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こんなもんなの~?

趣味の写真を添えて、日々の『戯言』を・・・

”もみじ” とは、黄葉 

『・・・秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 

          取りてそしのふ 青きをば 置きてそ嘆く・・・』
   (万葉集)

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万葉歌人の多くが棲んでいた大和路には、黄色に染まる樹木が多かった。

”もみじ” を詠んだ歌は137首あるが、紅葉を詠んだものはたったの8首、それ以外は全て黄葉の文字で、

色づく ”もみつ” と表現されている。

黄色を最高とする平安時代以前の色彩感覚が万葉人をして、紅葉よりも黄葉を好んだのであろう。

古今集の時代となると、『 おく山に 紅葉ふみわけなく鹿の 声きく時ぞ 秋はかなしき 』 (詠み人知らず)

ところが、『 奥山に 黄葉ふみわけなく鹿の 声きく時ぞ 秋はかなしき 』  (百人一首)

猿丸太夫が、萩の葉が黄色に染まった風情を詠ったものと言われている。

一体全体、どこで黄葉が紅葉に変わったのであろうか???

『 ”もみつ” から ”もみぢ” へと・・・』

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紅花染めは、ベニバナの花弁を水に浸し揉めば、黄色の色素が取り出せる。

”もみじ” の言語は ”揉み出づ” で、元々は ”もみち” と呼ばれ、後に ”もみつ” から ”もみぢ” へと変化した。

ベニバナの色素は黄色、となれば ”もみじ” は黄葉であった事だろうが、

時代と共に黄葉より紅葉の艶やかさを愛でるようになり、遂には ”もみじ”・紅葉となったのであろう。

「諸行無常」 といわれ、すべての事物は時と共に変化する。

古代から奈良時代、平安時代へと時代の変遷に伴い、人々の感情も変化する。

”もみつ” から ”もにち” ”もにぢ” そして最後には、”もみじ”・紅葉へと変化するが如くに。

”三渓園” に 「紅葉狩り」 に行くと言うように、”狩り” へと ”観る” ”楽しむ” から ”狩る” へとまで変化を見せる言葉。

”もみじ狩り” を楽しみながら、言葉の変遷の面白さに、日本人の感情の移り変わりまで楽しんだ一時であった。

言葉の面白さって、「こんなもんなの~?」



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”三渓園” 回想 

『 無いよりましな、我が家の庭園だった 』

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       緑樹に彩りを添える紅葉 三渓園 ”林洞庵”

私が小学5年生まで育った家は、小さな小さな家屋だった。

台所の横は六畳の日本間で二間の廊下が付いていて、その前が六坪ほどの土の空間があった。

父と二人で小さな可愛い池を掘ることにした。

丸い小石で池の縁を囲い、40cmばかりの深さを掘った1㎡ほどの池で、鯉と金魚を放った。

池の向こうには紅葉をはじめ数本の低木を植え込んだ粗末な庭が出来上がった。

そんな庭とは云えない程の庭だったが、嬉しく暖かな気持ちになったものだった。

『 ”タイ釣り舟” に、石庭を想う 』

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          瀟洒な佇まいの ”林洞庵”

