまちにして乱落し、

風に抗するにあたわず、雨に耐ええず。

いたずらに狼藉して春泥に委するところ、日本人の性情の標準となる。

矗々たる幹は天を衝き、数羽の鳥を枝葉に負担しながら、孤高微風を凌ぎながら自ら守り、

ようようとするその姿を看れば、幾何学的美に加えて美術的調和を見る。

また品望の高雅を驚かん。

百花繚乱に心乱れ、風に散る紅葉に愁いを感じるは、是日本人の性情なのか?

『 紅葉ちる ながらのやまの風吹けば

         にしきをたたむ志賀の浦なみ 』
 と言うところか。

日本人の性情って、「こんなもんなの~?」 



category: 雑感

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人生の悲哀? 

『 歴史を刻んだ 尊い佐原の瓦 』

2011-10-08 華3257

平成23年3月11日、東北沖で東日本大震災が起こり、

津波による被災者は想像を絶する程の数に上った。

千葉県東北部の海岸地方にはこの時津波が押し寄せ、佐原の町並みも甚大な被害を受けた。

復興を願い人々は被災に遭った家々の瓦に、思い思いの願い事を書いた。

造り酒屋 「東薫酒造」 の通路脇の石壁に、当時の瓦が記念碑の如くに立て掛けられていた。

『 小江戸めぐりは・・・』

2011-10-08 華3264

曾ては利根川水運の中継地として発展し、其の面影を色濃く残す水郷の街。

街の中心部に懸る ”忠敬橋” 付近は、江戸の名残を味わう事が出来る。

そぞろ歩きも良し、また乗船場から櫓に揺られながら、川面からの町並みを楽しむも良し。

『 忘却の彼方へ? 』

2011-10-08 華3263

「 喉元過ぎれば、熱さを忘れる 」 なんて諺がある。

大震災から3年を過ぎ去れば、人々は起こった事すら忘却の彼方へと消え去るのか?

震災の被害で壊れた土蔵ではないが、ふと震災の事を思い起こさずにはいられない漆喰の剥落した土壁。

『 時は巡り巡り・・・』

2011-10-08 華3262

何事も無かったような、長閑な時の流れを感じるが、

此の世には二つの不可避な事がある。

江戸の昔、越後の国で大震災があり、多くの被害者が出た。

その時、遺族や被害者に良寛は一通の激励を込めた見舞状を送っている。

「災難に遭う時には遭うがよかろう。死ぬ時には死ぬがよかろう」 と・・・

時期は判らずとも、災難と死は必ずやってくる。 人は、どうしてその時に後悔しもがくのか?

