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こんなもんなの~?

趣味の写真を添えて、日々の『戯言』を・・・

”青” の印象 

『 魅せられて・・・』

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以前から気になっているガリバリューム壁の建物がある。

スカンジナビアン・ブルーは、からりと晴れた秋の空でもない。

どちらかと云えば、あの北欧の少々くすんだ海の青であろう。

早朝に散歩に出かけると、AM7:00頃に、出勤してくる従業員に出会う事がある。

”青” の壁にブルージーンズ、そして青いスニーカーの女性。 

此処はスウェーデン家具 「イケア」の従業員出入り口。私が魅せられている ”青” い壁。

『 ”青” の印象 』

”赤” く燃え盛る太陽、大地を覆う森の ”緑”、そして空と海の ”青” 。色の三原色である。

”青”、それは海の青さに対して神秘さや畏敬の念を抱かせる、”青”。

ヘブライ文化でも、天と地の創造は海から。エジプトの主神も海から誕生する。 

日本の古事記にしても同じである。 万物は海から生まれるのである。

天地はカオスから生まれ、そのカオスから誕生した大地ガイアは、青空・ウラナス、青海原・ポントスを産む。

透明さ・静けさ・涼しさ・若さ・・・”青” が持つイメージで、平和で穏やかな色なのである。

そして、時には孤独や寂しささえ感じさせ、知的な色でもある。

青年・青春、青くさい・青侍・・・”青” により高い理想や憧憬を人は求めてきた。

燃える ”赤” に意欲を感じ、知的な ”青” に理想を抱き、

青雲の志を抱いて明日を迎えるとしようか。

”青” からの印象って、「こんなもんなの~?」




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category: 雑感

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赤の印象 

『 転倒? OR 故障? 』

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我が家の直ぐ西側は、「船橋オートレース場」。 此処が、オートレース場・発祥の地である。

赤字続きだったので、よみうりランドに経営を委託したものの、やはり時代の趨勢には勝てなかったのか?

来年には廃止になると、先日報道された。

喜んでいるのは、周囲の住民である。 何と云っても騒音レベルが80㏈を超える酷さだから・・・

『 赤の印象 』

其のレース場の入り口で、一台の運び込まれるバイクを見た。

暫くJAFの人の作業を眺めながら思う事があった。

”赤” 色から受ける印象は美しくも有り、強烈でもあった。

長い人生を曲がりなりにも今日まで無事に過ごしてきたが、最近は労働意欲も減退気味であった。

”赤” と云えば、”秋”。 季節が織りなす日本の色彩美でもあるが、

”赤” 、体内にたぎる情熱であり、興奮を誘う情熱の色でもある。

”赤” の他人の真紅のバイクを眺めながら、労働意欲を鼓舞される思いがした。

バイクは転倒したのか?故障なのか?は判らないが、私は何とか故障も無く今日まで元気にやった来られた。

長い人生の中では、七転び八起きではないが、何度も転倒はしたが・・・

ここで意欲減退する訳にもイカナイ!!と、”赤”色に勇気付けられた夜のワンシーンだった。

『 三つの趣味が、長生きのコツ 』

2011-10-08 華3665

現役引退後も元気で長生きしたければ、「三つの金のかかる趣味を持て」 と以前聞いた事があった。

今日は、私の〇2歳の誕生日。

労働意欲減退なんて言わないで、何時までも働いて欲しい!!と妻は思っているのか?

三つの趣味の一つであるカメラを、誕生祝いと買ってくれた。 LEICA MーP & 35ミリレンズ を・・・

そう云えば、ライカとは幼少のころから切っても切れない縁がある。

小学5年生の時、初めてカメラを持ち撮影に行ったのが、LEICA ⅢC そして ⅢF だった。

この時撮影した写真は、「カメラ毎日」で特選に選ばれた。

以後、15年前までLEICA M4-P や、ハッセルブラッドなどを使っていた。

最近はCANON EOS5Ⅲを使っていたが、歳の所為か重くて肩が凝る始末である。

そして、ズームレンズは昔から好きではなかった。レンズは単焦点に限るよね~。

こんな事から、誕生日にと最後のカメラ(?)となるであろう、LEICAをプレゼントしてくれたのであろう。

LEICAの味を知ってから早や50年以上になる。久し振りに其の味を味わう事が出来る。

”赤” 色のバイクに労働意欲も湧き・・・と云っても働くのはあと3年ばかりか?

LEICAを趣味に長生きでもする事と致しますか・・・

”赤” の印象って、「こんなもんなの~?」



category: 雑感

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御料牧場を訪ねて 


『 文人・画家の愛した、”三里塚牧場” 』

2011-10-08 華3673

三里塚の大地に親しんだ文人・画家に、

「春駒」 で有名な高村光太郎、そして親交深かった水野葉舟、窪田空穂、前田夕暮などがいる。

多くの詩人や画家・作家たちは、若駒の群れなす牧場や大自然を詠みまた描いてきた。

緑深い三里塚に、古の雰囲気を味わいたいと訪ねてみた。

『 マロニエ並木に落ちた橡の実 』

2011-10-08 華3674

記念公園の門を潜ると、マロニエ並木が涼しい木陰を作り、優しく迎えてくれる。

マロニエと聞けば、想い出すのは松島詩子の・・・

 空はくれて 丘の涯に 輝くは 君の瞳よ

     なつかしの マロニエの木陰に 風は想い出の 夢をゆすりて
 

マロニエが橡の木の名前とは、今日の今日まで知らなかった。

大きな実が地面に沢山落ちていたが、実の大きさに驚いた。 と言うのも、

”橡餅” は、果たして此の実から作るのか? それとも橡の実はマロニエの実とは違うのか?

