Admin New entry Up load All archives

こんなもんなの~?

趣味の写真を添えて、日々の『戯言』を・・・

担ぐ・・・ 

『 駕籠に乗る人、担ぐ人 』

2011-10-08 華3588

公園を散歩していると、落ち葉を払い捨て場へと運ぶ人がいた。

”担ぐ” と言う言葉には、色々な意味の行為があるな~! とふと思った。

政治家の世界も忙しく慌ただしい。 選挙に出る人、それを ”かつぐ” 人。

物を持ち上げて肩に ”かつぐ” 人。

京都をはじめ、夏祭で、神輿を ”かつぐ” 人。

夏休みが終われば受験もまじか。 合格に験を ”かつぐ” 人。

からかわれ一杯食わせられる、人に ”かつが” れる人。

『 ”かつが” れる、宵にしげしげ 裏へ出る 』

婦女子を誘拐する。 こんな ”かつが” れ方は、御免蒙りたい。

最近では、ストーカーも多発し、幼い女の子の誘拐殺人が後を絶たない。 怖い怖いご時世だ。

気を付けよう、人に ”かつが” れない様に、ご注意・ご注意!!

”かつぐ” 行為を眺めながら、思うは日本語の難しさと面白さ。

散歩の面白さって、「こんなもんなの~?」



スポンサーサイト

category: 雑感

CM: 6 TB: --   

姉子天気に・・・ 


『 空に三つの、廊下あり 』

「 降ろうか、照ろうか、雲ろうか 」 有名な天気用語だが、言い当てて妙である。

今年の梅雨は、梅雨前線が停滞し、地上と天上の大気温度差が40℃を超えているという。

梅雨明けも近いが、晴れたり曇ったり降ったりで、何ともウットシイ日々が続いている。

こんな天候を、「姉子天気」 とも言うらしい。

” 女心と秋の空 ” ならぬ、若い女性の気の変わりように喩えたのであろう。

空を見上げて思案しても仕方がないので、カメラ担いで散歩に出かけた。

『 最近の若者は・・・』

2011-10-08 華3580

・・・なんて言葉を溢すのは年老いた所為なのか?

右を向いても、左を見ても、何処もかしこもスマホ・スマホ。

我が家の近くには、多くの保冷倉庫が立ち並んでいる。

朝の散歩を楽しんでいると、夜勤明けの若者達が、(その多くは外国人だが)、

芝生にジベタリアンが頻りとスマホを見ている。何をしているのか?は お節介な事だが、

寝ても覚めても、スマホに首ったけとは、少々考えさせられるね~。

『 もし、もし、ゴクラクトンボさん・・・ 』

2011-10-08 華3583

呑気者を ”ゴクラクトンボ”と言う。

早朝のベンチで眠りを貪る男性に出会った。 ”ゴクラクトンボ” なのでろうか?

ところで 「呑気」 とは、当て字であって、本来は禅宗の言葉である。

新たに入寮した小僧が、古参の僧侶に茶菓子を振る舞って挨拶する言葉、「暖寮」 である。

転じて、「暖簾」 となるが、元々は禅宗の寺で風よけとして、布で覆った簾を掛けたのである。

まぁ、そんな事はどうであれ、「呑気」 と云えば酒飲みが喜びそうな字面である。

「呑気」 は 「暖気」 と変遷。「悠気」 とも言い、”気が長く、のびのびしている” 事だ。

”もし、もし” と声でも掛けようかと思った朝の光景の人コマ。

『 なまじい心無く・・・ 』

2011-10-08 華3582

『 朝戸開けて もの思う時に、 

          白露の置ける夏芝見えつつ ”もとな” 』


寝起きに窓を開けて、今朝の天気はどうかな?

昨夜の雨も上がり、朝露に濡れた芝生を行けば・・・一匹の野良猫に出会った。

お出で、お出でと声を掛けるが、何が不安で心もとないのか? 近寄らない。

人の心も知らない為方な野良猫だ、なんとも ”もとな” な所作に・・・

長く憂鬱な梅雨も終わりを告げ、夏の暑さにウンザリする日々を送るのか?