災難と死が何時やって来ても良いように、普段から気を付け、今を一生懸命に生きろ!!と、良寛は。

『 苦しい時の、神頼み 』

2011-10-08 華3258

歩いていると、諏訪神社の前で足が止まった。

見れば、登るには躊躇したいような長い長い階段が目の前に。

階段の中程で、落ち葉を掃き清めているご婦人が目に留まる。

誘われるように階段を昇り、本殿にお参りに行き、帰り際、一枚パチリと写真に収めた。

「仏かまうな、神ほっとけ」 と昔より言われる。

駄洒落を利用して、宗教的な事には下手に関わらない方が賢明だという、庶民の智慧なのだ。

「触らぬ神に祟りなし」 と言う諺もあるぐらいだ。

新手の新興宗教と名乗り、胡散臭い神や仏が、人々を惑わす事件が此の世には多々ある。

神や仏を祀るのは面倒だし、粗末にしなければ罰も当たらないだろうと自己弁護するのだが、

鎮守の森や境内を掃き清める行為は、”無心になる” と言う現代人がとっくに忘れ去った事を想い出させる。

『 願わくば・・・』

「 願わくば 花の元にて春死なむ その如月の 望月の頃 」

悩み苦しむ事なく、死にたいと思う時に死ねるのが最高であろう。

そして何時かは必ずやってくる災難にも、遭わずにいれる事を願うのであるが、

災難と死は、何時かは必ずやって来る。其の事を心に秘めて、今を大切に・・・

「日々是好日」とは、此の事であろう。

ぶらぶら歩きながら、こんな事をふと思い出した佐原の散歩だった。

人生の悲哀なんて、「こんなもんなの~?」


category: 雑感

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”スケベ根性” って・・・ 


『 貝 殻 山 公 園 』

2011-10-08 華3251

アヒルや鴨が泳ぐ池の周りの並木道を行けば、四季折々の変化が楽しめる。

アスレチックや芝生広場では親子連れの楽しそうな声が周りに響き、

穏やかな日差しの中長閑な時間が流れる。ノンビリと過ぎゆく時間を楽しむのも一興か。

曾て此処では海の暮らしがあったのか。直ぐ近くには ”中沢貝塚” が残っている。

『 野 馬 の 親 子 像 』

2011-10-08 華3253

”小金中野牧の野馬” 江戸幕府は軍事上重要な馬を確保する為、直営の牧場を千葉県北西部に設置し、

”小金牧” と呼ばれた。牧場は北西部の五か所に設けられたが、此処が最初の牧であった。

馬は放牧され野馬と呼ばれた。

飼料や飲み水も人の手を貸さず、自ら求めて草を食み水を飲んでいた。

冬は笹の葉や常緑樹の葉を食べて飢えを凌いでいたようだ。

カットの野馬親子像は、江戸時代の野馬の姿を参考に制作された彫像である。

『 下総小金中野牧跡 』

2011-10-08 華3255

牧跡は、江戸幕府が其の軍事力を誇示し、全国支配を継続する一環として、

軍馬を安定的に確保する為に設けた直轄の牧だった。

8代将軍・吉宗をはじめ歴代の将軍の鹿狩り場でもあった。

吉宗公は四回に亘り鹿狩りをし、捕獲した鹿や猪は1000頭を超すほどの収穫だった。

狩りの為に他所の地から態々鹿や猪を此の地に運び入れたという記録も有る。

また、此処では将軍用の乗用馬を飼育する重要な牧場でもあった。

”捕込” は、野馬を捕り行う施設で、今となっては現存する唯一の牧跡である。

馬を追い込み捕獲する ”捕込”、

江戸へ送る馬や、農耕馬として払い下げる馬を溜めておく ”溜込”。

若い馬などを野に返す ”払込” の三区画が設けられた。

広さは7000㎡の規模であったと考えられている。

土手の高さは、2,5~5m程で、今でも想像に難くない。

牧としては、全国で初めて国史跡に指定されている。

『 悦び 花を飾りて 』  銅像

2011-10-08 華3254

市制施行20周年を記念し、”ふるさと創生<緑と水と文化のふれあい事業>” の一環として、

ここに彫像を設置する。作者は大須賀 力 氏の作。

『 い の ち 』  銅像

2011-10-08 華3252

作者は、酒本 雅行氏。 同じく記念事業として設置される。

公園の池沿いに散策すれば、”野馬親子像”に出会い、

此の二つの銅像が広場の一角の設置されている。

『 銅像は、どうして裸婦が多いの~? 』

それはね~、男性の作家が多く、心の奥底にある ”スケベ~根性” が原因だろうよ。

男性の目からは女性の裸体に興味が湧くからでしょうね。

女性の肉体の柔らかさ肌の滑らかさより、男性の筋骨隆々とした頑強さに魅力を感じた時代もあった。

とくにギリシャ彫刻などに多く見受けられるように・・・

キリスト教世界では、神話の女神が絵画にしても彫刻にしても多く、

その大半が裸体か半裸体に表わされている。

神々の裸体は良いが、世俗の女性の裸は破廉恥で嫌悪感を催す。

フランス革命以後からは、官能的な絵画や彫刻が制作されるようになった。

ルノアールの女性画でも見られるように、女性のふっくらとした肉体、色白な肌の感触に女性美を見出した。

『 好きだらか描きたい、彫りたい 』

絵画にしても彫刻にしても、芸術とは言え、貴族や一部の金持ちの趣味だった事も見逃せない。

自室に一人籠り、ひっそりと裸体を眺めながら楽しみほくそ笑んでいた時代があった。

動物は子孫を残すと言う本能を持っている。

男性一人に女性十人でも、子孫は残せる。

そんな女性の能力に男性は魅せられたのか?

