Admin New entry Up load All archives

こんなもんなの~?

趣味の写真を添えて、日々の『戯言』を・・・

”蜘蛛の糸” に思う・・・ 

『 見渡せば 満ち溢れる 色艶や 』

L1000297.jpg

散歩道を漫ろ歩けば、ドウダンツツジが秋の深さを知らせ、木々の梢では鳥たちが秋を囀る。

紅葉や小鳥の囀りは、心を華やかに彩ってくれる。

色は揉みだされ、囀りは清らかな艶があり、”色艶” が奥底から滲み出るこの季節。

人も、うわべだけの ”色艶” でなく、身心の底から醸す ”色艶” に染まりたいものである。

『 小さな秋に 幸せ探し・・・』

L1000293.jpg

小さい秋 小さい秋 小さい秋 見つけた

移ろう季節の中に、”小さい秋” を探し見つける事は、一つの喜びであり、生きている事への感謝でもある。

色付き始めたモミジの枝に、真っ赤に顔を染めた三枚の葉を見つけた。

詩は、「すましたお耳に かすかにしみた」 と続く。

今の環境の中にも、目を耳を澄ませば、小さい幸せが一杯ある事を感じる。

人間、不平不満を言えば限がない。身に余る願望を持ち過ぎても良くはナイ。

「小欲知足」 を知る事こそ、幸せへの第一歩なのである。

”小さい幸せ” を見つけることが出来れば、どんなに楽しく・清々しい人生なのだろうか。

豪華絢爛に咲き誇る紅葉より、はにかみ気味なモミジの表情に、幸せを感じるのは私だけなのであろうか。

兎追いし かの山、小鮒釣りし かの川

L1000294.jpg

公園の池の水も、深まり行く秋と共に抜かれ、今は只の水溜りと化している。

数人の子供達が、しきりに何かを探し、釣り糸を垂れていた。

ちいさなポリの桶には、水が張られメダカが二匹入っていた。

ザリガニも居るそうだが、岩影に隠れて糸を垂れても釣れないと・・・

小学低学年の頃の想い出が、記憶の彼方で浮かび上がってきた。

小さな小さな小川で、鮒やナマズやウナギを獲って遊んだ事が想い出される。

学校道具を家に放り出し、一目散に小川に行き、暮れゆく事にも目もくれず、

辺りがとっぷりと暗くなるまで遊んだものだった。

そんな遊びが出来ない都会の子が可哀そうでもあり、同情をもする。

『 色々な、子孫の残し方 』

L1000298.jpg

”さくらんぼ” から、子孫は残せるのか? ふと、こんな事を思った。

動物の繁殖はオスとメスによる有精繁殖が一般的だが、

植物は種子を残し、繁殖を繰り返すのが一般的だが、それでは、”サクラ” は?、とふと考えた。

自ら動く事の出来ない植物が手にした一つの方法に、「接ぎ木」 という特技を備えてる。

殆どの植物は種子を飛ばし・落し、動物に運んでもらう事で子孫を残す。

クローンという言葉があるが、語源を尋ねれば、小枝と言われる。

桜が接ぎ木で増えていくのは、小枝を接ぎ木すれさえば繁殖が可能なのだ。

人は死して子孫を残すが、決してクローンではない。ただDNAを受け継がすと言う事に他ならない。

桜の様に接ぎ木で残せば、全く同じ自分を残すことが出来るのだ。

人は死すが、クローンは永遠に存続すると言う事となる。

”植物は永遠に死なない” って事なのであろうか。

『 ”蜘蛛の糸” と、”赤い糸” 』

L1000296.jpg

蜘蛛の糸に、枯葉や病葉が引っ掛っているのを見て、ふと思い出した。

芥川龍之介の短編小説 「蜘蛛の糸」 の事を。

お釈迦様が蓮池から地獄を見て、哀れに思ったのか一筋の蜘蛛の糸を垂らした。

極悪人:カンダタが地獄に堕ちていたのだが、この男、一度だけ善行をした事があった。

蜘蛛を踏みそうになったが、死んではいけないと踏み止まった事があった。

其の善行にたいして、釈迦は助けの糸を垂れた遣ったが、

糸にしがみ付き登っていると、次から次へと上って来る者がいた。

「登るんじゃない!!はやく降りろ降りろ!!」 と叫んだその瞬間、蜘蛛の糸は切れた・・・との粗筋である。

”猿も、木から堕ちる” ”弘法も、筆の誤り” と偶には間違いを起こす喩えは色々あるが、

釈迦も此処で大きな間違いを興した。

浄玻璃鏡を見れば、罪の深さも善行も判るのだが、釈迦は此の浄玻璃鏡を見なかったお蔭で、

カンダタだけが善行をしたのではなく、

他の悪人と言われる者にも善行を行った者がいた事を見逃したのであろう。

そうであれば、カンダタだけを助ける事は理に叶わないのではないか?