そう考えながら散歩していると、考えさせられる光景を目の当たりにする。

考えてみれば、暑い・寒いは人間の我儘。犬も猫も我慢をしている。

根性なしの人間の感覚なんて、「こんなもんなの~」



category: 雑感

CM: 6 TB: --   

暑中見お舞い 


   暑中お見舞い 申し上げます


image11_201407041933580b4.jpg

category: 雑感

CM: 2 TB: --   

借りますか? 

『 ”みかけ” と ”なかみ” 』

2011-10-08 華3587

最近、毎日車を走らす路地で見かける古民家(?)が気になっていた。

”みかけ” に拘り過ぎて、”なかみ” が見抜けない事は世の常だ。

とは言え、”みかけ” は大事な事であるが、どう ”みせる” かが問題である。

デュアル・スタンダードといえば、”みかけ” と ”なかみ” がかけ離れている事を言う。

此の事が、正体をますます難解なものにしているのが事実だ。

此の古民家(と言うより、崩れかかっているボロやと言うべきか?)の前を通るたびに思うに、

”みかけ” と ”なかみ” の違いが、日本を難解な国にしているのでは?・・・

『 有為転変は、世の習い 』

2011-10-08 華3584

世の中の諸々の事象は ”仮” のものであり、移ろいやすく無常なものである。

昔は大きく立派だった筈のこの家も、今では全くミスボラシイ ”みかけ” と成り果てた。

「キケン!!」 の張り紙をしなければならない程、朽ち果てている。

屋根からは瓦が落ちてくるようだ。

毎月、月末にはサラリーが振り込まれてきて、これで一安心と思うのも束の間、

色々な引き落としや集金の支払いに追われ、通帳の残高はアッと言う間に減額する。

もことに此の世は無常であり、”無情” でもある。

『 二階貸します・・・』

2011-10-08 華3586

『 二階貸します お望みならば、下も貸します 後家じゃもの 』

いやいや、そう云われても ”瓦が落ちる” 家だもんね~

とは云え、今の俺には彼女がいないのも事実だもんね~。 後家でも居ないよりましかな・・・

てな風流な事ばかり言っていられないご時世となった。

関東大地震に匹敵する災害が、いつやって来ても不思議でない昨今だ。

出来ればも少しマシな棲家を探そうか、後家がついてこないかも知れないが、ここは一つ我慢のシドコロだ。

”みかけ” が悪くても、”なかみ” が良ければ、それでイイではないか、後家が居て呉れればね。

そんな他愛もない馬鹿な事を思いながらシャッターを押した今朝だった。

”みかけ”より、”なかみ” って、「こんなもんなの~?」



category: 雑感

CM: 6 TB: --   

ほくそ笑むのは、誰だ!! 

『 バイオリズムの狂いなのか? 』

何となく体調不良なのか バイオリズムの狂いなのか?

散歩も怠け、写真も写す元気なし、当然ブログなどUP出来なかった。

久し振りに朝早く、と云ってもAM5:30だが目が覚めた。

重いカメラを肩に出掛けてみたが、撮影意欲など湧く筈もなし。

以前から見かけていた共産党員宅のポスターに、ゴーヤが巻き付いた窓に、

ブログUP用にと、しぶしぶレンズを向けた。

『 法律が、被害者を泣かせる 』

2011-10-08 華3578

連日の報道を見ていると、世の中一体どうなってるの~? との思いで一杯だ。

昨日は、鹿児島川内原発が再稼働されそうなと、TV画面一杯に流れていた。

先日は、小学5年生の女の子 ”咲良” ちゃんが行方不明に、誘拐された疑惑でもちきり。

教育産業界最大手のベネッセでは、顧客情報が流出し、

相も変わらず、”俺おれ詐欺” まがいの手口で被害者続出。

多方面にわたり悪事が絶えない我が国・日本と情けないのが現状だ。

何時も泣きを見るのは ”被害者” で、陰でほくそ笑むのが加害者である。

何が、誰が、被害者を産むのか?

答えは、立法責任者である政治家と、現行の法律。

法律は、加害者を助け、被害者を泣かせる為にあるのだろうか?