なにはともあれ、逆光の陽の光を浴びて輝く落ちた実に、思わず一枚パチリと。

『 和洋折衷の貴賓館 』

2011-10-08 華3675

マロニエの並木を歩めば、突き当りに 「三里塚御料牧場記念館」 がある。

その手前左は広場になっており、一基の銅像とダービー馬牡馬の碑がある。

昔、此の広場は獣医学の実地教育が行われていた。 此処が発祥の地と言われる。

並木を挟んで反対側には、「貴賓館」 が昔の面影を残し建てられている。

『 牧畜と農耕、御料牧場の歴史 』

2011-10-08 華3676

獣医学にしても、牧畜農耕にしても、西洋に学ぶべき点が多く、恐らく西洋人が滞在していたのかも?

そんな事からして、「貴賓館」 は和洋折衷式建築の必要性があったのであろうか?

裏の回り、茅葺屋根の一部が洋館建てとは、初めてお目に掛った。

余り知られない事だが、独立採算的多角経営を行い、馬・牛・豚・綿羊・鶏などの飼育はもとより、

バター・チーズなどの畜産加工品の生産、牧草や野菜・穀類の栽培と植林なども行っていた。

特に見逃す事が出来ないのは、大久保利通の建議によって、

明治政府がいち早く欧米の優れた畜産技術と、畜産と一体をなす獣医学を導入した事である。

先進的な輸入農機具類を駆使して行われた大農法経営が、御料牧場の原動力であった。

『 新山荘輔場長の銅像 』

2011-10-08 華3677

山口県萩市出身。駒場農学校(現・東京大学農学部)を卒業後、

下総御料牧場長を拝命。その後、小岩井農場長をも兼務する。退任後は、宮中顧問官を務める。

畜産先進国を幾度も視察し、畜産技術や優良牛馬の導入を行う。

三里塚地域の発展に尽力し、退官後は私財を投じて、奨学金制度 「新山賞」 を設立する。

これらの構成を讃えて、有志により此の地に銅像が建立される。

「虎は死して、皮を残す。人は死して、名を残す。」 って、「こんなもんなの~?」



category: 雑感

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閑 日 


『 楽は身に覚えず 』

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”楽を追い求めるのが文明” なのであろうか?

戦後の子供達は、泥の道端で使い古した釘で遊び、ベーゴマやパッチンで楽しい時間を過ごしたものであるが、

時代と共に遊びも変わり、今はお金さえ出せば何でも手に入る良き時代(?)となった。

自動販売機も発達し、コインを入れれば欲しい物が出てくる。 

人の代わりに、自販機が 「ありがとうございました」 と声も掛けてくれる。

現代人が考える文明とは、肉体的にも精神的にも、人間をダメにしていくようだ。

怠け者にする方向へと進んでいるようだ。

『楽は身に覚えず』 とは、江戸時代に松葉軒東井翁が 「譬喩尽並ニ古語名数」 に記した言葉。

”楽は苦痛と違って身に感じることが少ない。楽の有難味は、当たり前のように思われて、感じ難い”

「楽は苦の種、苦は楽の種」 ともいう格言もある。

”苦” と ”楽” のどちらかを選択する時も、我々は ”楽” を選ぶことでしょう。

「手間、暇、こころ、かける時間」 とも言われている。

手間をかけ、暇をかけ、心をかける事の大切さを、今一度考えたいものだ。

夏の終わりの夕の一時、スマホ片手にのんびりと釣りを楽しむ一人の若者。

真剣に釣り糸を垂れないと、魚もソッポを向くかもよ。

『 道を得、道を伝える 』

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”道” とは、首を掛けて進むと言う意味だ。

本来の意味は、楽な生活を捨て、苦しみを無くし真理を求めるという事。

正しい道を知らず苦しんでいる者が此の世の常なのか?

「道を究めた人は、一人で歩むものではなく、後に続く者に教え伝えよ」 とは、釈迦の言葉。

釣りの極意を極めた人が、未だ一歩手前の人に、教えている所なのか?

魚釣りもそうであるが、私たちの生きていく道は、決して一人で行く道ではなく、

共に歩んで行く道なのである。

西に傾く夕陽に染められ、釣りを楽しむ人々に出会った。

ついつい抹香臭い事が頭を過った。

「楽あれば苦あり」 「楽は苦の種、苦は楽の種」 「楽は身の毒」 とも言われる。

”苦” と ”楽” の関係なんて、「こんなもんなの~?」





category: 雑感

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散歩は夜に・・・ 


『 政治と恋愛は・・・ 』

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『 ・・・暗黒を好む 』 と言うけれど、

ペットの散歩も、暗黒? は困るけれど、夜に限る。

舗装路は夏の日差しを受け、地面温度は50度にもなると言う。

地面を這うように歩く小さなペットには、この地面温度は地獄にも近いものがあると言われる。

『 マイカーが無くても・・・ 』

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ペットブームの所為なのか? マナーの欠如した飼い主が多いのには閉口する。

