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こんなもんなの~?

趣味の写真を添えて、日々の『戯言』を・・・

唯心造・・・ 

『 写実から抽象へ・・・』

写真が発明されて久しくなる。

当初は風景や人物や物を、在るがままに写し撮ることが写真の第一目的だった。

その後、機材の発達により、かの有名な 「決定的瞬間」 的な、スナップ写真へと発展。

以後、写真の世界は自己の感性の表現へと進化を遂げる。

その多くは絵画の世界に影響を多大に受けながら・・・

現在では、銀塩写真からデジタルカメラのお蔭で、表現世界は各段に広がった。

フォトショップなる加工技術ソフトの出現により、その変化は多様化したが、

脳が感じ取るままの表現と言うより、ソフトによる意外性に冒された、

”創らされた作品” が多い。


2011-10-08 華3633


『 この世界のものや現象は外界に存在するのではなく、

      すべて自らの心が作り出したのである 』


視覚により受ける現象は、心において顕現したものであれば、

目の前に在る景色や物は、全て脳が感じる錯覚や妄想にも似ている。

花を花として、在るがままに映しとる事とは事を異にする。

脳が受け取る感受性では、在るが侭の世界とは決して同じ現象ではない。

其の脳が知覚した現象(錯覚や妄想)を、芸術の世界まで消化させる人を芸術家と呼んでいる。

一輪の花を、どのように感じ取るかは人それぞれだが、

心の感じるままに表現する技術を兼ね備えた人が、芸術家なのであろう。

今回の花の写真は、感じるままに創り上げた一枚の写真である。

勝手気ままに感じる心の侭に・・・『唯心造』 の世界の表現が生み出した作品である。

一輪の花を目の当たりにしても、作品に仕上げるのは、十人十色という事。

芸術的表現って、「こんなもんなの~?」



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category: 雑感

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犬を飼うって事は 

『 ”野良” だったの? 』

2011-10-08 華3630

いやいや、そうではアリマセン。

日本画家の関西の雄、竹内栖鳳画伯の名画、「炉邊」 足立美術館所蔵

囲炉裏端で使う、火鈎棒(?)が脇に描いてある。芸が細かいですね~。

昔、美術館で鑑賞した、ピカソの名画 「泣く女」 では、女の目に特徴があった。

見方によれば、悲しそうにも、恨めしそうにも、何かを問いかける様にも見える、特徴ある目だった。

”目” 一つに、女性の悲喜こもごもが描き込められている。

栖鳳画伯の此の子犬の ”目”。

嬉しいのか?悲しいのか? なんとも言えない憂いを含んだ ”目”。

いやいや、暖炉の傍で温まり、ボ~としているのでしょう。

人懐っこく、ほのぼのとした此の ”目” みていると、思わずお出で!!と声をかけたくなる。

野良だったのか? なんて疑う余地も無い。血筋・育ちはどうでもイイ、

ただただ、手元に置いて飼ってやりたくなる、そんな ”目” つきだ。

画家が愛情をもって描き上げれば、当然 ”目” は複雑さを増すのだろう。

ピカソも栖鳳も、描かれた絵より人柄が伺える素晴らしい画家だった。

『 心の癒しだけ? 』

IMG_0062rara.jpg

名前は、「らら」 と言う。我が家の飼い犬、所謂 ”ペット” である。

何が出来る出訳でもナイ。ただ愛想を振りまくだけの ”ペット” である。

朝夕の食事の時、「散歩に行く~?」と声を掛ける時、”レン”に会いに行く時、

そして、私が外出から帰った時、千切れんばかりに尻尾を振り回す。

その嬉しさに、飼い主も嬉しくなる・・・それが ”ペット” なのであろう。

『 救助犬? 介護犬? 』

2011-10-08 華3629

報道では、福島・原発事故での被害者の女性が、自ら命を絶ったとある。人生半ばでの事件の様だ。

兎角、因果関係を争う裁判だが、今回の判決には感心した。当然の事ではあるが・・・

また、広島での山崩れでの被害者の多い事。

早い救済が叫ばれるが、それも叶いそうにない。

だって、あの原発事故での被害者救済も無いに等しい現状を見れば、誰でもそう思う。