蜘蛛の糸にひかかった枯葉を見ながらフト思った次第である。

「赤い糸」 と言われる ”糸” もあるそうだ。

此方の糸は恐ろしく、切っても切れない糸であり、”宿縁” とでも言えようか。

期せずして出逢ったのは、二人が ”赤い糸” で結ばれているから・・・とか。

あぁ~、夫婦の縁が ”赤い糸” で結ばれていても、”腐れ縁” で無ければ良いのだが・・・

”蜘蛛の糸” に思う事って、「こんなもんなの~?」



スポンサーサイト

category: 雑感

CM: 5 TB: --   

錦秋に遊ぶ・・・ 


『 小春日に カサカサカサと 秋を知る 』

L1000287.jpg
近くの香澄公園を、妻と娘と ”らら” との散策を楽しむ

ドイツでは、”老婦人の夏”。 ロシアでは、”女の夏”。 アメリカでは、”インディアン・サマー”。

其々の国で語源がある事であろうが、日本では、”小春日” と呼ばれる。

穏やかで温かく、晴れわたった秋空を歩けば、落ち葉がカサカサカサと心地よく囁いてくれる。

二十四節気の一つに、11月22日頃を 「小雪」 と呼び、冷たい雨も雪に変わり始める季節となる。

本格的に冬を迎えるシーズンに入り、野山の木々も、紅葉しやがては落葉となる時である。

寒さ未だ浅く、雪未だ大ならず・・・日本人の感性の巧みさを感じる表現である。 

『 ほろほろ酔うて 木の葉ふる 』

L1000288.jpg
種田山頭火の詩と共に・・・木の葉時雨の下を

木枯らしを受けたのか? 時雨を受けたのか? ハラハラハラと銀杏が葉を散らす。

錦秋の秋、野山を美しく彩り飾った紅葉も落ち葉となり、踏む足音を楽しむ季節となった。

絨毯を思わせる落ち葉の、風情を楽しみながらの散策も、また一興である。

小樽は寒かろ~、東~京も、こんなにしばれる・・・

L1000290.jpg
紅葉の小路を散策する娘と ”らら”。 カット写真とは関係ない文であるが・・・

アッ、小樽ではなく、室蘭だった。

先日、北海道は室蘭からブロ友がやって来た。 私とは40歳も若い好青年が。

近くの駅で待ち合わせ、近くの料理屋で夕食を共にした。

頭がよく気立ても良く、近年珍しい程の礼儀を弁えた青年だった。

二時間ほどの出会いであったが、北海道に行く機会があれば、是非室蘭を訪ねた見たいと思った。

久し振りに清々しい気分が味わえ、あと味の良い宵の会話を楽しんだ。

東京も秋の気配も深まり肌寒くなったが、室蘭は既に雪景色が見られたとの事だった。

『 散り際が与える、印象は・・・』

L1000291.jpg
疎水を流れる清水も枯れ果て、落葉の吹き溜まり

公園を散歩していると、あちらこちらで山茶花が咲き誇っているのが楽しめる。

”山茶花” と漢字では表現するが、”山茶” は ”ツバキ”。 ”茶梅” が 中国では ”さざんか” であった。

ツバキもサザンカも、良く似た花には違いないが、

”ツバキ” は、花ごとポトリと落ちる。 ”サザンカ” は、花びらをハラリ・ハラリと散らしていく。

よく似た花でも、散り際が違えば印象も違ってくる。 凛としたツバキと、儚さを感じさせるサザンカ。

人も散り際が大切なのである。

「裏を見せ、表を見せて、散る紅葉」 果たして私の散り方は・・・?