或いは、女性の裸体が性欲を満たしてくれたのか?

男性作家が多い中、男性の目から見て女性の肉体の美しさに憧れを持っていたのか、

それとも、ただの男性の ”スケベ根性” だけなのか?

『 為政者の ”力の誇示” と、文化人の ”希求する美” 』

米・口の冷戦の再燃も奇遇され、中国の領土進出問題の世間を騒がしている。

太古よりの為政者達の思想・行動を見るにつけ、

”力の誇示” は、人間の闘争本能を見るようでもあり、

また文化人の一端を担う芸術家は、”美” の追求に齷齪としているだ。

徳川幕府が権力誇示の為に、野馬を飼育し、

公園では女性の裸体彫刻が展示されている。

散歩しながら思う事は、「権力と芸術」 の事だった。

”スケベ根性” は男性の特権? 凡人が思う事って、「こんなもんなの~?」


category: 雑感

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山車が行く 

『 祭りだ 祭りだ ワッショイ・ワッショイ 』

2011-10-08 華3226

先日の事、空は晴天、暇を弄ぶには勿体ない日なので、四年ぶりに佐原に車を走らせた。

民間駐車場に車を入れると、年配の料金徴収女性が言うには、

「今日は午後二時半から五時まで、この通りは通行止めになります、それでもいいですか?」 と。

訳を聞くと、「鹿島神宮式年神幸祭り」の行列が街中を通るから・・・」 との事だった。

十二年に一回の式年祭りに出くわすとは、本当に幸運と云うものだ。

今日のカットは、鹿島神宮式年祭りの御幸行ではなく、

鹿島神宮から佐原にやってくる行列を祝い、迎える為の地元の山車行列というものであった。

『 ”遠山祭り” が、祭りの原点 』

2011-10-08 華3227
  佐原市の中心を流れる小野川添いを練り歩く山車

民俗学的に良く知られる ”遠山祭り” は、山村の鎮守の祭りである。

一般的にも仮面の舞いとして熱狂的なファンも多い祭りで、

笛・太鼓で楽を奏で、様々な仮面を被り夜を徹して舞い踊る祭りだ。

興奮状態が覚め白々と夜も明ける頃になると、神は本宮にお帰りになる。

神主をはじめ神官が、神返しの法をしめやかに行い、祭りは終わる。

此の ”遠山祭り” こそ、祭りの原点なのだ。

『 小野川添いに練り歩く山車 』

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佐原は観光地で ”江戸にない江戸” と言われる程、栄えた小江戸とでも言えるのか。

小野川を練り歩く此の祭りは、鹿島神宮式年祭りの前祝いと言う事らしい。

熱狂的な踊りがある訳ではないが、観光客は皆手にカメラを取り、行列にレンズを向けていた。

神霊を迎え祀るいう事は、地域住民の精神生活にとっては、歴史的にも重い意味を持っていて、

本来はよそ者が安易に参加介入が出来るものではなかった。

今後も祭りは続き俗化される事だろうが、安易に世俗に染まらせていけないものである。

『 変わるものと、繰り返されるもの 』

2011-10-08 華3225

山車の前を先導する法被姿のオジサン達。

無事に山車も通過し、腰を下ろし一服。疲れを癒す姿に、自分の歳を重ねる始末だった。

京の都では多くの人々が集まり、新しい衣装や新奇な物が話題に上るが、

矢継ぎ早に流行を追いかけるのではなく、そんな世の中とはかけ離れた遠い所では、

人々は毎年同じ事を繰り返し生涯を送ってもいた。

毎年巡り巡る事なく繰り返される行事に、人生の節目を感じる儀礼でもある。

日本人の生活を支えてきた ”祭り” に、祭りと云うものの意味を又違った角度から見るのも面白い。

『 東薫酒造に見る、山車人形 』

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山車の主役は、最上部に神を祀る形を具体的に表した人形であろう。