土砂崩れの現場で、一匹の犬の活躍が報道された。

野良犬だったが、訓練を受け救助犬として育てられ、生き埋めの人の場所を教えたと言う。

「救助犬? 介護犬? 麻薬犬?」・・・いやいや、我が家の (娘宅の )此の犬は、そのどちらでもナイ。

今年の年初に捨てられた野良犬だったが、ある所から頂いたものだ。

人に怯え、音に怯え、まったく寄り付かない状態だったが、

愛情を掛け、優しく育てたお蔭で、今では懐っこい愛犬に育ち、今ではペット犬となった。 

名を ”レン” という我が家の曾ては野良犬だが、

広島での救助犬と我が家の ”レン” とが、重なって見えてくる。

救助犬でもなく、麻薬犬でもなく、介護犬にもなれないペットとしての野良犬だが・・・

それでイイ、それで結構、 元気で居て呉れさえすればと思う。

ペットとして飼われる犬、救助犬や介護犬や麻薬犬として活躍する犬たち。

色々な役目を科せられているのだろうが、心の癒しも役目の一つなのか?

犬を飼うって、「こんなもんなの~」





category: 雑感

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手土産は・・・ 

『 たちばなの散歩道 』

2011-10-08 華3631

いにしえの古代より伝わる地名には、当時の面影が偲ばれる。

ここ神奈川にも 「古事記」 や 「日本書紀」 の時代の神話より伝わる地名が数多く残っている。

日本武尊の妃・弟橘姫ゆかりの地・・・ 古代橘の産地・・・ と、どちらからの命名なのか?

現在の川崎市北部から一部横浜市に跨った地域を、武蔵國橘樹郡橘郷と呼んでいた。

『 往時を偲ぶ散歩道 』

promenade_map[1]

「たちばなの散歩道」 は、川崎市高津区・宮前区の遺跡や史跡を巡る、

総延長約5㎞の遊歩道の事で、往時を偲びながら、のんびりとした散策を楽しむ事ができる。

子母口貝塚~蓮乗寺~橘樹神社~伊藤家長屋門~富士見台古墳~

能満寺~影向寺~野川神明社~梶ヶ谷公園・・・続く遊歩道である。

『 散策の余韻を、銘菓で楽しむ 』

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鶴見・六郷渡場を渡り東海道に出れば、川崎宿・奈良茶飯があり、少しばかり足を延ばせば大師河原平間寺。

加瀬・白山古墳を通り過ぎれば、散歩道一番の古刹・影向寺が格式高い威容を誇っている。

目立ちはしないが影向石が疲れた体を休めるのに都合がイイ。

少し南に足を延ばせば、江田・真福寺があり、釈迦の立像が迎えてくれる。

大山街道を越せば、北に弘法の松があり、王禅寺があり、北原白秋の詩碑が見える。

「銘菓・たちばなの散歩道」

菓子匠 ”末広庵” では、「たちばな」 にまつわる話を、

菓子に託し歴史散歩を楽しんで頂きたいと 銘菓 「たちばなの散歩道」 を創作したものである。

いにしえの古代より伝わる薫香風雅をお菓子に託した逸品。

詰め合わせは、大師祈願もなか・来福焼き・惣之助の詩・大栗ひとつぶ の四種類である。

『 甘き栗菓 くれたる人の 影やさし 』

手土産は、贈って楽し、貰って嬉しい。

人の気持ちって、「こんなもんなの~?」


category: 雑感

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猫・ねこ・ネコ 


『 猫・・・竹内栖鳳 ”班猫” 』

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                      山種美術館所蔵 重要文化財

栖鳳が沼津に滞在していた時、偶然に見つけた近所の飼い猫。

八百屋さんのオカミサンが飼っていた愛猫だが、

その姿を見るや否や、中国南宋時代の徽宋皇帝が描いた猫を起想し、

絵心が掻き立てられた栖鳳は、交渉の末譲り受ける事となった。

京都に連れ帰り、日夜画室で自由に遊ばせながら、丹念に観察した。

写実主義の画伯が描き上げた渾身の一枚が、此処に出来上がったのである。

『 ねこ・・・番する黒ねこ? 』

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「谷・根・千」 で有名な江戸の下町。 その谷中に散策を楽しんだ。