秋の気配を満喫しながら考える事って、「こんなもんなの~」



category: 雑感

CM: 2 TB: --   

深まる秋に・・・ 


『 深まる秋空に・・・』

L1000239.jpg

落ち葉掃く、その光景に深まりゆく秋を実感する日々が続いている。

病院通いの診察まで、少々待ち時間があるので、近くの寺へ出向いたみた。

檀家さん達が境内のあちこちで、落ち葉を掃き清める光景に出逢ったから。

『 天井一面に、千社札が・・・』

L1000236.jpg

信仰心からか?、どこの神社仏閣にも千社札が貼り付けられているが見受けられる。

観光気分で参詣した人が記念にと、貼り付けたものであろうが・・・

『 セキュリティーも、此処まできたのか? 』

L1000240.jpg

近年、寺の宝物とくに仏像が盗まれる事件が多発しているようだ。

僅かに残された賽銭を盗むために、高価な賽銭箱が壊され燃される報道もよく耳にする。

賽銭箱は中に仕舞われ、挙句の果てに扉は厳重にもチェーンが掛られている。

ALSOKに依頼し、防犯カメラまで設置とは、悲しい思いすら抱かせる。

『 お役目を終えた、卒塔婆が・・・』

L1000243.jpg

境内の裏庭に、お役目果たした卒塔婆が・・・

撥遺供養が終え、お焚き上げを待っているのか? 

「南無遍照金剛」 の文字に、弘法大師は施主の所願を叶えるのか?

卒塔婆は是れ、キャ・カ・ラ・バ・アの五字を刻み、五輪の宝塔形を表わすと言われる。

卒塔婆を一見すれば、地獄・餓鬼・畜生の三悪道を離れて、必ず安楽国に生ずる。

なんて、本当に卒塔婆を建立すれば、極楽往生間違いナシ、なのであろうか?

卒塔婆は元来、釈迦が入滅した折に、遺骨を土葬した土饅頭の上に建立された記念碑の一種だった。

五重塔は、其の型からして卒塔婆を模造したものであろうか?

後に卒塔婆は和式の五重形式の墓石と成ったのか?

そうであれば、回忌法要などで卒塔婆を建てるのは少々意味が違うと思うのだが。

寺によっては、付加価値を付ける為、卒塔婆に金のスプレーをかけて、何万円も請求する寺もあると聞く。

真偽のほどは定かではないが、ありそうな話である。

寺の収入を考えての事と思うが、此の智慧こそ僧侶の頭の使い方なのであろうか?

信心深い事は良い事であるが、僧侶の悪知恵にはどう対処すればよいのか・・・

境内を散策しながら思う事って、「こんなもんなの~?」






category: 雑感

CM: 2 TB: --   

 


『 遍 歴 と 掛 錫 』

L1000078.jpg

毎月一・二回は、千葉大附属病院に通っている。

診察が午後だったので、近くのお寺を訪ねて見た。

境内には、大変珍しく ”錫杖塚” が建立されていた。

「錫杖」 とは、棒杖の頭部に錫製(安物は鉄や銅製だが)の環のついた物で、諸国を巡る修行僧が持っていた。

インドでは、修行僧が野山を遍歴する時、頭部に付いている錫環を振って鳴らし、

毒蛇や害虫をはじめ危険な猛獣を追い払った、一種の武器でもあった。

また錫杖を地面に叩きつけ、小さな虫をを踏み潰さない様に使っていた。

中国では、遍歴を止め一か所に留まって修行をする時は、錫杖を鈎に掛けたので、

修行生活に入る事を、”掛錫” といった。

本来は、若い僧侶は持つ事は許されていず、齢老いた僧侶だけに其の使用が許されていた。

山道を歩く時に遭遇する獣や毒蛇、害虫から身を守る為の道具であった。

現在では使用方法も大きく変わり、護摩祈願の時等にも使用されるようになった。

『 草木国土 悉皆成仏 』

L1000087.jpg

境内墓地の一角に、”弔犬之碑” が建立され、犬の慰霊碑があった。

全ての物には霊魂が宿ると言う思想からなのか?