「古事記」 や 「日本書紀」 に登場する神々が多い。

其の原型となった人形が、東薫酒造に飾られているが、神の名前は判らない。

日本人は四季折々の季節の循環を敏感に察知し、

耕作の開始時には、豊作を神々に祈り、

作物が生育する間には、旱魃や長雨や病害を恐れ、神を祀り祈った。

そして収穫が始まると豊かな実りに、初穂を神に捧げ感謝を表した。

こうした感謝の祭りこそが原始の ”お祭り” だったのであろう。

豪華絢爛な山車を楽しみながら、”祭り(祀り)” の原点を・・・

太古の祭りに心馳せる楽しみって、「こんなもんなの~?」


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落書きは・・・ 

『 落書きに魅せられて 』

2011-10-08 華3224

先日、散歩の途中でログハウス風のトイレを見つけた。

何やらローマ字と平仮名が意味不明に描き込まれていた。

トイレ内の手洗い場の小窓には、小瓶に飾られた一輪の花がスリガラス越しに見える。

落書きが無ければ、ただ見過ごしていたが、何だか妙に気になりシャッターを押した。

”落書き” は、元々我が国ではお上の在り方や政治を批判・風刺する内容を紙に描き、

地面に落していた事に由来するらしい。

適当に描いた絵で、壁などに悪戯目的で描いたものも ”落書き” と呼んでいる。

『 ”落書き” は、憂さ晴らしなのか? 』

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最近の報道を見ていると、無差別殺人や放火事件等、重大犯罪が多発している。

理由は至って簡単なもので、「ムシャクシャしていた」 と犯人は自供する。

散歩の途中で擁壁に描き込まれた ”落書き” が目に止まった。

歩けばいたる所で ”落書き” に出会う事になるが、全てが悪戯なのか? 其れとも芸術?

”落書き” は、本人にとっては其れなりに満足感が味わえるのだろうが、

人目を避けてまで描きたくなる其の心境は如何なものなのか?

『 ”落書き” は、悲しみと苦しみから生まれる 』

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 落書きばかりを壁に描きながら 今日も生きる

   今はまだデタラメにしか見えないけれど

   明日はどこへ行くのだろう 
   フミヤ (詞・曲)

一般的にみて、あまり美しいとは思わない絵画もある。

芸術が美の追求であり、斬新な発想や表現であるならば、

”落書き” にも、芸術の一端を見出す事が出来はしないか?

とは言え、意識外の意味の無い ”落書き” を描く若者(?)たちは、どう思っているのか。

『 許される ”落書き” なのか 』

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崩れ落ちた壁に剥落したペンキ。上手く利用し、思わず笑いを誘う。

”落書き” は、一般的には法律違反でもあり、許されるものでは決してない。

もし、許される ”落書き” があるとすれば、其れは

遊び心ある、思わず笑え、センスも良く、ユーモアに富んだ作品(?)か。

つまるところ、見苦しく無く目的を内包した精神性があれば ”良い” とでも・・・

下品な人は下品な絵を、馬鹿な人は馬鹿な絵を、下手な人は下手な絵を描けばよい。

つまるところ、自分を曝け出して自分を生かすのが絵なのだから。

『 芸術は、爆発ダ!! 』

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大阪万国博覧会であの巨大な 「太陽の塔」 の作成者・岡本太郎画伯の有名な言葉。

彼は斯く言う、「下手な方がいいんだ、笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃぁ~ないか」と。

上手いか?・下手か? より、楽しいか?・見苦しいか? が問題なのであろう。

歩道と畑の境に築かれた防土石の隙間から顔を出した 「ど根性草」。

元気に育てよ~!!とばかりに、窓から水を撒いている一匹のネズミ。

その傍らには小さな植木鉢まで丁寧に描き込んでいる。

こんな光景に目を止めた人は、果たしてどう思うのか。

「悪戯にして、度が過ぎる」 と思うかしら。

私には、一服の心の清涼剤の如くに・・・

”落書き” の効用って、「こんなもんなの~?」




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最初の開墾地 

『 初 富 稲 荷 神 社 』

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船橋市より13㎞北に位置する、鎌ヶ谷市初富に千葉県北総開墾の地、”初富” はある。