舗装路をはじめ、公園の草叢にもペットの糞尿が沢山残っている。

ペットを飼う資格の無い人間が、ペットを飼うからこんな事になる。

散歩のお供は、ペットボトルの水と、ティシュにビニール袋。 これが散歩の三種の神器。

イケアの看板ではないが、”マイカーで簡単にお持ち帰り” の必要はナイ。

必要なのは貴方の常識だけで充分である。

夏の夜の散歩で思う事って、「こんなもんなの~?」



category: 雑感

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夏の終わりに・・・ 


『 気の毒に お役目終えて 天が紅 』

2011-10-08 華3671

神社仏閣への参道を行けば、脇道に続く細い道がある。

お土産屋さんの脇、格子戸に布に染め上げたポスターの如き壁掛けが貼ってあった。

色褪せたのか? それとも人気が無く売れない為なのか? 理由は定かでないが・・・

人目に付きにくい路地の格子戸に懸けられるとは、いかにも哀れを誘う。

ふと思う事は、夕暮れの西の空。

白昼の明るさも、太陽が西に沈む頃には、”天が紅” 。

役目を終えようとしている西日だが、紅色に染まる空の美しさは、また格別である。

役目を終えた壁掛けの絵、その姿に ”天が紅” を連想する。

『 香には 心を鎮める効果あり 』

2011-10-08 華3668

本堂の前庭には、特別に大きな香炉がある。

香を嗅ぎ、身に塗れば、心身を浄めて無量の功徳が得られると言う。

香の種類は多けれど、香りには心の沈静効果、リラックス効果があり、

催眠効果や催淫効果もあると言う。

眠くなったり、妄想に襲われたり、あらぬ事を言ったりもする。大変な事態をも引き起こすらしい。

香の煙を体の悪い所に塗れば、回復間違いナシ。 とは本当かね~?

さて、この男女は香の煙に、何を願い期待をするのだろうか?

『 石段を 登りつめて 一休み 』

2011-10-08 華3667

山門を潜り、長い石段を登りつめての一休み、”あぁ~、疲れた” と声が聞えそう。

ところで御賽銭は何処に入れたのか? 手提げ袋を広げて探してみるが・・・

我が身を見るようで、”お疲れ様” っと声を掛けたくなる。

『 一念 岩をも通す? 』

2011-10-08 華3669

明治の頃、皓皓たる月明かりの中、両国回向院の境内にある鼠小僧次郎吉の墓の前で、

一心不乱に祈願する者がいた。大工職人の某で、万引きでの稼ぎが思わしくなかった。

そこで、窃盗に鞍替えしようと念じていたらしい。

怪しげな様子に、巡回中の憲兵に御用と相成った。

一心不乱に祈願すると雖も、動機が不純だと、「一念、岩をも通す」 とはいかなかった。

祈願にも色々あるが、天下泰平・五穀豊穣を祈願するが、一番の冥加を得るコツなのか?

『 境内には 法被姿が よく似合う 』

2011-10-08 華3670

右手に下げているのは何なのか?

寺、御用達の出入り業者なのか? それとも、参拝者お買い上げの品を運ぶのか?

法被に雪駄姿とは、なんとも粋ですね~。 思わずカメラを構える。

『 寂しきは 秋の彼岸の かき氷 』

2011-10-08 華3672

成田山・新勝寺の参道は、”うなぎ” と ”羊羹” が名物。

年間の参詣者は、1000万人を超えると言う盛況ぶりだ。

真夏の暑さの中のお参りは、さぞかし喉も渇き、熱中症の危険もありそう。

多くの参拝者の暑さしのぎには、”かき氷” が飛ぶように売れた事だろう。

役目を終えた ”かき氷” の看板も葭簀にもたれかけ疲れを癒している。

「暑さ寒さも 彼岸まで」 と言う。 客引きの疲れを癒してほしい。

真紅の文字、『氷』 にそんな思いが巡った。

夏の名残って、「こんなもんなの~?」




category: 雑感

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青葉の森公園 

『 終日 のたり のたりかな 』

2011-10-08 華3661

千葉大学付属病院には、毎月診察に通っている。

直ぐ近くに、「青葉の森公園」 があり、時間潰しに行くことが多い。

平日の公園は、広大なためか? 人影もまばらで少々寂しい所。

小さな女の子を連れたお母さんが長閑な時間を楽しんでいた。

『 思わぬイベントが開催・・・』

2011-10-08 華3660

”全国大陶器市開催” という看板が目に入り、案内板どうりに歩を進めれば、直ぐ近くに。

焼き物は大好きなので、期待半分で立ち並ぶ出店を見て回るが、

陶器市には違いないが、どちらかと云えば、”がらくた市” の感が強い。

有田焼・萩焼・瀬戸焼・信楽焼・志野焼・益子焼・・・と店は立ち並ぶが・・・

『 夏の終わりの涼感を・・・』

2011-10-08 華3659

信楽焼のタヌキの焼き物は大小様々と並び、おどけた顔は可愛いのだが、

有田焼の鉢に水を張り、動かぬ金魚が遅い夏の涼感を呼んでいた。

『 美観を保つには・・・』

2011-10-08 華3662

ゴミが散らかり、草ぼうぼうでは美観は保たれない。

芝生も丁寧に刈り取られ、歩く足裏にも心地良さを感じながら、しばらくの時間潰しを楽しんだ。

最近よく耳にする言葉に、”片づけられない女たち” がある。

とは言え、ゴミ屋敷の住人には、男性が多いよね~。

炊事・洗濯・育児、そして部屋の片づけは、女の義務だったが、

最近では、男が其れを手伝い子育てまでも・・・此れが常識と成りつつあるのか?