『 軒を貸して、母屋を取られる 』

2011-10-08 華3579

窓は風を通し室内の換気には重要な役目を果たす。

夏の暑さ防止の為に、緑を植えよう運動も一般に浸透してきたが、

その目的で朝顔が植えられているのであろうが、

この窓は北向きなので日除けの役目は果たさない。

一見して涼しそうに見える朝顔であるが、換気の邪魔をする。

「軒を貸して、母屋を取られる」 そんな事がふと頭を過った。

穿ったモノの見方をする偏屈って、「こんなもんなの~?」




category: 雑感

CM: 4 TB: --   

怠け心 


『船橋親水公園、朝の寸景 』


2011-10-08 華3571


2011-10-08 華3570


2011-10-08 華3568


2011-10-08 華3569


2011-10-08 華3572

と、言う事で、今日の感想はありません。

台風の影響もなく一安心でした。

暫く、記事のUPも遅れると思います。

怠け心って、「こんなもんなの~?」

category: 雑感

CM: 7 TB: --   

期待は、見事に・・・ 

『 筆を折るか、折るまいか? 』

michi(f)[1]

”やはり来てよかった” と、声に出して言った。 東山魁夷画伯の告白。

十数年前の道は荒れているが、昔のまゝの姿を見せ、向こうの丘へと続いていた。

夏の朝早い空気の中に、静かに息づくような画面にしたいと思った。

この作品の象徴する世界は、私にとっての遍歴の果てでもあり、また新しく始まる道でもあった。

それは絶望と希望を織りまぜて、はるかに続く一筋の道でもあった。

昔に聞いた事があった。

”この作品が受け入れられるか? そうでないか? で、今後の画家人生を決める、と・・・

『 市川市東山魁夷記念館 』

2011-10-08 華3559

日本画壇で文化勲章を受章した画家は沢山いるが、其の中でも魁夷画伯は最も有名な一人である。

美術館の展示場は、一階部分が魁夷の人生物語で溢れ、二階部分が狭いながらも作品展示場所。

ヨーロッパ建築の雰囲気を伝える此の建物は、魁夷没後六年後に建てられた。

『 苦い想い出 』

35年前の事であるが、思い出しても腹立たしい想い出が蘇る。

ある日本画のコレクターから東山魁夷の作品、「白馬の居る湖畔」 を売って欲しいと言われ預かった。

銀座の画廊でその話をしている時、一人の男性が話に側耳を立てていた。

画廊を後にして隣の喫茶店で一休みしていると、その男性が入って来た。

彼曰く、「魁夷画伯の作品を探している客がいる、私は千葉の画商で紺野と云います、売らさせて欲しい」 と。

少しばかり躊躇したが、私の妻が千葉県出身なので、何となく信用し、同伴なら応じると言った。

購入希望者の所に同伴すれば、彼が話し難いと思い、私は車で待機していた。

一時間後に、「1200万円で売れましたが、代金は明日支払したい」 との事だった。

明日の再会を約束して別れたのであるが、それ以後、”ナシのつぶて” となった。

名刺の場所にも居ず、母親の元を訪ねると、

「今までに何度も田畑を売り払って弁済してきた。

 どうにもならなに息子だから、好きにして」 との始末。

預かったコレクターに、支払約束の800万円の弁済と相成った。

東山魁夷の名前を聞けば、いつも此の一件を思い出す。

『 出したお金に満足 』

2011-10-08 華3560

美術館は、展示室の他、多目的室、ミュージアム・ショップ、カフェ・レストランで構成されている。

ギャラリーを一巡して思うことは、正直 ”ガッカリ” という感想だけだ。

理由は、展示作品の殆どが複製画であった。 そして数も少ない。

絵画コレクターの中には、作品の良し悪しを言うよりは、

有名画家かどうか? 価格はいくらか? 