日本庭園と云えば、京都・竜安寺の石庭や秋には紅葉色一色になる古刹の寺々であろう。

山口市にある古刹 「常栄寺」 は、”雪舟の庭” で有名な寺である。

中国大陸の三山五嶽に準え、庭石を豊かに配した庭園に、

四仙島と称される四つの島が浮かぶ心字池が配され、北側には滝が掛けられた枯山水の日本庭園である。

”雪舟の庭” を配した日本庭園は、島根県益田市にも 「萬福寺」 や「医光寺」 などが存在する。

山口県周防大島と本土との間を流れる海峡は、日本三大急流でも知られる海峡だが・・・

周防大島は、作詞家・星野哲郎氏や、先日他界した”異端の報道写真家” 福島菊次郎氏で知られる。

この海峡の急流が美味しい魚を育て、初夏からの ”タイ釣り舟” が夏の風物詩となっている。

ミカンの花咲く周防大島を背に紺碧の海に、タイ釣り舟の真っ白な帆と日除けのテントが目に眩しく、

点々と浮かぶタイ釣り舟の白い帆が、白砂描かれた波に浮かぶ石々にも似て、あたかも石庭を眺めている様でもある。

『 ”回想” で再発見する、日本人の美意識 』

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      心落ち着く日本家屋の間

”紅葉” と云えば何と云ってもポピュラーなのは京都であろう。

南禅寺・永観堂・清水寺・高台寺・・・と数え上げればきりがない程である。

石庭は心落ち着き ”無の境地” を味わせてくれる。 紅葉に彩られた庭は心浮き浮きとしてくる。

石庭も紅葉の庭も日本庭園であるが、此処は人工の美の結集した庭園で、あくまでも人工美である。

”三渓園” でも、此処 ”林洞庵” だけは内部をある程度詳細に観る事が出来る。

褐色一色の空間に浮かぶ、丸窓からの景色と、仄かな行燈の灯りが面白く・・・一枚。

華やかな紅葉を楽しみ、庵の落ち着いた空間に騒いだ心も落ち着きを取り戻す。

「日本庭園」・・・背後の山々を借景に拵え、時と共に移り変わりゆく景色を楽しむ。

石庭にしても、紅葉の庭にしても、日本人の美意識の高さは世界一であろう。

天台宗の宗紋に ”三諦星” がある。”空” ”仮” ”中” を表わしていると言われる。

右・左、どちらにも偏らない自由な心をが何より大切と言う教えであろうか。

そう云えば、そうだよね~!! 綺麗な庭とか見事な庭とか、そうでない庭だね~とか、

偏った見方は心を不自由にするよ~!!って教えているのであろう。

何事も程ほどでイイ。 いやいや、程ほどがイイと言う事でしょう。

そう云えば、私が育った家の6坪ほどの粗末な庭だったが・・・我が家に似合った ”程ほどの庭” だったのであろう。

今、”三渓園” を想い起せば、”程ほどの庭園” だったと思う。

回想の素晴らしさって、「こんなもんなの~?」


category: 雑感

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人類の ”功” と ”罪” 

『 科 学 技 術 の 功 罪 』

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            火災の起きた午前7時


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            半日経った午後五時

先日、船橋市のとある廃棄物処理場から火災が発生した。

早朝4時半に出火した火災は、半日経った夕方にも火の勢いは衰えず、もうもうと黒煙を吐き続けていた。

廃棄物処理場に積み上げられた3,500屯を超す油塗れのスクラップだから、早々に鎮火する筈はナイ。

赤く染まる冬の夕日に、黒煙は異様な光景を見せつける。

人類は二本足で歩行するようになり、急速な進歩をして来たと言われる。

あの巨体・マンモスも寒冷期を乗り切れず、絶滅の運命を辿ったが、人類は智慧でもって命を脈々と繋いできた。

人類について色々な言われ方があるが、”智慧ある生き物” とでも言えるのであろう。

黙々と立ち込める黒煙を目の前にして、思う事があった。 人間の智慧って、いったい何だろうか?と。

物事に表裏があるように、科学技術には功罪がありはしないか・・・

18世紀後半のイギリス産業革命は、石炭を利用した生産技術の革新をもたらし、手工業から工場生産技術へと発展。

其の恩恵は世界中の国々に、そして人々に、労働革命と享楽を与えたことに異論を吐く人はいないであろう。

以後、科学技術の発展には見るべきものがあるが・・・

千葉県でも昨年、石油コンビナートで爆発事件が発生し、二名の死者と20人の重軽傷者を出した。

中国では、化学薬品の不法貯蔵がもとで大爆発が起き、多大な被害が発生。

今日は今日で、横浜で大火災が発生。 事件の報道は枚挙に暇ない状態である。

行き付く所まで行き尽くした科学技術の発達、経済は資本主義で貧富の差は依然として拡大の一途を・・・

産業廃棄物でのスクラップの山は、人類が楽しむだけ楽しんだ結果生まれた厄介な残骸である。

資源の回収と言う利用方法も日進月歩であるが、

自然発火とは言え、一度火の手が上がれば消防車15台でも手が付けられない状態となる。

人間の知識が生み出した技術から受ける恩恵は、多大な物がある。 此れは科学技術の ”功” であろう。

反面自然破壊にもつながり、大気は取り返しのつかない程汚れる。此れは科学技術の ”罪” であろう。

スクラップ置き場から立ち上る、どす黒い煙を見ながら思う事があった。

人類の果てしない欲望がもたらす、人類の ”罪” ではなかろうか?