此の地は、無禄化した武士と貧窮民の救済を目指し、牧の開墾事業を興した所。

一番 ”初” めに開墾が行われ、”富” み栄えて欲しいとの願いを込めて「初富」と命名された。

それ以後、開墾順に、二和・三咲・豊四季・五香・六実・七栄・八街・九美上・

十倉・十余一・十余二・十余三、の13の新しい街が誕生した。

『 初富地区の総鎮守 』

初富地区開拓と共に、当地区の御守護と繁栄を願い、

山城の国の伏見稲荷大社より御分神を遷奉し上げ、氏神様として鎮座。

創建は明治二年、稲荷大神は衣食住の大祖神として、五穀豊穣とあらゆる産業の繁栄を拾い、

物品売買を盛んに、商売繁盛の御神德は ”お稲荷様” と言われる所以だ。

『 初富開拓百年記念碑 』

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     「初富開拓百年記念碑」と、右は 「御大典記念碑」 が建ち並ぶ

初富の地は、天是れ小金原放牧場にて、明治二年入植営々開墾、今日の基礎を築いた土地。

入植後、造営の神殿は百年の風雪に耐えたものの、老朽荒廃は避けられず見るに忍びないと、

開拓百年記念に相応しく昭和四十一年新神殿造営を完成、記念碑を建立。

高架線路を通過中の電車は、新京成線である。

『 大師結願供養塔 』

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弘法大師が発願・結願された記念碑なのか?

それとも、八十八ヶ所詣り講での全ヶ寺巡り達成記念という意味なのか?

此処には、四国八十八ヶ所の第十二番 ”焼山寺” の句碑の写しがある。

『 のちの世を 思えば苦行焼山寺 死出や三途の難所ありとも 』

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弘法大師は、『金光明最勝王経』を唱え虚空蔵菩薩を得佛したと言う。

「いろは詩」は、大師の作と言われるが、果たしてそうなのか?

『 色は匂へど散りぬるを(諸行無常) わが世ぞ常ならむ(是生滅法)

  有為の奥山今日越えて(生滅滅己) 浅き夢見じ酔ひもせず(寂滅為楽) 』


”いろは詩” に潜む無常感を唱えたのは、真言宗中興の祖・興教大師覚鑁だった。

『大般涅槃教』 の偈の部分に 「いろは詩」 を見立て、真言密教の底流・無常感を唱えるが、『古今序』では

「色は匂へど・・・常ならむ」 までは、法相の護命が作り、

「有為の奥山・・・酔ひもせず」 までを、空海が加えたものだと言う。

『 度 数 拝 礼 碑 』

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      ”お百度参り” 結願記念奉建なのか?

”お百度参り” は、日本の民間信仰で、平安時代末期より始まり鎌倉時代初期には既にあった事が、

『吾妻鏡』 や 『平戸記』 などで確認される。鶴岡八幡や祇園の社への ”お百度参り” の記述がある。

神仏祈願の為、同一神社や仏閣に百遍詣でる事だが、百日間毎日一回あるいは一日で百回とあるが、

祈願が深刻な悩みや切実なものであれば、成就した暁には ”お礼参り” を忘れずに!!

「いろは詩」 の、”浅き夢みじ酔ひもせず”、

哀しいかな凡人の凡人たる所以、日々浅き夢ばかり見ている。

福島原発爆発事件が起こり、何一つとして解決されていなにのに、

「原発ありき!」 で政治家は民意を無視して法をごり押し。

人間はどうあるべきか?、どうあらねばならないのか? を己の心に問う必要がありそうだ。

いつの世も、現実から目を背け、甘い夢を見ているのは政治家?