古井戸のある細い露地を曲がると、目の前の黒猫と目が合った。

犬は首輪を付け繋いでおくが、猫に首輪とはね~。 猫に小判なら解かるのだが・・・

日本中、何処へ行っても野良猫の姿に出会う事ができる。

去勢や避妊手術を受けない野良猫だから、苦情の絶える事もないようだが、

さてさて牡か雌か判らないが、此の黒猫は手術を受けていないので、

自由に外を闊歩出来ないのであろうか? それにしても繋がれる身とは悲しいね~。

『恋猫や 答える声は 路地の奥』

頸に綱とは侭ならぬ、恋がしたくても侭ならぬ。と言ったところなのかね~。

『 ネコ・・・哲学者然として 』

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デカンショ デカンショ で、半年暮らす

「デカンショ節」 で有名な、デカルト・カント・ショーペンハウエルであるが、

其の囃子の根拠は、「出稼ぎしよう」 であるとも言われる。

或いは、鳳鳴出身の学生たちが三大哲学者の名の頭文字を取ったもので、

東京第一高等学校の生徒寮の学生に伝わり、次々と東都の学生間で愛唱されるに至った。

その「デカンショ節」 は、古くから唄われてきた盆踊り唄 「みつ節」 が起源なのか?

   盆のお月さんは まんまる こてまるい

   丸てまんまる こて尚まるい  ヨーイヨーイ ヤットコセ

   破れふんどしゃ 将棋の こまよ

   角と思たら 金がでた   ヨーイヨーイ ヤットコセ

   寺の和尚さんが ばくちに まけて

   いのか 走ろか 寺売ろか   ヨーイヨーイ ヤットコセ

不安なのか? 憂鬱なのか? それとも ”人間とは” と、哲学しているのか?

野良の猫ではあるが、綺麗さっぱりすれば、哲学者然とした風貌である。

『人間、この悲しき生きもの』 哲学するって、「こんなもんなの~?」



category: 雑感

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早朝散歩を・・・ 


『 呆 れ 顔 ? 』

2011-10-08 華3625

筑波学園都市の近くにある ”蕎舎” を、5回に亘り紹介した。

何事も、「程ほどに・・・」 と言われている。 5回は少々多過ぎたきらいがある。

庭先で遊んでいたのか? 餌を啄んでいたのか? 烏骨鶏(飼い主の弁では)も呆れて、

「もう、こ結構~」 と声を張り上げている様だった。

『 久 し 振 り に・・・』

2011-10-08 華3622

お盆の休暇も今日で終わり、明日から仕事に忙しくなる。 私の事では無いのだが・・・

久し振りに今朝は AM4:30 に目が覚め、カメラを肩に早朝散歩に公園を一周してみた。

谷津干潟から船橋港へと続く水路の一か所に、少しばかり広くなった処がある。

今話題の”ホンビノス”(?)と言う、バカ貝程の大きさの貝が生息している。

引き込まれる水路には、エイも沢山来るが、スズキやボラも遡上する。

今朝は一人だが、多い時には5人ばかりが貝や魚を獲りに来ている。

『 あれから一年が過ぎたが…』

2011-10-08 華3623

公園の外周は遊歩道になっていて、近くの工場へ勤める会社員の通路にもなっている。

昨年の6月に、静かな此の遊歩道で殺人事件が発生した。

会社帰りの年配のご婦人が、何者かの手に掛り尊い命を落とす事となった。

月命日には、会社の人が花を手向けに来ているが、未だに逮捕の手掛かりすら無いようだ。

”おみやさん” と言うドラマがあったが、お宮入りなんて事にならねばイイのだが・・・

『 警戒心が強い ”のら” 』

2011-10-08 華3624

今年の春にでも生まれたのであろうか? まだまだ子猫である。

この子猫に瓜二つの懐いた ”のら” がいて、勝手に ”ミー” と名付けていた。

散歩の足音を聴き、草叢からニャ~と甘えた声で駆け寄って来ていたが、

その ”ミー” の子供と思われる此の子猫は、猜疑心旺盛でカメラが嫌いな様だ。

何とか一枚写せはしたが、無愛想に横を向く。 可愛くないね~!!

暫くブログをサボっているとUPする記事の拙さって、「こんなもんなの~」


category: 雑感

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”蕎舎” 其の5. 