多くの寺で、針供養や人形供養などが執り行われている。 カメラのレンズや眼鏡の供養まで有る始末だ。

重々無尽縁起の法と言うからには、全ての物が縁で結ばれているのだろう。

特に、命のある草木や生きとし生けるものは、全て成仏すると言われている。

大学の医学部や製薬会社の生体解剖などで命を失った動物は、色々な寺で亡骸が供養されている。

「弔犬之碑」 が建立されていても、何も不思議な事ではなかろう。

『 ペット・ロス 症候群 』

L1000232.jpg
墓所に同時に埋葬されているのか?ペットの置物が・・・

”ペット・ロス 症候群” とは、ペットとの死別や行方不明などのより、引き起こされるストレスが原因で、

心的障害を引き起こす事がある。

多くの場合、飼い主がペットを伴侶動物(家族の一員)として位置づけている事が主因となっている。

うつ病や、不眠・情緒不安定・摂食障害などの、健康を害する程に悲嘆にくれる時には、

心療内科や精神科の受診も必要になる。臨床心理士のアドバイスに耳を貸すのも良いようだ。

『 倶 会 一 処 』

L1000233.jpg
ペットの名前を彫刻した墓碑の建立も・・・

「幸せは、弥生三月花の頃。  おまえ十九で わしゃ二十歳。

死なぬ子三人 親孝行。 使っても減らぬ金百両。 死んでも命があるように。」

無情の世にありながら、満足のいく良い状態だけが永続するのを願うのは、

いかに身勝手か。そして幸福を追求すればするほど、不満足も増えていく。 との事である。

何時までも家族の一員としてペットが元気で居てくれる事を願う気持ちは解かるが、

「生者必滅 会者定離」 の掟は、この世の常。

ある日、忽然として、有為無情の舊里を辞し、湛然として無為楽邦に遷る。

家族の一員として別れたペットの魂の行方は?

「阿弥陀経」 に曰く。”倶会一処” と。

此の世とお別れした魂は、極楽浄土へと導かれ、浄土で皆が集まり、楽しく過ごしましょう、との意味なのか?

そうであれば、ペット・ロスに陥る事も無く、また将来は極楽浄土で再会も出来る。

『 ”供養” とは、想い出す事 』

L1000234.jpg
友人O氏の妻が眠る黒御影のお墓。ペットも?

ある経典によれば、亡き霊魂を供養するには、一番大切な事は、”供養する事” と・・・

「弔犬之碑」 は共同墓碑として建立されているが、人間も動物も亡き霊魂を供養する追慕の念からか。

「これって、どう思う?」

先日、ある年配のご婦人の話をたまたま耳にした。

長年連れ添ったペットが亡くなった。

昔から境内墓地があり、其処にペットの遺骨も納骨してやりたいと、住職にお願いした。

住職曰く、”人間とペットは、行先が違う。ペットの納骨はダメ!!” と。

其れだけならまだ良かったのであるが、後日こんな電話があったと言う。

”ペットの供養をしたうえでなら、納骨しても良い” との事らしい。

その後の言葉がイケナイ!! ”供養には30万円のお布施が・・・” ときたもんだ。

金さえ出せば、ペット霊魂の行先が変えられると言うのか? 此れって、可笑しくない?

金さえ貰えば、何でも有り!! という拝金主義の寺と僧侶。 貴方は、どう思いますか?

僧侶は、檀家の悲しみも苦しみも、そして嬉しい事も、共に歓び悲しむのが、本来であろうに。

ペットも身内の一人であれば、お墓に入れてやりたいのが人情と言うものであろう。

亡き家族を思いだし、供養するって、「こんなもんなの~?」



category: 雑感

CM: 3 TB: --   

出会いを求めて・・・ 


『 街歩き・・・出会いを求めて 』

L1000207.jpg

最近は生活に余裕が生まれるからなのか? 街歩きをする人々が多くなった

先日、とある田舎へ過ぎ去った時間を求めて足を運んだ。

高額な旅費を使っての旅もあるだろうが、観光地巡りだけでなく、触れ合いを求めてそぞろ歩くのも一興だ。

旅の仕方にも色々あるが、日帰りで近場を訪ねても楽しさは倍増する。

此処は、「小湊鉄道」の ”上総鶴舞” 駅という、小さな無人駅。其処で下車した。

ホームには人影一つない寂しくも、暖かな日差しが降り注ぐ駅のホームだった。

ふと見れば、少々古びた木製のベンチ、昔懐かし牛乳のスチール製の看板が懐かしい。

誰が飲んだのか? 飲み終えたコーヒー缶がポツンと置き去られていた。

地元の人が発車までの時間を持て余しての仕業なのか? それとも観光客の捨てた缶なのか?