弘法大師の夢は、何だったのだろうか? そんな事をふと思った。

夢見る夢子ではないが、凡人の見る夢って、「こんなもんなの~?」 



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報道写真家 

『 国家権力を震撼させ続けた、報道写真家 』

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その名は、”福島 菊次郎”。

ジャーナリスト界で、今となっては伝説の報道写真家となっている。

山口県に生まれ時計店を営んでいたが、商売に失敗し離婚。

三人の子供を抱えて上京し、カメラで身を立てる事となる。

国家権力にお役所仕事に、そしては天皇の戦争責任まで問う問題作を発表。

あまりの激しさに、家を焼かれる憂き目に遭うが、

撮り貯めたネガフィルムは子供が持ち出し難を免れる。

考える事あり、山口県の屋代島(周防大島)からそう遠くない離れ無人島に住む事となる。

病に倒れ、ドクター・ストップがかかり、屋代島に入り自給自足の生活を送る。

少しばかり小高い場所にある自宅の裏庭で野菜を作り、10分ばかり下り坂を歩けば其処は漁港。

ノンビリと釣り糸を垂らし、釣果が有ればその日の夕食にと、日々心穏やかに・・・

そんな彼の生き方に共感を抱き、東京から来た若い女性と同居生活、そして犬一匹と・・・

ある時、菊次郎さんの事を耳にして、共感を覚え大島に何回か会いに行った事がある。

福島氏も悦んでくれ、何時間も和気藹々とした話に楽しい時間を過ごした記憶が蘇る。

『 堅い信念を抱き続け 』

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菊次郎は言う。「問題自体が法を犯したものであれば、報道カメラマンは法を犯してもかまわない」

       「真実が隠され日本全体が嘘っぱちの嘘っぱちだから、

        表に出ないものを引っ張り出して、叩きつけてやりたい」 と。

『 私の写真を撮ってくれ、このままでは死んでも死にきれない。

            仇をとってくれ!!』


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ヒロシマの原爆被害者:中村杉松さんは遺言の様に託した言葉。

菊次郎さんが残した作品集には、

「ニッポンの嘘」 「ヒロシマの原爆症」 「山口県祝い島」 「安保と自衛隊と兵器産業」

「三里塚闘争」 「天皇の戦争責任」 「殺すな、殺されるな」

「死んではいけない、青木ヶ原樹海」 そして、「放射能汚染のフクシマ」等などがある。

菊次郎さんに逢った時、一つのお願いをされた。

山口県宇部市の市民文化会館での作品展「天皇の戦争責任」 開催の依頼だった。

写真展開催を申し込むが、「 ”天皇の戦争責任” ではね~、無理ですよ」と。

全国での写真展の開催は断られる事が多く、協力者も少なかったと苦渋に顔が堅く・・・

『 成田国際空港・三里塚闘争 』

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報道カメラマンといえば、すぐ思い浮かぶのは戦場カメラマンであろう。

ロバート・キャパは誰でもが知る戦場カメラマンで、日本人でも数人の名が浮かぶ事であろう。

菊次郎氏は、国内に多くの問題を抱えているのに、なにも外国にまでと言う。

山口県祝い島の原子力発電所問題にも積極的に取材をし、

人間の科学の智慧で創る原発は、何時かは必ず問題を起こすと、未来を見通してもいた。

現に、福島・東電原発事故は、彼の予言の如くに爆発事故を引き起こした。

政府も行政も東電も、被害者救済には目も向けず、放射能問題にも手が回らい状態だ。

原爆被災の地・ヒロシマでスタートをしたキャリア、その最後の現場として向かった先は、

原子力発電所爆発事故の地・フクシマだった。

『 菊次郎、も一つの顔 』

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異色の報道写真家・福島菊次郎だが、

大島で自給自足の生活を楽しみながら、金銀細工のカザリ職人として自由を楽しんでいた。

小さな昆虫や野の草花をモチーフにし、オパールなどの宝石をあしらい小さな作品を作っていた。

その腕前は、東京のデパートなどで個展を開く程のものである。

国家の責任を追及する報道写真家だから、国からの援助は受けないと年金などは受け取らない。

そんな頑なな信念を持つ反面、宝飾デザイナー・カザリ職人としての優しい一面を併せ持つ。

東京から若い女性が彼の生き方に惚れ、僻地まで付いて来た事も頷ける

『 ペンは剣よりも強し 』

イギリスの政治家・小説家である、ブルワー・リットンの戯曲「リシューリュー」の名句。

時代の生き証人として膨大なネガフィルムを残している。

「自分が死んだら、ネガフィルムは全部、共同通信に寄付する」 と菊次郎氏は言う。

剣より強いのはペンだけでは無い。 現実を写し取った写真もペンよりも強いであろう。

もう30年も前に逢っていた頃の、孤高の報道写真家・福島菊次郎氏との想い出。

福島原発事故問題が一向に進まない事に少々いらだちさえ覚える。

写真の持つ大きな力の一つって、「こんなもんなの~?」



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おすそ分け 


『 秩 父 夜 祭 』

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                             観光HPより拝借