黒煙を眺め、凡人が考える事って、「こんなもんなの~?」



category: 雑感

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”白茶” を楽しむ 

『 真心を 有難く頂く 年の暮れ 』

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”今日は在宅ですか?” と携帯に・・・

昼前にマンションの喫茶ルームで O氏 に会った。

今年四回目の高野山詣りに行ったと云う。 盆前には四国八十八か所詣りを終えたというのに。

長谷寺から高野山・京都東寺・神護寺へと慌ただしいお参りだったのかな?。

一時間半ばかり談話に花が咲き、別れ際に ”これお土産です” と・・・高野山とうふクッキー と 中国茶を。

『 繊細で優しく、ほんのりとした甘味の ”白茶” 』

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早春に芽だけを優しく丁寧に摘み取られた白茶は、白く長い毛に覆われ加工方法も緑茶とは違い、

酵素の不活性化は行わず、優しく萎凋され甘い香りが生成される。

甘くマイルドな口当たりの白茶は、味に敏感な子どもにも大変喜ばれる。

優しい緑の香りで、水色は大変透明で薄く翡翠色を帯びた黄色で、

渋みが無く、芳醇な口当たりで甘い後味が舌に残る。 中国茶の超高級逸品である。

福建州の ”白毫銀針” や ”白牡丹” ・ ”寿眉” などが白茶の名品と言われる。

『 夏はグラスで、冬には蓋碗で・・・』

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夏には、グラスで水出しの白茶を楽しむべし!!

香りは増し、甘味が強く一服の清涼剤として最適な飲み方である。

一煎目は ”水出し” で愉しみ、二煎目からは熱湯を注いでもう一度楽しめる。

白茶の優しい味と香りを楽しむも良し、見た目も美しく上下にジャンピングする茶葉の姿を楽しむも良し。

寒い日には熱湯を注いで熱々の白茶を楽しむのもまた良し。

茶盤の蓋碗に茶葉を入れ、中投法で80℃ほどの白湯を注げば、5・6分程で香りと味が楽しめる。

楽しめると云えば、杯に残った残り香を楽しむのも又一興であろう。 お茶は鼻と舌で二度楽しむべしと言う事か。

『 茶は、楽しくいただく・・・』

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日本には ”茶道” という茶の楽しみ方がある。

禅に通じる精神性を尊び楽しむと言われるが、精神性を言うのであれば智顗の説く「摩訶止観」に学ぶべきと思うが。

中国茶と云えば、先ず思い浮べるのはウーロン茶であろうが、

中国茶は多種多彩で、緑茶・白茶・黄茶・青茶・黒茶・花茶・工芸茶と楽しみ方も多様である。

昔ながらの茶の楽しみ方に・・・

野良仕事の合間に、暖かは陽を浴びて軒先の縁側で一服の番茶を頂く。 日本の茶の楽しみ方の原点か?

番茶に熱湯を注ぎ、疲れた体の一時を茶で癒したものである。 茶菓子はタクアンをポリポリと。

”茶柱が立つ” 縁起がいいと言う言葉であるが、此れは番茶でしか出来ない事である。

また、”茶飲み友達” とも言われ、歳老いて茶が取り持つ縁を言う。

広く万民に親しまれる ”茶” であるが、何はともあれ楽しむ事が一番大切である。

家元制度に縛られた、煎茶道・抹茶道という格式ばった堅苦しい茶の楽しみ方もあるが・・・

番茶を楽しむ程気楽なものはない!! 茶を楽しむって、「こんなもんなの~?」


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”三渓園” の秋 

『 裏を見せ 表を見せて 散る紅葉 』    良寛(辞世の句)

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           紅葉真っ盛りの下、記念の結婚写真を・・・