想像すれば、色々な事が思われるワンシーンでもあった。

『 地図さえ持たない、街歩き・・・』

L1000211.jpg

観光地を歩けば、地図を片手に右を眺め左を見ながら歩く姿によく出会うが、

私は地図はおろか何も持たない素手の散策が好きだ。カメラは同伴するが・・・

人気のない改札口を出て、取り敢えず駅舎を一回りした。

昔、使われたであろう枕木が、トタン塀に何をするでもなく立て掛けられていた。

ディーゼルが走るローカル線の無人駅。

過去の遺物に、今を生きるローカル線の運営の難しさを、其処に見る思いがした。

『 思わぬ発見は・・・』

L1000200.jpg

行き当たりばったりの旅の面白さの一つであるが、

人の気配さえ無い無人駅前。 100m先には地方の幹線道路(?)が走っているが、見当たる物はない。

少しばかり歩いていると、道の反対側に何だか生い茂った草叢に、洞穴らしきものが目に飛び込む。

動物が棲み付くには騒々し過ぎる。 人が入るには狭すぎる。 果たして何の為の洞穴なのか?

そんな事を考えながらレンズを向けた。 その時、ふと戦時中の事が頭を過る。

そう云えば、B29の焼夷弾投下の時、逃げまどい飛び込んだ小さな防空壕も、こんな物だった。

想像する楽しみは、街の繁華街では得られない。

当てもなくさ迷い歩く気楽なブラリ旅だからこそ、発見も有り想像する楽しみも得られる。

『 ”死” の中に、”生” を学ぶ 』

L1000215.jpg

何も無い駅前である。地元の人との出会いも叶わず、列車(と云っても、一両編成だが)が来るまで駅舎で。

ボランティア活動のお蔭だろうが、駅舎内は綺麗に掃き清められている。

手持無沙汰に時の経つのを持て余していると、白くペンキで塗られたベンチの隅に、糸トンボの死骸が。

夏の暑さの中では元気に飛び回っていただろうに・・・どうしてこんな処に?

よくよく見れば、可愛そうに蜘蛛の巣に餌食となったようだ。

蜘蛛にとっては死活問題だから、力の限りに巣を張ったのであろうが、

トンボの ”死” と、蜘蛛の ”生” を図らずも見る事となり、”生命” の還流を思う事となった。

食物連鎖はこの世の常だが、

我々人類は、己に都合のイイように、生き物たちに ”益虫” とか ”害虫” とか、勝手な事を言いはしないか?