埼玉県秩父市は近くの武甲山からセメントの原料となして産出される石灰石で往時栄えた街である。

夏には長瀞ライン下りで涼を求める観光客が後を絶たない程の盛況ぶりである。

また、毎年12月3日に開催される祭り 「秩父夜祭」 は、

京都祇園祭・飛騨高山祭とならび、日本三大曳山祭(三大美祭)としても有名である。

絢爛豪華な2台の笠鉾と4台の屋台が曳行される。

『 一服の 茶にとけこむ 和の世界 』

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「茶菓一味」 とでも言うべきか。

自然の恵みをあるがままに使い、菓子作り一筋に道を究め、

和やかな気持ちで、人と人とが気持ちを一つにする。其の役目がお菓子なのか。

先日、秩父の方から銘菓 『栗助』 を頂いた。

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『 栗とらやき 』

虎模様に焼き上げた菓子で、”どら焼き” ではなく、”とら焼き” である。

北海道の良質な小倉餡と栗一粒を包んだ逸品。

『 栗 助 』

甘さ控えめに仕上げた白餡の上品さと、栗一粒が満足感を与える。

『 秩父まつりばやし 』

和と洋を包み込んだ和風パイ菓子。

コーヒー餡の旨味と香りが大粒の栗の美味しさを引き立てる。

『 夏柑の香 滲みた指も 洗わずに 』

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秩父のご自宅の庭で、たわわに実った夏蜜柑らしい。

爽やかな酸っぱさが、過ぎし夏の日の想い出を誘う。

酸味が苦手な私。余りの酸っぱさに・・・

”ゆず湯” ならぬ ”夏柑湯” と洒落込んだ。

皮を剥いたその手をそのままに、夏柑と共にお風呂へまっしぐら。

『 貰って嬉しい、あげて良かった おすそ分け 』

幸せの ”おすそ分け” って、「こんなもんなの~?」




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素人の悲しさ 

『 世の中に 絶えて桜の なかりせば

            春の心は のどけからまし 』
 在原業平(詩)