此の絵は〇〇円で購入したと、出したお金に満足するコレクターも多い。

画商が喜ぶコレクターである。 

『 パン画という絵画 』

2011-10-08 華3561

休憩したカフェ・レストランでのコーヒー・カップ、魁夷画伯の代表作 「道」 の絵柄が。

画家の中には、”パン画” という絵を描く人も多い。 パンを買う金を稼ぐ為である。

有名画家でも、多作・寡作と色々であるが、 パン画は描かず頑張る事が大切だ。

物故作家であるが、院展系の大家M画伯は多作の画家だったが、

その弟子には、「売り絵は描くな。寡作がイイ」 と。

結果、今では超有名画家で文化勲章・芸術院会員でもある。 素晴らしい独自画風の作家である。

『 画商には、二通りある 』

2011-10-08 華3563

一杯のコーヒーで喉を潤し、カフェ・テラスで一休み。

京都三条と東京九段で、日本画の画商をしていた頃の想い出にしばし耽っていた。

東は東京 「日動画廊」 西は大阪 「フォルム画廊」 が有名である。

本来の画商の在り方で、将来性を見込み、生活費を面倒見ながら育てる画商だ。

生活費といっても、何百万円から数千万円というお金を・・・

画家は画商が希望する作品、一年間で何号の絵を描く約束を。

集めた絵画は、画家が名を成し、値段が高くなるまで埋蔵している。

世の中に陽の目を見た時には、画家は有名になり、画商は大儲け!!

一方では、ほとんどの画商であるが、流通している画家の作品を扱うだけである。

画家と親しくなれば、画家に画料を預け、作品が仕上がるまで待って、売却と。

商売の方法は色々あるんだよね~、「人生、いろいろ。画商も、いろいろ」 という事でしょう。

『 人 柄 が 滲 む 』

2011-10-08 華3562

東山魁夷画伯の画風には、静謐が溢れている。

常に己を見つめ、心の侭に描いた作品には高貴さが漂う。

帰りがけに、ふと見返えれば 「去りゆく人に、しあわせを」 と・・・

複製画とは言え、魁夷画伯の作品から受ける印象には、誰しも満足感を覚える事でしょう。

僅かな時間だが、東山魁夷ワールドに浸れた事への歓びを携えて帰路についた。

一時の歓びなんて、「こんなもんなの~?」



category: 雑感

CM: 0 TB: --   

三つの ”しあわせ” 

『 幸福は、常に断片として・・・』

混沌とした世の中で、人は己の存在を厭世的に考えるものであるが、

では、幸福感は何処から得られるのであろうか?

日常の中で、身の回りには安堵感を覚える事象は、何処にでも転がっている。

運命の神に弄ばれつつ幸福を希求する事は、惨めさを感得するだけでしかない。

最近見つけた、小さな幸福を三つばかり拾ってみた。

『 仄々とした幸福 』

2011-10-08 華3548

私が棲む処には散歩に相応しい公園があって、良く手入れされた樹木が佇み、

砂場の近くにはブランコや滑り台が、子供達の遊び場になっている。

会社への行き帰りに、サラリーマンが煙草を吸う為の場所でもあり、

ゴミ箱には、スポーツ紙やエロ雑誌や空の弁当箱やペットボトルが溢れている。

そんな公園で遊び疲れた女の子が家路につく時、

ふと立ち止まった所に白く塗装されたポールが車道と歩道の間に立っている。

片腕がとれたシールは要らなくなったのか? ポールに貼り付けられている。

騒々しい世の中で、小さな命が奪われる事件が後を絶たないご時世となった。

ふと見つけた片腕の無いシールを見つけ、思わず微笑んだ。

物欲・金銭欲・名誉欲に満たされれば、其れはそれとして幸福なのかも知れないが、

日常、ふと目に留まるこんな光景にも、”しあわせ” をかんじるものである。

『 元気を取り戻させる幸福 』

2011-10-08 華3552

マンションのコンクリート・スロープの繋ぎ目から、一本の草が生えている。

瑞々しい緑の葉に、赤い茎が美しく見えた。

人生の中では、悩みや絶望に煩悶する事もあるだろう。誰の身にも起こり得る事だ。

幸・不幸と言った概念が成立するのは、己が幸・不幸を恰も言葉遊びの如くに行うからである。

人生に失敗は付きものである。

あぁ~、もうだめだと気力を失うことなく、なにくそとファイトを燃やすべきである。

「七転び、八起き」 との格言がある。

何処からともなく飛んできた一粒の種が、コンクリートの繋ぎ目を探して

奮起し困難に立ち向かった結果、新しい命を繋ぐことが出来た。

古稀を過ぎ、体力の衰えを覚えるのは仕方ない事だが、

「気力を振り絞って生きろ!!」 と、新芽の草が励ましてくれる。

『 並な生活こそ幸福 』

2011-10-08 華3558

公団住宅には多くの駐車場が設えてある。

其の中には、車検が切れ放置されたままの車も何台かある。

「車検を受けませんか?」 との宣伝の紙がフロント・ガラスに挟んである。

車検が切れ、乗る事も出来ず放置しても、駐車場を借りているいじょう料金は掛る。

それとも、駐車場料金が未払いのまま、何か月も何年も放置しているのか?