此の世には、”益” も ”害” もありはしない。

物が腐れば ”腐敗” と言い、人体に良ければ ”醗酵” と勝手に言っている。

人から見て、自分から見て、良ければ ”善”、悪ければ ”悪” とは、何とも身勝手な考え方だ。

糸トンボの死骸を眺めながら・・・”死” と ”生” を再考した。

旅の面白さの一つって、「こんなもんなの~?」




category: 雑感

CM: 7 TB: --   

”美” 存在・・・ 

『 ”出会い” と ”別れ” 』

L1000180.jpg

今年の春、東京駅は大改修を終え、昔の姿を取り戻した。

都会の駅は、どこも立派で美麗で、エキナカと言われる商店街までも完備しているが、

昔の駅は、特に田舎の駅は木造の小さな粗末なものばかりだった。

”駅”・・・この響きが齎すものは、「歓喜の物語」 と 「惜別の物語」 であろうか。

或る日、私は片田舎の小さな駅に降り立った。

暫く木製のベンチに腰を掛け、辺りを見渡しフト太宰 治の 「列車」 を想起した。

「万歳の叫喚で送られたり、手巾で名残を惜しまれたり、または嗚咽でもって不吉な餞をうけるのである」

また、「頭の上の電気時計を振り仰いだ。到着まで未だ三分ほど間があった。

    見送り人にとって、発車前三分間ぐらい閉口なものはない」 と、ホームの情景を綴る。

長閑で空虚な時間が静かに流れるホームは、

迎える人なのか? 見送る人なのか? 其のどちらでもない人々が静かに腰を掛けていた。

都会の駅では決して見る事の出来ない、過去に流れていたであろうと思われる時間を感じる。

”旅は田舎に限る” と思う瞬間が、此処には確かに残っていた。

『 ドラマが生まれる、駅のホーム 』

L1000185.jpg

 行ったり来たり すれ違い  私 待つわ いつまでも待つわ 

駅のホームでは、こんな光景が幾たびか繰り返されたことであろう。

世の中が進歩(人の心もあれはて)し、駅のプラットホームでも別れのシーンを見かける事は無くなった。

朝のホームは、仕事へ学校へと急ぐ足ばかりだが、午後のホームは、病院通いのお年寄りばかり。

『 ”あわれ” は、嘆きの言葉なのか? 』

L1000184.jpg

侘び・寂び、 義理・人情、 あわれ・おかし、 普段耳にする対語である。

物静かな空気が漂う街を散策すると、廃屋と言われる建物にしばしば出会う事となる。

こんな時、心の中で、「あわれにも」 と叫ぶことがある。

”あぁ”、と言った感嘆の言葉が前語として付くのが本当だろうが。 

概念化されていない感動の言葉であり、其の中には ”気の毒に” という意味も含まれる。

朽ち果てる廃屋への驚きと、切ない気持ちが深く胸を打ち、鎮魂の言葉となるのであろうか?

出逢った廃屋に ”あわれ” を通り越し、”かなし” さえ覚えるのは、私だけなのか?

悲哀と辛苦の感情を超えれば、”畏怖” する心さえ喚起される。

廃屋との ”別れの悲しみ” を抱き、後にした。

寒暖・風雪・外敵から家族を守り抜き、使命を果たし耐え抜いた廃屋に、

一抹の感情が流れた事は、愛すればこその ”あわれ” と ”かなし” だったのか?

『 ”美” って、何だろう? 』

L1000186.jpg

人は一体 ”美” をどうとらえているのか? 何に ”美” を見出すのであろうか?