トラクターでの芝刈りの姿を見ながら、ふとそんな事を思った午後の一時。

女性が美しさを保ち、いつまでも若々しくあるには、努力が必要と言われるが、

何事に関しても、美観を保つって、「こんなもんなの~?」


category: 雑感

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鷹女という俳人 

『 前衛と、幽玄の俳人・鷹女 』

2011-10-08 華3655

千葉県成田市生まれ、成田育ちの女流俳人:三橋鷹女は、上京後歯科医師と婚姻し、

夫と共に俳句に勤しんだ。

初めは 「鹿火屋」、次に 「鶏頭陣」 などに所属していたが、後には結社に所属せず、

独自の道を歩む。凛とした気品と瑞々しさに満ち、

激しさと、前衛的作風の句境を築き、晩年には孤独と幽玄の度合いを増していく。

鷹女の墓は、成田高校裏脇の、”白髪毛” と呼ばれる墓地で永久の眠りについている。

記念碑には、『 鴨翔たば われ白髪の 媼とならむ 』 と刻まれている。

『 心の深淵には ”鬼” が棲む 』

2011-10-08 華3656

『 この樹登らば 鬼女となるべし 夕紅葉 』  鷹女(句)

夕陽に映える紅葉を見ていたら、その美しさのあまり、私はきっと ”鬼女” になるだろう!!

紅葉の樹上に美しくも幻想的な世界を発見し魅了・幻想をする。

其処に身を置いた時、私はきっと”鬼女”になると幻覚に襲われる。

美しさと不思議さを秘めた名句である。

能の 「紅葉狩」 、鬼女と紅葉の伝説からヒントを得た一句ではなかろうか?

『 女の情炎の、激しさか 』

2011-10-08 華3658

『 鞦韆は漕ぐべし 愛は奪うべし 』  鷹女(句)

高貴で美しくも、羞恥に身悶え、妖艶さを堪える狂女なのか?

世阿弥の言葉に、「 形は鬼なれど、心は人なるがゆえに 」 とある。 意味深長で考えさせられる一言。

悲哀に満ちた中世の女の凄まじい情炎とが、能の中で結実し、今日まで受け継がれている。

『 嫉妬なのか? 憤怒なのか? 』

2011-10-08 華3657

『 千の蟲鳴く 一匹の狂い鳴き 』  鷹女(句)

能舞の狂言物の演目に 「蝉丸」 がある。 シテは増髪の面を付けて舞う。

” 狂女なれど心は。 清滝川と知るべし。 逢坂の関の清水の影見えて。

 今やひくらん望月の。 駒の歩みも近づくか。 水もはしり井の影見れば。

 われながらあさましや。 髪はおどろも頂き。 眉墨も乱れ黒みて。 

 げに逆髪の影うつる。 水を鏡といおう波の。 うつつなのわが姿や。”
 

三橋鷹女は、” 一句を書くことは一片の鱗の剥脱である。

          一片の鱗の剥脱は、生きている事の証だと思う ”
 と後に述回している。

73歳で永久の眠りについた鷹女の句に・・・

” 白露や 死んでゆく日も 帯締めて ” がある。

なんと気高き女性だったのか。

鷹女に想いを馳せるって、「こんなもんなの~?」



category: 雑感

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空海の偉大さ・・・ 


『 高野山が始まり・・・』

2011-10-08 華3652
高野名物 ”ごまとうふ” と、銘菓 ”高野通宝”