良寛、辞世の句と言われているが、実は詠み人知らずの句を拝借したとも言われている。

裏を見せ、表を見せて散る紅葉のように、私も裏も表も無く今日まであるがままに生きた来た。

ここらで紅葉が散る如く、潔くあの世に旅立ってもイイではないか・・・生死即涅槃だね~。

此の句を詠んだには、貞心尼という良寛の弟子の句がある。

『 生き死にの 境を離れ棲む身にも 去らぬ別れのあるぞ哀しき 』 貞心尼 (句)

貞心尼は、良寛が余りにも素晴らしい僧侶なので、良寛の下で出家・僧侶となるが、

齢の頃は離れ、良寛が死の床に伏した時には、貞心尼はまだ30歳半ばの若さだった。

看病に足しげく通うが、良寛との別れの時は刻々と迫ってくる。そんな時に詠んだ句が上の句であった。

”生きるのも死ぬのも一緒” 生きているからと言ってぬか喜びする事もなく、死ぬからと言って悲しむべきもない。

そんな悟りを開いていなければならない私なのだが、やはり別れが此の世から無くなりはしない。

何と哀しい事なのか・・・此の句の返句として、良寛の 「裏を見せ 表を見せて・・・」 がある。

『 秋深し 隣は何を する人ぞ 』

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      白壁に紅葉の赤が映えて・・・

そうだよね~、私も秋の風情を楽しみに ”三渓園” に足を運んだ。

春には深緑を楽しみに、秋には紅葉狩りにと、猫も杓子も観光地へとなびく。

隣の事など気にもしないのが現代人なのであろう。 昔は人情が深かったんだよね~!!

『 秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七草の花 』  万葉集・山上憶良

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              裏路地を歩けば・・・

どうして人は、秋は紅葉と決めるのか?

日本の秋の愛でるべき風物は、何も紅葉と決める必要も無い筈なのだが・・・

萩・尾花・撫子・女郎花・藤袴・桔梗・・・そう、秋の七草。 

秋の七草は鑑賞する為の七草なのだがね~。 紅葉ばかりが人の心を捕えるなんて。

『 秋山の 紅葉あわれとうらぶれて・・・』  

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             数寄屋には紅葉がよく似合う

・・・入りにし妹は 待てど来まさず 』  と万葉人は詠う。

秋山の紅葉を ”あわれ” と心動かし嘆息の感動を。 紅に染まる山裾で一人、恋人の来ない現実を寂しく想う。

大和人の詩に託した心境は、現代人には微塵も感じられない。

『・・・恋に疲れた女が一人~』

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            苔の庭には、紅葉だよね~

『京都 大原三千院・・・』  デューク・エイシス 「女ひとり」 の歌詞。

大原・三千院、栂尾・高山寺、嵐山・大覚寺と、京都の紅葉名所を女ひとりの侘しい姿を・・・

恋に疲れた女の後姿の寂しさが、切実と伝わってくる気がする詩である。

張りつめた秋の空気に、燃えるような紅葉の赤。 こんな景色を一人で観るなんて勿体ないよね~。

何処の観光地でもそうであろうが、”三渓園” の秋を楽しむ観光客も、

秋の風雅を楽しむと云うよりは、雑談を楽しむかのようにワイワイ・ガヤガヤ、静寂の中に雑言は響く。

家に帰りつき、撮影した50カットの写真を眺め思ったのは・・・写真って、本当に便利だな~って事。

雑言は聞えないし、不要な光景はカット出来るし、部分部分は秋の素晴らしさを観る事が出来る。

写真の効用って、「こんなもんなの~?」   



category: 雑感

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日本庭園の美は・・・ 

『 ”美の欠如” が寂しい・・・』

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予てより一度は行って観たかったのが、”三渓園” であった。

一般公開された当時の正門には、三渓自筆の 「遊覧御随意」 と書かれた門柱があった。

入館料を払い、園内に足を運ぶと目の前には広々とした大池が広がる。

日本庭園の主役は、空間性と時間性ではないか?。

此れは作庭条件が特別な配慮により成り立っている証拠でもある。

池を取り巻く優しくなだらかな山々を借景として、色調や樹木の枝振りなども考慮に作庭される筈だ。

”借景” は日本庭園の最大の特徴であり、其の空間と流れる時間は決して無視できないものである。

三渓園の特徴の一つは、低く穏やかな山並みを借景に広く池を配した事だが、

其処には、”美” が見いだせない事であろうか? こじんまりとしてはいるが、京都の庭園にある ”美” の欠如なのか。

『 日本庭園は絵巻物 』

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左に大池、右に蓮池を眺めながら進むと、なだらかな丘の上に”鶴翔閣” が優美な姿を現す。