陶芸家:河井寛治郎の詩に・・・

「仕事が見つけた自分 自分を探している仕事 仕事が仕事を探している仕事

 美を追わない仕事 仕事の後から追ってくる美・・・」


現代社会をよくよく観察すれば、あまりにも美を追い求める仕事がおおく、

美を装う化粧、美を追う装い、美を装う動作、”美” を求める事には事欠かないのが現状だ。

美しく見せたいと思っても、”美” は決してやってはこない。

”美” は、身と心の美しさが滲み出た結果なのである。

”美” と ”女性” は付き物の様に捉えられる。

良く言われる言葉に、「女は、喪服を着ている時が一番美しい」 と。

喪服を着ている時が一番美しい、のではなく、

喪服を見事に着こなした時に、女も喪服も美しく見える、のが本当の事で、

美しく見えるのは、自己演出が上手で、内面の美しさが滲み出る時である。

朽ち果てそうな木の柵に、一本のバラの木が見事な花を咲かせていた。

「恋する女は、美しい」 とは、しばしば耳にする言葉だが、

美しさは、どんな恋をしているかによって決まるようだ。

心身美しい女性がいるのであって、女が美しく見えるのではナイ。

バラの花に、女の ”美” を見るって、「こんなもんなの~?」



category: 雑感

CM: 5 TB: --   

始発駅は、終着駅。 

 
『 ”五井”駅。 始発駅は、終着駅 』

L1000178.jpg

「小湊鉄道」 は、JR”五井”駅と接続している。

昔使われていたディーゼル気動車が、今でも健在している数少ない鉄道だ。

”五井”駅のプラット・ホームで本当に懐かしく思ったのは、右側の無蓋貨物車に出会った事だった。

終戦後、地方の鉄道では客車は進駐軍が使い、日本人用は貨物車だった。

無蓋車ではなかったが、牛や馬を乗せて運ぶ屋根付きの貨物車に乗車していた。

異臭が満ちた車内は、木の床は泥で汚れ、有るか無いかの小さな窓からの僅かな明かりに・・・

それでも歩くよりはマシという事で、何度も乗車した。そんな思い出を懐かしんだ。

『 保有車両の多さに・・・』

L1000227.jpg

”五井”駅、でJRから 「小湊鉄道」 に乗り換えの為、跨線橋を渡る時、其処から下を見れば、

陽に照らされて輝く数本の線路の先に、あの車両が出庫を待って居る。

小さな小さな 「小湊鉄道」 にしては、何と沢山の車両がと、失礼にも思わず唸った事である。

『 煙草はダメで、酒はイイのか? 』

L1000226.jpg
     ”五井”駅の改札を出て、喫煙場所で一服の楽しみ? それとも・・・

近年、何処も此処も禁煙・禁煙と・・・

タバコの害が、恰もこの世で一番悪害をもたすかのように。

確かに、喫煙する本人が体を壊すのは勝ってだが、副流煙による他人への害は困る事だろう。

では、酒の場合はどうなのか?

面白くないから、楽しいから、悲しいから、寂しいから、と酒を飲む機会には事欠かない。

家で飲むには、誰も文句を言う人はいないであろうが、

外で酒を飲む事に関しては、意外とクレームを付ける人が少ないようである。

マナーが無いだけの事なら、まだマシ。

泥酔し迷惑歩行をし、相手かまわずイチャモンをつけ絡み、挙句の果ては喧嘩沙汰。

飲酒運転は後を絶たず、被害者は無き寝入り(法律は加害者を守るが、被害者は無視)。

「酒は、キチガイ水」 とは、昔から言われている事。

酒の害と、被害者を産む現状を憂うのは私だけなのか?


『  ”卒業します 貴方から” メールでお別れ辛いけど

   女の人生一度きり 今日から一人で歩きます  』


な~んちゃって、タバコ片手にスマホでメール?

煙草も怖い、酒も害。 本当に怖いのは女の心!! 未練残すは男の心、なのか?

そんな幻想を抱きながらの一枚。

女心の怖さなんて、「こんなもんなの~?」




category: 雑感

CM: 11 TB: --   

夢の国へ・・・ 


『  乗り換え 間違え 奈落の園へ

            こちらの電車が 夢の国行き  』


L1000188.jpg

前々から是非行ってみたい処に、”上総鶴舞” があった。 車では無く、「小湊鉄道」 に乗って・・・

JR五井駅を始発として、「小湊鉄道」 は、一路東へと走り、房総の半ば ”上総中野” 駅が終点となる。

その先は、「いすみ鉄道」 が引き受け、”大原駅” へと線路は伸びている。

よく晴れ渡った先日、念願かなって「小湊鉄道」 に乗る機会があった。

”五井”駅で下車し、「小湊鉄道」 に乗り換えるのだが、跨線橋からチラリと見える古くて懐かしい車両が。

あれが一度は乗りたかったローカル列車で、夢の国への誘いなのか・・・と。

『  今宵は 貴方を 夢の国へ

           誘うキップを 切りましょう  』


L1000225.jpg

始発駅・五井で、”五井” ~ ”上総鶴舞” までの往復乗車券は買っていたのだが、

車内販売で乗車券を買いたかった。 車掌さんと一言話しかけられたのに、残念だった。

乗車している客の多くはスマホか居眠り。

長閑な田園風景も、沿線上で生活している人々には、ありふれた光景で珍しくも無いのは当然。

田舎育ちの私には、上京生活を長くしていると、田園風景は懐かしくもあり、

その上、ガタゴトガタゴト車体を揺らしながらノンビリ走る気動車に心は奪われていた。

憧れの地、”上総鶴舞” へと誘う列車の旅は、夢の国への乗り物なのか。

『  夢の先には 素敵な楽園

              行ってみませんか 夢を友に  』


L1000189.jpg

がら空きの客席で一組の御夫婦? それとも恋人?

暫くその女性の転寝姿を眺めていたが、余りにも気持ち良さそうな姿に一枚失敬させて頂いた。

ふと思ったのは、やはり此の気動車は夢の国への乗り物なんだ、と。

どんなに楽しく素敵な夢心地で、男性の肩にもたれ掛っているのであろうか。

男性も、遥か彼方に目を遣り、何を思っているのか? 想像するのは私。

微笑ましい光景に、予てより乗りたかった 「小湊鉄道」 に満足を感じた一日だった。

夢の国への細やかな夢って、「こんなもんなの~?」





category: 雑感

CM: 7 TB: --