友人O氏は、大変信心深い仏教徒だ。

妻を若くして失われ、未敷蓮華の幼子にまで先立たれた四十半ばの資産家である。

その彼が先日、高野山・金剛峰寺に参詣され、手土産にと頂いた、”ごまとうふ” と ”高野通宝”。

「 高 野 豆 腐 」

昔の僧侶の生活に欠かす事の出来ない食品の一つに、”豆腐” がある。

肉や魚を断った食生活では、大豆は貴重なタンパク源であった。

僧侶の修行の場は、森閑とした高い山中で、寒中は殊の外気温が下がる。

せっかく作った ”豆腐” も、凍り付くほどの寒さである。

勿体ないので、この凍った ”豆腐” を煮て食べたところ、以外にも美味しかった。

”高野豆腐” の起源は、高野山で試作した事が、ことの始まりである。

”凍り豆腐”・”凝り豆腐”・”凍み豆腐” 等の呼び名がある。

『 弘法も、筆の誤り 』

2011-10-08 華3653

比叡山・延暦寺の開祖:伝教大師 「最澄」 は、天台宗を開き、

高野山・金剛峰寺、京都・東寺の開祖は、弘法大師 「空海」 で、真言密教を確立。

この二人が、日本仏教界を代表する二人である。

弘法大師・空海は、余りにも偉大過ぎて、「イロハ詩」 など多くの伝説を残している。

人は一度過ちを犯すと、其れを修正することは可なり難しいが・・・

「弘法も、筆の誤り」 と有名な諺がある。

日本三代墨跡家として有名な、弘法大師・空海であるが、

そんな偉人にも、”間違いがある” という意味にしばしば使われる。

応天門 (平安京大内裏の朝堂院の南面正門) の額を書いた時に、

点を書き落とした為に、此の諺が生まれたという。

しかし、そこは弘法大師、筆を額めがけて投げ上げて点を書き入れ、一瞬にして直してしまった。

これを 「弘法の投げ筆」 と言うが、こちらはあまり知られていないのが現状である。

『 ”護摩の灰” は、高野聖から 』

2011-10-08 華3654

「 護 摩 の 灰 」

旅人を装って、他の旅人を騙し、金品をかすめ盗る盗賊を ”護摩の灰” という。

元々の起源と云えば、高野山の僧侶(高野聖)の扮装をして、

弘法大師の厳修した有難い護摩の灰と称して、押し売りした者があったのが始まり。

また、”はい” の訛音と胡麻の上の ”蠅” は、見分けがつき難い事から、”胡麻の蠅” とも言う。

「 弘 法 清 水 」

清らかな水の由来を、弘法大師の霊力に帰して説く大師伝説の一つである。

弘法井戸・弘法水・独鈷水などともよばれている。

空海が、水の乏しい地方に伝道に旅した折に、持っていた錫杖で大地を突いたら、清水が湧き出し、

それ以来、村人は水に不自由しなくなったと言う。

空海の幅広い民衆教化を物語る伝説の一つであり、空海の偉大さを讃えるものであろうか。

「遍照金剛、言うな!!」

密教では、胎蔵界・金剛界の曼荼羅に、投華得仏をする。

この時、投げた蓮華が落ちた所が、大日如来であったことから、”遍照金剛” という。

下らない事、些細な事を、何時までもグチャグチャいう時に、相手に向かって言う言葉。

空海がグチャグチャ言うのではなく、余りにも偉大な僧で、何事につけても博識だったことから、

弘法大師は、弁が立ったのである。

博識でもない者の多弁を諭す為の言葉なのだ。

いつまでも長なが書くと、グチャグチャ言うなと、言われそう。

”遍照金剛” って、「こんなもんなの~」



category: 雑感

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成田山と、”成田屋” 

『 いよ~ッ、成田屋~ァ 』

2011-10-08 華3647
                成田山・新勝寺への参道

歌舞伎で演目が演じられている途中で、” いよ~ッ、成田屋~ァ ” と

客席から屋号や代数などがタイミングよく舞台に向い飛ぶ声がかかる。

通常は、大向こうからかけるのが本義であるが、最近はあちらこちらから勝手な声が飛ぶ。

間の悪い声がかかる事があり、興醒めな事である。

下手な奴は、黙っているに限る。 知ったかぶるのは、誠に迷惑な事である。

『 歌舞伎役者 出生のエピソード 』

2011-10-08 華3648
                新勝寺の入り口 ”大門”

”成田屋~ァ” と声が飛ぶ。 その掛け声の先には、色男で有名な第十一代・市川団十郎が。

後の妻 ”光乃” と団十郎の事を書いた有名な小説に、宮尾登美子の 「きのね」 がある。

十一代目・市川団十郎と言うより、九代目・市川海老蔵の名で有名。

多くの女性ファンから、”海老さま” と呼ばれ慕われ、一世を風靡した歌舞伎役者である。

その海老蔵に女中として仕え、ぴったりと寄り添い、子供を産み、最後には正妻に迎えられた、

玉の輿に乗った女性なのか? いやいや薄倖の女の物語だったのか?

松本家の三人の子供とは、市川海老蔵・松本幸四郎・尾上松禄である。

この三兄弟が演じる 「勧進帳」 は日替わりで演じられ、弁慶・富樫と義経の演目は夙に有名である。

『 鋭く冴えた響きに、”光乃” は 「天からの合図」 を聞いた 』

2011-10-08 華3649
         新勝寺、中門の大提灯

著者・宮尾登美子は 「きのね」 の中で、十一代目・市川団十郎とその妻 ”光乃” をモデルに描き上げている。

団十郎の逝去に際し、著者は 「杵の音の消えるまで」 と追悼文を発表している。

小説を書くにあたって、興行側の松竹からは、”書くな” との声が何度も起きたが、

団十郎氏に ”生前にはドラマ化は絶対にしませんから” と約束するも、

答えは、”イエス” とも ”ノー” とも帰ってこなかったと。

十二代目・団十郎さんの、大らかな優しさと捉えていたと。

私用で使いに行った ”光乃” が、歌舞伎座の楽屋で耳にした、幕開けを知らせる拍子木、

”杵の音” の、鋭く冴えた響きに、「天からの合図」 を耳にしたと・・・

神の声だったのか? それとも、悪魔の囁きだったのか?