『 嬉しいことも 悲しいことも みな知ってる時計さ

          今も チクタク チクタク 動いている時計 』


2011-10-08 華3617

褐色に変色した太い柱に、懐かしい古時計が架かっている。

長い年月を美しく清々しい音色で、楽しませてくれた古時計。

時間を知らせる其の音色に、思わず振り向き見上げた。

『 ひび割れた古色の聚楽壁に・・・』

2011-10-08 華3619

古民家には、ひび割れた聚楽壁が良く似合う。

蕎麦を頂きながら、ふと目を移せば 其処にはひび割れた聚楽壁が・・・

”哀れ” とは、しみじみとした感動を表わすとあるが、心惹かれる感動だ。

本居宣長は斯く言う。

「うれしかるべきことは うれしく、をかしかるべきはをかしく、悲しかるべきことは悲しく、

 恋しかるべきことは恋しく、それぞれに情が動くが、物のあはれを知るなり」 と。

忘我に、”静” を諦観した時、一種の詠嘆的感情を覚えるを ”あわれ” と言っても過言ではないだろう。

古くひび割れた聚楽壁には、そんな美しさすら漂っている。 

『 夢へと続く ”きざはし” ? 』

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使い古された、二階へと続く階段がある。

大人の階段のぼる~   テレビ・コマーシャルで流れる歌。

蕎麦を食べ終わり、ふと横を見れば使い古した階段が目に入る。

階段の上の二階は、どんな志向が仕組まれているのか? 気になり登ってみた。

”夢へのきざは” しとはいかないまでも、楽しませてくれる気遣いを感じる。

『 綿花から育てる 』

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二階の片隅に、機織り機があり、使わないとダメになると言う。

使用する綿の糸は、裏の畑で育てている。 その綿の花が二階の小さな梁に差してあった。

草木染めの出来上がった糸で、帯の様なものが織られていた。

8月2日(旧暦7月7日)は、織姫星と彦星が年一度、逢瀬を楽しめる七夕であった。

古びた織機と織姫とは似合わないが、ふと七夕の事を思い出した。

『 頭上、ご注意!! 』

2011-10-08 華3621

”蕎舎” の二階は、移築の折に改築されたものと思われる。

屋根裏部屋を座敷と改造した為に、一部分が梁が低く、「頭上、ご注意」と相成ったようだ。

梁から棕櫚縄で吊り下げられた煤竹に、私も何度か頭をぶつけた。

張り紙をするより、よほど気の利いた心遣いである。

気遣うって、「こんなもんなの~?」


category: 雑感

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”蕎舎” 其の4. 

『 ”お・も・て・な・し” の心 』

2011-10-08 華3616

滝川クリステルが、フランス語で話した ”お・も・て・な・し”

オリンピック委員は大そう喜んだと言うけれど、果たして ”お・も・て・な・し” って、一体何だろか?

”持て成し” とは、とりなす・とりつくろい・たしなみ・振る舞い・待遇・・・とある。

一般的には ”大切に面倒を見る・歓待する” と解釈されているようだ。

”蕎舎” では、いたる所に花が生けてある。

何気なく素朴な計らいは、”お・も・て・な・し” の一端であろう。

『 晦 日 蕎 麦 会 』

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”蕎舎” では、「晦日蕎麦会」 というイベントが毎月最終土曜日に開かれる。

「挽きたて、打ちたて、茹でたて」 をモットーに、日本そばと野菜料理のコースが楽しめる志向だ。

要予約が必要。 18:00~20:00 終了で、御一人様¥3,000

『 弾 』

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弾(はずむ) と言うイベントもあり、毎月第4日曜日に開催される。

Jazzの生演奏をBGMに聴きながら、日本そばと野菜料理のコースを楽しむ。

サックス・トリオの図太い音色と素朴な蕎麦との組み合わせらしいが・・・

予約優先で、18:00~21:00終了。 御一人様¥3,500

『 京都人の ”お・も・て・な・し” ? 』

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    すんまへ~ん、満席なんですぅ~

京都で料理屋に足を運んだ折に、こんな挨拶を一度や二度、聞いた事はありませんか?

客が一人もいないのに、”満席なんです~” と。

”一見さん、御断り” 東京ではあまり見かけない事だけど。

訪ねて来てくれた客を ”持て成す” どころか、意地悪根性としか受け取られない挨拶。

怪しげな風貌をしている訳でもないのに、御断り。

馴染みの客の紹介状を持って来なさい・・・と云うことらしい。

6年先には東京オリンピックが開催され、外国からの客もわんさか来る事であろう。

京都人気質では、誰でも受け入れると言う寛大さは期待できない。

客が全て善良な人とは限らない。危険人物が居ないと言う保証もないからだ。

なのに諸手を上げての ”お・も・て・な・し” なのであろうか?