後で気づいた事だが、松の深緑と紅葉の紅葉に囲まれ、静かに佇む建物のこの景色が一番の見所であった。

”鶴翔閣” は、恐らく建て増し建て増しで完成した事と思うが、”建て増し” の思想こそ日本庭園の特徴とも言える。

”三渓園” は回遊式庭園であるが、今は亡き三島由紀夫は 「時の庭園」 とよんでいた。

視線を少しばかり移せば、庭園の世界は一変する。 回遊式庭園の趣の特徴である。

刻々と変化する山並みの姿を愉しみ、庭を歩けば絵巻物でも見るかのようなのが、日本庭園であろう。

『 ”雅” の京都、”寂” の江戸?』
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     三渓が夫人と共に暮らした数寄屋形式の隠居所 ”白雲邸”


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        伏見城にあった大名の控え所を移築 ”月華殿”


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         宗徧流林洞会寄贈の 茶室 ”林洞庵”


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  ランドマークか? 旧・燈明寺 ”三重塔”

二時間ばかり ”三渓園” の回遊式庭園の散策を楽しんだ。 と言うより、期待外れの想い出が残っただけだが。

何よりも残念なのは、どの建物にも 「立ち入り禁止」 の札が懸けてあり、内部が見学できない事だった。

おまけに、紅葉のシーズンを少しばかりずれたとは云え、庭の手入れが全くされていなかった。

”三渓園” に来てみれば、京都へ京都へと観光客が靡くのが良く判る。 本当にガッカリとした印象だけが残る。

”雅” ”幽玄” ”侘” ”寂” ”粋” だけが日本人の美意識とは言わないが、”風雅” の一端ぐらいはと思ったのも事実。

日本の伝統美学を満足させるには、ハードのみならずソフトも大切な要素ではなかろうか?

「常はゆかぬ心地も あはれうれしう覚ゆること 限りなし」  『蜻蛉日記』

足取りも重く ”三渓園” を後にした休日の一時だった。

期待を裏切られるって、「こんなもんなの~?」


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馬に学ぶ 

『 何処の馬の骨とも判らない・・・』

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            乗馬クラブ ”クレイン” 玄関口

馬にとって、何と失礼な言葉でしょうか。

少し前まで競走馬として、氏素性のハッキリとした家庭(?)に生まれてきたのにね~。

父も母も名馬(?)として活躍し、私も中央競馬会で皆様に愛されてきた。 ”何処の馬の骨” とはね~。

『 北しぐれ 馬も故郷へ 向いて哭く 』   小林一茶 (句)

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        会員サロン内部。多くの馬具が展示されている

”どうぞお入り下さい” のお誘いの言葉に、サロンを見学。

テーブルやソファーの置かれた広々としたサロンには、いたる所に馬具が展示されていて、

窓際では、広々としたガラス越しに馬場が見学できる。

気さくなスッタフが、気軽に会員さん達と話をしている光景は、乗馬クラブの質の高さが伺えた。

『 栄光の 過ぎし日を 胸に秘め 』

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       メインの厩舎内。 整然としているが少し暗いかな?

日差しを受けた目には、厩舎の中は暗くて少々見づらかったが、整理整頓は行き届いている様だった。

馬たちは、夜には藁が一面敷かれた此の厩舎で、暖かく眠れるのであろう。 

見る夢は過去の栄光の夢なのか? それとも独り寝の寂しさを味わっているのか?

『千里の馬は 常にあれど・・・』

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           外庭に設えてある厩舎前で・・・

・・・伯楽は常にあらず。

千里を走る名馬は常に有り得るのだが、其れを見抜く人は少ない。 中国の諺。

中央競馬で重賞を得た名馬は、引退しても種馬として余生を送るが、

そうでない駄馬(おっと失礼)の引退後の生活は? 薬殺されるには忍びないが・・・

乗馬クラブ ”クレイン” で余生を送っている馬たちの活躍は、如何なものだったのか?