『 血は、争えないのか? 』

2011-10-08 華3651
     本堂前の、”焼香炉” と ”三重塔”

団十郎の性格と云えば、癇癪持ちで短気で粗暴な人格だったようだ。

そんな団十郎に女中として仕えた”光乃”の苦労は推し量ることが出来ない程だったことであろう。

男前の団十郎が、”光乃”を 「お手付き」 にしたのであるから、恐らく ”光乃” は別嬪だったのであろう。

過日、新聞やテレビで華々しく報道された暴力事件があった。

海老蔵が、飲酒の上で暴力を振るい、自分も鼻を折る大けがをしたと。

祖父の団十郎の性格を受け継いでいるのであろうか、

「血は、争えない」 と言う諺を想い出さずにはおれない。

兎角、有名人は奢りの為に事件を起こし易い。

名を馳せるに従い、人格を築き上げて欲しいものである。

『 厳禁と 知っていながら 貼る ”千社札” 』

2011-10-08 華3650
        貼り付け禁止の ”千社札”

”千社札” は、ツウは ”せんしゃふだ” と呼び、神社・仏閣に参拝した記念に貼る物である。

一般的には、昔ながらの墨で書いた ”題名札” と色つきの ”色札” とがある。

”題名札” が貼られている間は、参籠をしたと同じ功徳があると、民間信仰では考えられていた為、

日帰り参拝客が、参籠の代わりに札を貼ったのが事の始まりである。

神社・仏閣の強化を貰い、ご朱印を頂いたうえで ”千社札” を貼るのが本来の姿である。

無断で貼ったり、最近の剥がし難いシールを貼るのは、マナー違反である。

其の為に、多くの神社・仏閣では、「千社札、無断貼り付け禁止」の看板がしばしば目に留まる。

節分の豆まきでは、歌舞伎役者や力士の参加で有名な、成田山・新勝寺。

参道には店が建ち並び、本堂をはじめ仁王門・三重塔・釈迦堂・光明堂が建ち並ぶ。

年間、1000万人の参詣者があると言う。

初代・市川団十郎が、子供欲しさに成田不動尊に祈願をし、望みが叶った。

この縁が元で、屋号を ”成田屋”という。

寺を屋号とした歌舞伎役者が、市川家以外にもあるのだろうか?

つまらぬ詮索って、「こんなもんなの~?」



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新香で酒を飲む・・・ 


『 鰻屋でせかすのは野暮 

        蒲焼が出てくるまでは 新香で酒を飲む 』


2011-10-08 華3643
                  成田山・新勝寺参道に在る 老舗鰻屋 ”豊川” の店先

「 蒲 焼 き 」

蒲焼きは、身の長い魚を開き、太い骨を抜き、串を打ったうえで素焼きし、

濃口醤油、みりん、日本酒、砂糖などで作ったタレで焼き上げる、江戸の伝統的郷土料理の一つである。

焼き上げた時の色や形状が、樺の木の皮に似ている事から ”蒲き” と呼ぶようになったと言われている。

「風土記」 にもウナギの事が登場するが、

ウナギを食す日本人の食文化は、歴史の中で登場するのは、新石器時代である。

その時点での料理方法は定かではないが、おそらく”蒲焼き” の技術は無かった事でしょう。

『 串打ち三年 裂き八年 』

2011-10-08 華3645

「 串 打 ち 三 年 」

職人が先ず最初に覚えなければならない作業で、ウナギを裂いた後に、身と皮の間に串を数本刺す。

この作業は、白焼きの段階で、身が反り返らないようにするためで、

身と皮を縫うように串を刺していくのだが、これが上手くいかないと、

”蒸し” の段階で、串が抜けることもある。なかなか思うようにいかない串打ちの技術なのだ。

繊細な手つきと、スピードが要求される大切な技の一つである。

「 裂 き 八 年 」

ウナギは、ぬるぬると滑り易い生き物。上手く裂くにはかなり難しい作業である。

上手くなるには、数をこなす事と共に、何年もの修練が必要となる。

こんな事から、「手を切った数が多ければ多い程、上達する」 と言われる。

この裂きの工程次第で、見た目の美しさと、蒲焼きにする際の照りにも影響が出ると言う。

『 焼きは、一生 』

2011-10-08 華3644

「 焼 き は、一 生 」

白焼きにする際の炭火の加減や、ウナギを置く位置、焼く時間などは、

ウナギの個体がそれぞれ違うので、この作業は目と感覚が要求される。

「焼きは、一生」 と言われる所以は、常に良い焼き加減、焦がし加減に決まり、

美しく美味そうにも見え、不味く見えたりもする。

細心の注意を払いながら焼く技術は、一生かかっても満足は出来ず終点も無いと・・・

何事も、”いい加減” が大切と言う事でしょう。

『 江戸前に のたをうたせる 女あり 』

2011-10-08 華3646

こんな川柳が江戸の巷でよく聞かれた。

古くは、「万葉集」 の中で、大伴家持が言うことにゃ~、

『 夏痩せには ウナギがいいらしいから 獲ってきて食べたらよい

 痩せても 生きていられればよい ウナギを獲りに行って 川に流されるな 』
と、詠んでいる。

ウナギの蒲焼きは、庶民の間で広まり、江戸料理の定番の一つとなった。

ウナギの丼にしても、お重にしても、焼き上がる其の時間を待つのがね~、

今も昔も、出来上がりを心待ちにしたもんだ。 江戸の風流諺に、

「鰻屋で 急かすのは野暮。 蒲焼きが出てくるまでは 新香で酒を飲む」 と。

この坊やも蒲焼が出来上がる、あの匂いに誘われたのか?