京都人なら、お客さんの増えるのんは、ほんまに有難いこっとす。けど、

一見さんの客には、ちゃーんとしたサービスはでけしまへん・・・となるのだろうか?

”お・も・て・な・し” って、ほんまに難しいものでっすな~。

『 隅々にまでわたる、”お・も・て・な・し” ? 』

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古民家を楽しみ、蕎麦に舌鼓を打ち、お手洗いに入った。

聚楽の壁と調和のとれたボールと蛇口、そして気の利いた一輪挿しが・・・

「痩松の しぐれもさびしく、蝸牛のうつせ貝もさびたり」 松尾芭蕉(句) 

移築された古民家で、質素な蕎麦を楽しむのは、”わび・さび” が味わえるからだろうか?

亭主の気遣いに、一時を楽しむって、「こんなもんなの~?」





category: 雑感

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”蕎舎” 其の3. 

『 木地鉢は橡の木に限る 』

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客席の隅から蕎麦打ち部屋が見られるようになっている。

のし棒や麺打ち台、木地鉢は見えるものの、石臼・ふるい・包丁・駒板は見えない。

奥に見える赤黒の漆塗りの木地鉢は、橡の木でかなり年季の入った物のようだ。

『 細く、長くは・・・』

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毎年の事、大晦日になれば除夜の鐘を聴きながら、年越し蕎麦を食す習慣がある。

消化も良く栄誉価も高く、腹にもたれないのがイイのか?

のし棒で薄く延ばし、細く長く伸ばした事が、

例え細くとも、長生きしたいね~、と言う事とのごろ合わせから年越し蕎麦となったのか?

『 縄文人の食べ物? 』

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”蕎麦がき” はその昔、蕎麦の産地では子供でも作れるので、お八つの定番であった。

蕎麦の調理方法は色々あるが、消化吸収が良く栄養を効率よく摂取することが出来、

含有するルチンは、老化により細くなった毛細血管の強化に、

コリンは、脂肪が貯まるのを防いでくれるという事から、近年健康食として広まった。

文献によれば、蕎麦がきは縄文人も食していたと言われる。

手打ち蕎麦が、上手いか?不味いか?は、蕎麦打ちの経験の長さが大きく物を言い、

手間暇かかると言え、もり蕎麦一杯 ¥800 は、高いのか?安いのか?

それにしても、縄文人は蕎麦がきと言う高級料理を食べていたんだね~。

『 三和土には、久止が良く似合う 』

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客席の奥には三和土があり、羽釜が二つ置かれているが、今は使っていないようだ。

その昔には、此の久止で蕎麦を湯がいていたのだろうか? 今は飾りとなっているが・・・

『 昔懐かしき、常滑焼土管 』

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外に出て見れば、以前使われていた久止の煙突が興をそそる。

煤で汚れた常滑焼の土管が煙突に使われ、昔の台所を思い出す。

九州の ”五木そば”、四国の ”祖谷そば”、長野の ”信州そば” と有名処は数々あるが、

豪華な料理に舌を馴らした現代人には、素朴な蕎麦が口に合うようになったのか?

贅沢も度を過ぎると・・・とは、「こんなもんなの~?」



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”蕎舎” 其の2。 

『 ”和” の 解 放 感 』

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日本家屋、特に豪農などの邸宅では、内障子・廊下・縁側・月見台などと、

室内と庭園とは壁で仕切ることなく曖昧な区別で構成されている。

”蕎舎” では、蕎麦を頂きながら庭園を楽しむという目的を持っている。

室内と庭園とを連動させて変化をさす必要に、障子や廊下を取り払う発想が生まれた。

日本建築の水平思考が、室内と庭園との重要な連続における必要性だった。

座敷から見える庭園の景観の変化を楽しむ志向は達成されている。

『 自然を、室内で味わう 』

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蕎麦は元来、肥沃でない土地で致し方なく育てていた。

満足のいかない食生活の中で、細々と蕎麦を食していたのであるが、

肉食時代を迎え、つい最近では蕎麦の素朴さが一般大衆に好まれるようになった。

雑木林や竹林が持つ雰囲気と、蕎麦の素朴さとが現代人に受け入れられたのであろう。

囲炉裏の中に竹を立てるという嗜好は、此処にその元を発しているのである。

素朴な竹と、質素な蕎麦とが日本人の心の琴線に響くのか?