生を享けた時には、競馬で活躍しそうだ、名馬となるだろうと・・・期待され落札されたのか?

千里を走る馬と見越され、其々の馬主の元へ。

名馬とまではいかない馬たちも、余生を此処で暮らせる事は恵まれているのであろう。

土日・祭日もナシに、馬の手入れは欠かせない。

会員たちに丁寧な手入れを受けられる過去のサラブレッド。 先行きも幸あれと祈るばかり。

『 一に心、二に手綱、三に鞭、四に鐙 』

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         雨の所為か? 霜の所為か? ぬかるんだ馬場

古来、人間は野生馬を調教し、友として今日まで歴史を刻んできた。 其の所為で格言も多い。

上手く付き合うには ”心と手綱と鞭と鐙” とはよく言ったものである。

競走馬として生まれ、余生を乗馬クラブで暮せる馬は幸せ者であろうが・・・

”馬は土から” とも言われるように、広大な土地に良質な牧草が何より大切であるが、

牧草としての餌は与えられるが、狭くてぬかるんだ土場ではね~、少しばかり馬が可哀そうかしら。

”天高く馬肥ゆる秋” とか ”馬の耳に念仏” ”馬子にも衣装” とか馴染みの諺が一杯ある。

競走馬の世界では、”血統は信ずべし、信ずべからず” と言われ、

血統第一のようだが、血統だけじゃないよね~。 大事な要素の一つではあろうが。

乗馬するには、”二心同体” が一番大切な事で、心が通わないと愛馬でも思うようには動いてくれない。

其れは其れとして、私たち夫婦は ”二心同体” で今日まで過ごして来たかな~?

馬と乗り手だけじゃ~ないよね~。 夫と妻でも何より大切な事は、”二心同体” だよね~!!

馬に学ぶ事って、「こんなもんなの~?」


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老いてますます・・・ 

『私の名前は ”セリカ”、品があるでしょう~』

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  ウインター・ラグ着用の ”セリカ”

先日、私用で乗馬クラブへ車を走らせた。

先ず目に入ったのが此の白馬。 名前を ”セリカ” と言い、御年の頃は私と同じく老年期に差し掛かっているらしい。

まぁ、私も午年生まれなので愛着を覚えたのか?

聞けば、気は優しくうつむき加減で歩くらしい。 こんな歩き方も私と似ている。

栗毛もいいが、白馬は上品さがあり気品すら感じる。

若い頃は中央競馬で活躍したらしいが、引退すれば乗馬クラブで余生を暮らすと言われる。

普段は会員さんを乗せてパカパカ馬場を駆けているのであろう。

それにしても、此の歳になっても気品をたたえ威厳すら漂わす。

私も ”セリカ” も同じような年頃なのだが、果たして私も ”セリカ” 同様に気品と威厳を漂わしているだろうか?

生まれも育ちも並だったので、”セリカ” のような風格は私は持ち合わせていないように思う。

改めて品格の大切さを感じさせられた一時であった。

『余生も働くって、きついよね~!!』

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            馬場へと引かれて・・・

”セリカ” に気を取られていると、目の前を一頭の白馬が馬場へと引かれて・・・

此方の白馬は何となく ”セリカ” のような気品はなく、少々お疲れ気味にすら感じた。

だって、”あぁ~あ、また馬場へ行くの~?” って目付きで何となく寂しさを感じさせた。

最近は乗馬ファンが急増している様だ。 乗馬は高尚な趣味でもトップクラスであろう。 

愛馬を飼うとまではいかなくても、入会金や会費・色々な馬具を揃える費用を考えれば・・・

馬には乗った事は無いが、”セリカ” のような馬には一度ぐらい乗ってもいいかな?と思うから不思議。

「馬には乗ってみよ!! 人には添ってみよ!!」 と言うではないか。

白馬の魅力に感じるって、 「こんなもんなの~?」



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深秋の想い 

『 橘は 実さへ花さへ・・・』

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・・・その葉さへ 枝に霜降れど いや常葉の樹~    万葉集・聖武天皇

橘は古来より、いつも薫り高くつやつやと青い葉を茂らせ・・・理想郷の象徴だった。

何時までも若々しく健康でありたいとの願いから、人は健康診断を受けるのであろうか?