店先で水遊びを楽しんでいた。

匂いの効用って、「こんなもんなの~?」



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この ”あま” が~ 

『 よみがえる天平の甍 』

2011-10-08 華3640
               国指定 『 上総国分尼寺跡 』 展示館 

貴重な文化遺産を保存して永く後世に伝えていくと共に、潤いのある市民生活や

新たな地域文化の創造に役立たせるため、郷土の歴史や文化を見直し、

追体験する場として、平成二年に整備される。

歴史的建造物に復元では、史跡の空間的広がりを体験し、天平建築の力強い構造美を鑑賞できる。

館内では、映像や模型により国分尼寺建立の時代背景や史跡の特徴が理解できる。

『 最初の僧は、”尼僧” であった 』

上総国分尼寺跡_模型[1]
                発掘資料による 『国分尼寺』 復元模型

釈尊は、人々が修行によって悟りを開くことが出来るが、俗世間にあっての修行は難しいので、出家を勧めた。

しかし女性の出家は断じて許可しなかった。

「涅槃経」 に、”あらゆる三千世界の男子の諸煩悩、合集して一人の女の業障と為る” とあり、

「法華経」 にも、”女の身にはなお五つの障あり” とある。

女性が男へ及ぼす感覚的な魅力を特に退ける必要があったからである。

しかし、父王が亡くなった時、母が主家を願い出たため、一時はダメ押しをしたが、

余りにも其の懇願の思いが止みがたく、遂には許可する。

日本では、司馬達等の女 ”善信” が高麗僧 ”惠便” について出家したのが最初の僧であった。

『 この、”あま” が~ 』

2011-10-08 華3642
              復元された 『国分尼寺』 回廊中庭

奈良朝以後、国分寺や国分尼寺そして比丘尼御所などが次々と建立され、

僧や尼僧たちは、厳しい戒律の元で修行を重ねた。

西国から伝来した仏教を学ぶことが、唯一の知識人であり、天皇や貴族に顧問的役目を果たした。

その後、時代が下ると共に綱紀の緩みと共に、在家のまま髪を短くした ”そぎ尼” 、

諸国を遊行して念仏勧化する ”熊野比丘尼・善光寺比丘尼” 、さらには、

地獄極楽の絵解きをし、音曲で暮らす遊芸民 ”歌比丘尼” などが出現し、

ついには売笑婦の隠語に堕ちてしまった。

”比丘尼の晴れ小袖” とは、不似合いなこと、必要の無い例えで、

”比丘尼の笄” とも ”比丘尼の鍵誂え” とも言う。

”比丘尼の髪を結う” は、やれと言っても無理な事、”比丘尼にヒゲ出せ” の類だ。

”比丘尼を裸にしたよう” とは、気の毒で見ていられない状態を言う。

日常生活の中で、男性が相手を卑下する言葉に、「 この、あま(比丘尼)が~ 」 という言葉がある。

何とも失礼千万な言葉ではないか。 尼(比丘尼)も出家・修行を重ねた知識豊かな僧である。

尼から見れば、「お前の様な、ボンクラから言われる筋合いはナイ」 と言うところか?

『 日本最古の ”尼寺” とも、言われるが・・・』

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           大阪市・太子町 聖徳太子、御侍女三尼公廟所 『西方院』本堂

推古天皇の30年(西暦622年)に、聖徳太子御薨去の後、

月益(蘇我馬子の娘)、月益(小野妹子の娘)、玉照(物部守屋の娘)、三姫は剃髪され

その名も、”善信” ”禅藏” ”恵善” と称し、太子御廟の前に一宇を建立。

『 寺の発祥は、”卒塔婆” から 』

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              『西方院』 三尼公御廟所

聖徳太子の遺髪・遺骨は、納骨度に納められているが、

此の御廟には、三尼公の遺骨が納められ、三基の多層塔が建立されている。

釈迦が逝去する直前の経に、最後の経典 『遺教経』 がある。

亡くなる直前に釈迦が言い残した事は、

”私の葬儀には僧侶は立ち会うな。 死体はガンジス川にでも捨てておけ”

いや、ちょっと待て ”何も残らないと私が此の世にいた事が後世に伝わらない”

”遺骨は土に埋めて、その上に 「悟りを開いた釈迦、此処に眠る」 と記念碑を建てておけ” とでも・・・

遺骨を埋めた土饅頭の上に、建てた記念碑が ”卒塔婆” である。

釈迦は ”悟りの世界” を後世まで伝えるために、卒塔婆の建立を?

それとも、己の名誉の為だったのか? いやいや、そんな下世話な話ではないでしょう、ね。

僧と尼僧・・・この最高の学識者も、規範の乱れから堕落の一歩を。

其の果ての言葉が、「この、”あま” が~」 と言われるようになったのか?

僧侶の世界も、我々の社会も、堕落・堕落とは、「こんなもんなの~?」



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醜女の嘆きなのか? 