『 水車の水音に・・・』

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 コトコト コットン、コトコト コットン  

耳に心地よい水車の水音を聴きながら、蕎麦を食すのが人気なのか?

この座敷の席は人気も高いと言う。

杉(?)の長く分厚い一枚板のテーブルと、茶木蓮の座布団が、素朴な蕎麦と良く似合う。

『 鄙びた雰囲気が大切 』

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聚楽壁と板戸も時代を感じさせ、豪壮な木組みとよくマッチしている。

LED電球が省エネで持て囃される昨今だが、やはり古民家には、古来の電球がイイ。

タングステン色は蕎麦の味を一層引き立てる効果もありそうだ。

『 設えは、”おもかげ” に 』

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”京の町屋” が最近とみに持て囃されるという。

古民家に何を求めているのか?

”無” は、何も無いと言う事ではない。”無” には、「おもかげ」 が在るのである。

”無” も ”空” も、ナーガルージュ(龍樹)が説く 「中論」 に起因し、

物事を色々と削ぎ落していくと、「中」 が残ると言う。 「中」 は、「ほどよい」 と変換しても差し支えない。

古民家に価値が無い訳では決してナイ。 古民家には 「おもかげ」 が潜在しているのである。

使い古された古民家の廃屋から、部材を再活用し古民家を再生させるという行為は、

”ほど良い、おもかげ” の再生である。

古民家の再生って、「こんなもんなの~?」



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”蕎舎” 其の1。 


『 古民家で、本物の日本そば 』

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先日、友人のO氏のご招待を受け、蕎麦を食しにドライブをした。

筑波学園都市の近くに、その佇まいを見た時には感動を覚えた。

二年の歳月をかけ、古民家を二軒分移築し、”蕎舎” を開業。

勇壮な古民家で ”そば” を・・・はやる心を後に、先ずは外観から撮影と相成った。

『 赤と緑のコントラスト 』

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前の庭園はそう大きくはないが、深緑とモミジの赤が、美しいコントラストを見せる。

『 涼を呼ぶ、水車の水音 』

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庭園を少し歩めば水音に誘われ、水車小屋でもあるのかな?と。

直径は8mはありそうな巨大な水車が勢いよく回っている。

夏の暑さの中で、水車の水音を聴いていると、暫し暑さを忘れる。

『 重厚な引き戸を・・・』

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”蕎舎” の前には広大な駐車場が・・・

雰囲気を重んじ、使い古した枕木が敷き詰められている。

車を後に入口へと歩を進めるが、余りにも重厚な引き戸に一瞬ためらう。

『 テーブルを上がり框に 』

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古来、日本の民家は三和土から座敷へ続く上がり框は、段差があり過ぎた。

そこで一段低くする為に、テーブルとして使用していた板が利用をされているが、

これが良い雰囲気を醸し出している。

杉の古木の一枚板は、厚さ20cmを越しそうな重厚なものである。

履物を脱ぎ、座敷へと。 次にはどんな雰囲気が客を迎えるのか? 楽しみだ。

何回かに分けて、この”蕎舎”を紹介する予定。 今日は ”蕎舎” 其の1.

『 筑波の里 古民家に 蕎麦の香たつ 』

戦後半世紀を過ぎ、日本経済は急速に想像以上に発展した。

科学技術と勤勉な国民性が齎したものだ。

数十年前からすれば、現在の生活で困る事は、何一つない筈である。

人間は、一つの事に満たされれば、また異種の幸せを求める生き物だから困る。

生活環境にしても、小さく粗末な長屋から一軒家になり、

木造民家から、コンクリート造りのマンションへと、その変貌は急速に進んだ。

電化製品に囲まれ、何一つ不便はない筈の生活を享受している筈だが、

何を思うのか? 不便極まりない古民家に憧れる。

郷愁の成せる業なのか? それとも、”無い物ねだり” なのであろうか?

いまある物で満足できないのが、人間と言う生き物なのであろう。

古民家で蕎麦の香りと味を楽しみながら、こんな事が頭をかすめた。

”あれも欲しい、これも欲しい” 満足する事なく欲求が湧いてくるらしい。

求不得苦とは、「こんなもんなの~?」



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