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春は長閑であるべき季節である。

それが花が咲くと言っては心ときめかせ、散ると言っては心配させられ、心休まる暇も無い。

『古今集』 の中の、在原業平の名句である。

昨年年明けに、盆栽屋さんから一鉢の枝垂れ桜を買ってきた。

沢山の薄桃色の花弁が春の訪れを連れてきた。

葉桜を過ぎ、落葉と共に寂しい冬場を乗り切り、春の兆しが見え始めたと言うのに、

此の枝垂れ桜は、悲しいかな僅かの小さな蕾が一つ・二つ・三つとばかりに・・・

既に満開の時期が過ぎ去ろうとしているのに、咲いた花弁は全部で13花弁。

”春の心はのどけからまし” なんて悠長な気分にもなれない。

『 花びらは散る 花は死なない 』

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昨年我が家に来た ”枝垂れ桜”。

10本ばかりの枝垂れに可愛い花を楽しませてくれた。

一冬を乗り切り、小さな蕾が日一日と大きくなるのを見るの程、心豊かになるものも少なかろう。

その桜も、短い命を潔く散らし、”また来年お会いしましょう” と言っているのか。

花びらは散るが、花は散らない・・・今年の春はまた見事に咲き誇る枝垂れ桜に再会をと、

思いは見事に裏切られ、素人が盆栽を育てる難しさを痛感させられた春だった。

『 世の中も 常にしあらねば 宿にある
           桜の花の 散れる頃かも 』



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自然の恵みで四季折々の花々が、目を楽しませてくれる。

梅が咲き、そして散って行けば、桜が咲き誇る季節がやってくる。

自然につれて咲く花に、私の心も移ろっていくものであろうか。

盆栽と言っても、桜にとっては自然の成り行きでは決してない。

手元で植え育てた桜を観るよりも、

野山に咲き誇っている桜の花を観、その眺望を楽しみ心游ばせる方がいい。

大自然を人工的に盆栽として凝縮するよりは、自然に楽しむ方がより人間的であろう。

動物園で珍しい動物を楽しむよりは、大自然な中で活き活きと暮らす動物を楽しむ方が・・・

何事も、”本来の姿に学び、教えられると” 言う事に他ならないのだろう。

昨年と今年の枝垂れ桜に教えられ、学ぶ事は少なくなかった。

盆栽の難しさを知った素人の思いなんて、「こんなもんなの~」


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縄文の昔より 

『 調査捕鯨禁止報道 』

昨日、南極海での調査捕鯨の中止命令が出た。

国際司法裁判では、日本の調査捕鯨に科学的目的を認めないとの事だった。

鯨食文化が残る鯨の町では、食文化を失うと物議を醸している。

日本四大「古式捕鯨の町」の一つに、山口県長門市青海島通(かよい)がある。

下関市は現在でも捕鯨の町として南極海捕鯨の出航港である。

『 日本の名勝地、奇岩が並ぶ青海島 』

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金子みすゞの故郷、長門市仙崎町より橋を渡ると、其処は紺碧の海に浮かぶ ”青海島” である。

その最東端に古式捕鯨の里 ”通(かよい)” は位置する。

調査捕鯨禁止の判断が下された報道に、”通” の漁師宅に泊まり込みで、

「くじら資料館」設立のための写真撮影をした事を想い出した。

鯨が泳ぎ通る海の道の撮影では、小さな漁船で沖の岩場で撮影。

4×5インチのカメラを岩場に立てての撮影は、波しぶきを避けながらの撮影だった。

大海原の此の写真はモノクロで、横2m 縦1m 余りのパネル貼り。

その他には、捕鯨に従事した漁師の子孫や町の人々の写真を四つ切モノクロで20枚ばかり展示。

”通” の老若男女の人物写真をとおして、捕鯨の漁港の雰囲気が少しでも感じ取られればと・・・

『 ”通”の くじら祭り 』

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”通” では毎年夏になると、「くじら祭り」が催される。

実物大の張り子の鯨は、圧縮空気を使い背中(呼吸器)から海水を噴き上げる様に仕掛けがあり、迫力満点だ。

『 古式捕鯨の絵図 』

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捕獲される鯨は、小さな子鯨であったり、傷つき弱った鯨が多かった。

山の上の見張り台から沖を通る鯨を見つけ、港の漁師に合図を送る。

小さな木造船に網や銛を積み込み、20船ばかりで鯨を取り囲み、銛を打ち込み網を掛ける。

捕獲した鯨は浜で待つ漁師や男衆により解体される。

一年に5・6頭の鯨が捕獲されるが、其の肉や油は島民の貴重な食糧であった。

砂浜の一角には解体された鯨の骨が丁重に埋められている。

『 く じ ら 墓 』

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浜の小高い場所に、曾て捕獲された海原が見渡せるようにと 「くじら墓」 は建立され、

島民の血となり肉となってくれた鯨の霊を供養している。

『 鯨 鯢 過 去 帖 』

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母子鯨もしばしば捕獲された。胎内の水子鯨には戒名は授与していないが、

享保四年(1719)から天保八年(1837)までの約120年にわたって、

人間と同じように捕獲した母子鯨に戒名を授与し、種類・場所・捕獲した組名・年月日を記録。

過去帳は全四巻あったと考えられているが、現在では本物は一巻のみ、

第一巻は欠失、第三・四巻は写し、第二巻のみが実物として残っている。

『 捕鯨文化は縄文時代から 』

縄文時代の出土品の中に、鯨の骨を見る事はしばしばである。

仏教が伝来した時代は、その教えより牛や馬・山羊の肉食は敬遠されたが、

鯨は海の魚の一種と考えられ、食料として貴重なタンパク源であった。

「鯨鯢過去帖」 は、世界広しと言えども何処を見渡しても、此処 ”通” にしか無い稀有な物なのだ。

捕鯨文化は、誇るべき日本の食文化精神なのである。

調査捕鯨は名目で、商業捕鯨だと裁判所は判決を下したが、

畜産動物は食糧にしても良いとは、何と人間の身勝手な事なのか。

穿った見方をすれば、白人が有色人種を差別する精神が心の奥底に横たわってはいないだろうか?

捕鯨禁止判決に思う事って、「こんなもんなの~」



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