私は今、軽自動車のスズキ・アルト エコに乗っている。

テレビ・コマーシャルで、アイドリング・ストップ付で、1L で 35km に思わず購入した。

日本の自動車メーカーの表示は、何事につけ甘い・甘い評価をする傾向がある。

実用燃費は、高速道路と市街地を半々。 一か月1000Km、半年乗って 1L で 20㎞ である。

まぁ、そんな些細な事はどうであれ、車検を切らせた事は無い。

高級車で車検を切らす不幸より、軽でも乗れる方が、より益しであり幸福であろう。

幸福なんて、「こんなもんなの~?」



category: 雑感

CM: 4 TB: --   

老いの哀しさ 


『 命あるもの、必ず滅するの理 』

2011-10-08 華3546

天雲の去きかへりなむもの故に 思いぞ我がする 別れの悲しみ

あれ程好んで乗ってくれたのに、別れてこんな目に遭うなんて なんと悲しいことなのか。

『 花に風あり、月に雲あり 』

2011-10-08 華3550

事もなく 生き来しものを老奈美に かかる仕打ちに 吾は哀しむ

何事も無く今日まで元気に働いてきたのに、どぶ川に投げ捨てられるとは、なんて哀しいことよ。

嘆き悲しむ自転車の声が聞えるようだ。

『 楽しみの後に、苦しみあり 』

2011-10-08 華3547

過ぎにし子らとたづさわり 遊びし日々を 思えば悲しも

あんなに楽しく遊んだのに、 もう飽きたと捨てられる身の悲しさよ。

歩けば何処にでもある光景だ。

飽きた、要らない、という運命に遭えば、こんなにも痛ましい目に遭わなければならないのか。

六趣の依身は、例えば月の廻るが如く 三界の果報は恰も鳥の翔るに似たりと言う事なのか。

幼化の命葉忽ち堕つとは、「こんなもんなの~?」



category: 雑感

CM: 2 TB: --   

古民家が好き 


『 記憶の彼方に・・・』

2011-10-08 華3538

古民家の裏手に回ると台所の窓越しに、昔懐かしいアルマイトのヤカンが見えた。

そう云えば、我が家では今でもこの手のヤカンを使っている。 

漢方を煎じる為に、そして熱効率が良いのでお湯を作るのにも。

窓枠が木製なので、何故か昔の光景を見るようであった。

『 分限者の棲家か 』

2011-10-08 華3536

この家は一見、農家なのか? と思うが、一般の農家にしては少々立派過ぎるか。

だって、三和土も見当たらないし、玄関も大き過ぎるうようだ。

『 この人は、だ~れ? 』

2011-10-08 華3539

近くに此のモニュメントが立っていた。

誰なのか? 気にもせずいたが、今になって思えば、此の民家の持ち主だったのか?

「くさぶえの丘公園」では、鈴木省三・生誕100年祭が開かれるという。

”ばらの夢を未来につないで” をモットーにバラ作りに精鍛込めた方なのであろう。

此の方の家であれば、なるほどと思える民家である。

『 親の脛かじり 』

2011-10-08 華3537

民家のあちらこちらと傷みが出ている。

このカットを眺めていると、随分傷んでいて、思わず ”親の脛かじり” と言う言葉が浮かんだ。

古く痛々しく見える古民家。 脛をかじられた親も、歳おえて痛々しく見える。

想い出せば、私も若かりし頃、よく親の脛をかじったものだった。

『 日本人である証なのか 』

2011-10-08 華3540

家の裏手には立派な井戸があり、釣瓶を落とせば飲み水にも使えるのか?

夏になれば、バケツやタライに汲み上げ、キュウリやトマト、スイカにウリ・・・

何処の家庭でも見られた夏の光景だったが、便利な電化製品のお蔭で、

今となっては遠い陽炎の様な記憶にしか見る事も出来なくなった。

古民家を訪ね想い出に耽る楽しみって、「こんなもんなの~?」



category: 雑感

CM: 5 TB: --