『 京にとく上げ給ひて 物語の多く候ふなる ある限り見せ給へ・・・』

田舎育ちのエリート官吏(?) の娘、菅原孝標女の願いは一つ。

娯楽の最先端を行く 『源氏物語』 をはじめ、手当たり次第に読み耽りたいとの思いは募るばかり。

念願叶い、京へとお引越しとなる。

上京し、伯母から 『源氏物語』 5 0余巻を貰い読み耽る次第と相成った。

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   上総の国・市原駅前に建つ、門出姿の孝標女の銅像

菅原孝標の娘で、『更級日記』 の著者として世に名を馳せる。

9歳~13歳の4年間を。上総の国は現在の市原市で幼少期を過ごす。

『更級日記』 は、その幼少時期から京都での生涯を過ごした、田舎育ちの一女性の私的回顧録だ。

『 門出したる所は めぐりなどもなくて かりそめの茅屋の蔀などもなし

     簾かけ 幕など引きたり 南ははるか野の方見やらる 

          東・西は海近くて いとおもしろし 』


上総の国は、東海道の遥か東。

こんな片田舎の国司の娘では、思いもよらぬほど寂しい粗末な棲家で育ち暮らしたのよ、と。

『 あづま路の 道のはてよりも なお奥つ方に生い出でたる人・・・』 と詠んでいる。

『 牛車に揺られ、東を下り京の都へ 』
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      念願の京への旅立ちは 牛車に引かれて・・・

念願叶い、父は京の都へとお引越しと相成った。

上総の国では、自ら薬師如来を彫刻し、土下座してまで ”読ませて~!!” と・・・

何が何でも 『源氏物語』 に憧れた彼女。

上総の国では 京の都の華やかさに夢を馳せ、その願いもようやく叶った。

手当たり次第に文学に耽けり、あっと言う間に適齢期も過ぎる。

家柄も大したもんではなく、私はどちらかと言うとブス(醜女)だし・・・

一時は色恋もあったようだが、理想の光源氏にも縁が無く、只々無情に時間は過ぎる。

諦め、仏教に頼るも、今更だよね~!!という始末。

花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき・・・こんな一生の孝標女だったのか。

『更級日記』 って、「こんなもんなの~?」



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上総国分寺尼寺 探訪 

『 天平の願いを込めて 』

天平年間の初めは、国際色豊かな貴族文化が花開いた華やかな時代だった。

一方では異常現象が続き、天候は不順で農作物は実らず、疫病や飢餓に人々は苦しんだ。

又、政治や争いや国際関係の緊張が、大衆は不安と苦悩をつのらせた。

聖徳太子は、『 篤く三宝を敬え 』 と説き、仏教を信奉していた聖武天皇と光明皇后は、

社会の騒乱と人々の心を鎮める為に、仏教の力でもって平和な世を願った。

国分寺と国分尼寺は、この様な目的を持って、全国60か所に建立された。

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『 上総国分尼寺、回廊と金堂基壇の復元 』

上のカット写真は、中門と回廊の部分で、

中門は国分尼寺の本尊を奉る為の空間である金堂院、南側正面の門である。

中門は、特別な行事の時にだけ開かれ、普段は閉じられている。

『 瓦と甎による、珍しい基壇 』

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回廊の基壇は、本来であれば石積みで築くのであるが、

此処、市原には礎石となる堅く大きな石が無く、さりとて鋸山からは距離も50㎞もあり

復元に当たっては、地表の上に50cm盛土し、鉄筋コンクリートの基礎を設け、

遺構の保護と復元建物の安全を期した。

特徴は、基壇部分が瓦を積み重ね、上面に甎(せん)を敷き平らにした物である。

『 手斧と槍鉋の美 』

2011-10-08 華3635

中門と回廊の柱は、強度や耐久性に優れれ、加工もし易い木曽ヒノキが用いられている。

柱から上の重みがかかる大斗には堅いケヤキ、軒先の垂木や足元の地覆にはヒバが。

何れも木部の表面は、伝統的な工具である ”チョウナ” や”ヤリカンナ” が使われる。

直径44cmの柱は、手斧や槍鉋の僅かな削り後が見られ、古の美すら感じる。

用いられた塗料は伝統を守り、ベンガラ・黄土・緑青・胡粉が使われている。

頭貫より上部は伝統的な塗料だが、頭貫より下・破風には保護塗料が塗布してある。

『 燈明で尻をあぶる? 』

2011-10-08 華3636

金色に輝く ”八角燈篭” は、東大寺にある八角燈篭を参考に、その二分の一の大きさで復元。

燈篭は、金堂院内を明るく照らす道具であったが、仏に燈を捧げる意味をも含んでいた。

本来、燈明は仏前に捧ぐる燈火で、仏の智慧の明らかなるを標わす。

「燈明で尻をあぶる・・・」 とは、

なかなか温まらないので、方法が間違ってる為に効果が上がらないと言う意味。

昔の燈明は菜種油を燃やし、ホソイという草などを燈心にした。

この燈心に対する生活の知恵から生まれた諺は多く、

「燈心を少なくして油を多くせよ」  「燈心で鐘を撞く」 「燈心で竹の根を掘る」 等など。

『 本尊は、”釈迦如来” ? ”薬師如来” ? 』

2011-10-08 華3637

寺院で本尊を安置している台座を 「須弥壇」 という。

その四隅には四天王を侍立させて、須弥山の主である帝釈天が四天王を伴って、

此の地上に君臨した相に模っている。

遺跡からは本尊は発見されなかったようだが、

中央に ”釈迦如来 ”、左右に ”文殊菩薩” と ”勢至菩薩” の三尊形式ではなかったのか?

或いは、疫病が流行した当時のご本尊は、”薬師如来” が多く見られる。

そうすれば、国分尼寺のご本尊は、三尊形式をとれば、

中央に ”薬師如来”、其の左右に ”日光菩薩” と ”月光菩薩” だったのか?

遺跡に時間を過ごすって、「こんなもんなの~」



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