肥満や高血糖は不健康。だから食事に気を付け、散歩するのは健康第一との願いからであろう。

診断結果は良好だったが、此れから先の事を重ん見れば散歩を欠かす事は出来ない。

久し振りにペットの ”らら” を連れて近くの香澄公園に出掛けた。

『 上手くいくかな~ 上手くなるかな~』   コマーシャルではないが・・・

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東屋で、アルトサックスの練習に励んでいるお年寄りにであった。

”いい音色ですね~” と褒めれば、”上手が吹けば、もっといい音なんですがね~” と。

ミュージック・サロンにでも通い、年末の発表会でも出演されるのだろうか?

同じ曲を繰り返し繰り返しの練習だった。

金色のサックスと真紅のシャツが目を惹きつけるシーンに思わず記念にと一枚・・・

『 落葉松は、常なき身なのか?』

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北原白秋の詩の一部分に・・・からまつの林をすぎて、からまつはさみしかりけり。

                   世の中よ、あわれなりけり。 常なれどうれしかりけり
・・・とある。

心地よい落ち葉を踏みしめる音を楽しみながらの散歩、

褐色色の落ち葉・カラマツの一生を重ね見る思いすらする。

我が身も常なき身だけれど、しみじみと嬉しい思いが湧き上がる。

そよ風の中の散歩はまた格別であり、一生の意味すら考えさせられる。

『 退屈なのか 陽だまりで 毛繕い 』

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竹ノ内栖鳳の名画に、重要文化財指定の 「班猫」 がある。

散歩の帰り道に、人馴れしない一匹の猫が陽だまりで毛繕いをしていた。

左右反対に転写すれば、栖鳳の 「班猫」 の直ぐさ其のものである。

ただ違うのは、「班猫」 の眼は青緑色。こちら 「野良猫」 の眼は金褐色色。

猫は人に要求すらすれど、おもねる事は決してないと言う。 逞しいとでも言うかのように。

毛繕いの手を休め、カメラ目線で怪訝そうに見つめる野良だけど、

一時の憂さを忘れさせてくれる午後の陽だまりだった。

深まる秋の一時、思う事って 「こんなもんなの~?」 


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失われた、”江戸しぐさ” 

『 そんなに急いで、何処行くの~?』

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”急ぎ過ぎた人生” 過去の事であるが・・・

余生は流れゆく時をのんびりと過ごしたいと思うのだが、果たしてどうなる事やら。

人の倍楽しみたい、其れには人の倍以上働くなくちゃ~と、若い時を過ごしてきた。

ここらで、傷んだ処があればと二週間にわたり健康診断を受ける事にした。

壊れた部分があれば、この際修理でもしようかと・・・

幸か不幸か? 今の処まだまだ働ける体力が残っている様だった。

『 急がば、廻れ!!』

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久し振りに電車でお出かけと駅に向かうと、皆急ぎ足で歩いていく。

忙しい世の中を、自ら忙しくしているかのように。

心にも時間にも、余裕を持つことの大切さを忘れたかのように。

『 急いては、事をし損じる 』

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”江戸しぐさ” という言葉があるが・・・他人迷惑を考え、お互いに過ごし易くする智慧(マナー)なのだが・・・

入院生活をしていると江戸の人々が気遣った ”江戸しぐさ” は、今は見る影もない事を思い知った。

医師も看護師も、患者には必要以上の気遣いを払うが、患者の方は我儘一点張り。

同室の患者にも当然気遣いなど微塵も感じられない。

部屋に洗面所・トイレが設えてあるが、後の人が気持ちよく使える様な行為も無く、

独り言の大声は出すし、夜の夜中にゴソゴソ動き回るし、迷惑千万を撒き散らす患者の多い事。

「今の若い者は・・・」 と年寄りはしばしば口にするが、老若男女みな ”江戸しぐさ” を失っているのか?ね~。

入院生活で思い知らせられる事って、「こんなもんなの~?」


category: 雑感

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