Admin New entry Up load All archives

こんなもんなの~?

趣味の写真を添えて、日々の『戯言』を・・・

お洒落な縄文人 

『 腰飾り? それともペンダント? 』

L1001773.jpg
        腰飾りは、キツネの牙なのか?

骨を削り、牙を磨き、歯や爪までも装飾品に加工する技術を身に着けていた縄文人。

ネックレスを作り、ペンダントやイヤリングで、数千年前の縄文人は身を飾っていたようだ。

貝の腕輪やペンダント、シカの角を細工した腰飾り、石製の耳飾りもあり、ビーズの首飾りまでも・・・

又、そのデザインの豊かさには驚かされる。

『 最先端の、縄文ファッション? 』

L1001660.jpg
             大小さまざまな土製ピアス

多くの土偶には、耳に開けた小さな穴を目にする。

穴は耳飾りの穴で、最初は小さな穴を骨針などで開け、小枝などを用いて徐々に大きく開けていった。

1㎝にも満たない小さな物から、大きなものは8㎝にもなるものまで・・・

ピアス穴が大きくなるにしたがってなのか? それとも大きさを競っていたのか?

いずれにせよ、縄文ファッション最先端と言えばよいのかね~?

重さに耐えかねたのか?透かし彫りの工夫をして軽くしたようである。

『 頭髪は、漆で飾った櫛を留め金として 』

L1001662.jpg
            漆で固め、装飾を施した櫛  (埼玉県後谷遺跡)

縄文土偶を眺めていると、女性の髪型の長さや整髪の仕方に不思議を感じる。

ターバンのような髪型は果たしてどのように結ったのか? 決して労働には向いていないようだが。

日常生活でもこんな髪型だったのか? それとも、特別な日の為の髪型なのか?

頭上に結い上げた髪型では、頭髪を纏めるには櫛や笄が必要だったに違いない。

『 ポーチを掛けた、最先端スタイル 』

L1001772.jpg
   腕輪にペンダント。そしてイヤリングまでも

石を削り、磨き、穴をあける。 縄文人は貴石や宝石までも加工する技術を持っていたようだ。

砥石で形を整え、ヒスイの様なモース硬度の高い宝石は、長い長い時間をかけて研磨した事であろう。

メノウなどの比較的柔らかい石は、硬い石器を使わずに、細い竹や鳥骨に硬砂をつけヤスリの代わりとした。

穴は表と裏から穴を開けたらしい。貫通した穴を見れば、二重になっている事で判る。

『 こんな処に、ポーチを掛けていたの~? 』

L1001750.jpg
        竪穴住居は意外と暮らし易い

縄文時代に土器が発明され、人々の暮らしは一変した。

穀物の様な硬くてそのままでは食べられない物でも、加熱し煮る事により食料となり、

灰汁を抜き、醸造すら可能になり、料理革命が起こったのが縄文時代だ。

火を起こす事を知り、寒さからは解放されたが、腰蓑だけではね~。

そこで身に纏う衣服が作られ、身を飾る装身具まで考え出したのであろう。

およそ現代人が身に着けている物は、早くも縄文人が発明していた。 ポーチまでもね~。

縄文人の先進製・意外性って、「こんなもんなの~?」



スポンサーサイト

category: 雑感

CM: 2 TB: --   

持つべきものは・・・ 

『 古民家で、お昼ご飯を・・・』

L1001733.jpg


『 調度品に、心落ち着く・・・ 』

L1001729.jpg


『 創作料理には、スムージー & コーヒー付きで・・・ 』

L1001730.jpg


『 小鳥たちにも、ご馳走を・・・ 』

L1001732.jpg


『 何気ない心遣いが・・・』

L1001736.jpg

友人O氏が三週間の入院で、先日退院したと連絡があった。

腎臓・膵臓・胆のう・・・なんとも複雑な症状だったようだ。

今日は快気祝いにと私から誘ったが・・・ お会計は私の知らないうちに、O氏が済ませてしまった。

此れでは私からの快気祝いではないではないか、ね~!!

以前、O氏のお誘いで行ったことのある 「宮崎亭」 での会食であった。

まだ浅き春の庭園で、コーヒーを頂きながら、久しぶりの会話を楽しんだ一時だった。

”持つべきものは、友人” って、「こんなもんなの~」 そんな~!!って感じ。



category: 雑感

CM: 6 TB: --   

春うらら 

『 春の心は のどけからまし?』

L1001724.jpg

「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」 在原業平

とは言っても、やはり春には桜がいいよね~。

少しばかり肌寒いが、春の日差しを浴びながらの散歩は、気持ちもウキウキ。

自宅の近くには、若松公園・谷津干潟公園・幕張海岸公園・秋津公園・香澄公園と、散歩には事かかない。

一足早い花見ではないのであろうが、香澄公園には多くの家族連れが長閑な春の陽を楽しんでいた。

『 木漏れ日に 苔むす庭の 閑かさや 』

L1001728.jpg

そうだ 京都行こう・・・JRのコマーシャル。 苔むす ”苔寺” は見応えがあるが、

近くの公園でも、苔むす庭の散策を楽しむ事は出来る。

『 桜だけが、なぜもてる?』

L1001722.jpg

春と言えば桜に話題がのぼるが、春を告げる花として ”木蓮” もある。

清楚な ”白木蓮” に、高貴な ”紫木蓮” があるが、もともとモクレンとは ”紫木蓮” の事だったのか?

同じ頃に一足早く咲く ”辛夷” もある。握りこぶしに似ているから、こう呼ばれるという。

”木蓮” や ”辛夷” が満開になる季節になると、蕾が開くように、寒さでかじかんだ手も開く季節となるよね~。

『 ”侘助” は 侘び寂びの 雅かな 』

L1001726.jpg

茶人・笠原侘助が好んで育て、利休が茶事に用いて大好評だったのに因み、”侘助” の名がついたと言われる。

小輪の一重の椿 ”侘助” は、茶花として昔より茶人に愛好されている。

木陰の一隅に堕ちた ”侘助” に・・・

”侘び” ”寂び” の中に ”雅” を感じるのは、私だけだろうか?

散歩する楽しみって、「こんなもんなの~」



category: 雑感

CM: 2 TB: --   

レプリカ だけど・・・ 

『 豊 穣 の ”ヴ ィ ー ナ ス” 』

L1001645.jpg
     縄文のヴィーナス (国宝)

茅野市尖石縄文考古館収蔵の ”縄文のヴィーナス” 。

新たな命を抱えているのか? 繊細で豊かな腹部の曲線。

この時代の土偶は、絢爛豪華な文様を施されているのに、僅かに文様を施された頭部が調和を見せる。

完全に装飾性をそぎ落とした、質素で丸みを帯びた肉体が放つオーラが国宝に指定された理由であろうか。

『 パ ン タ ロ ン を 履 い た ” 女 神 ” ? 』

L1001652.jpg
       縄文の女神 (国宝)

山形県立博物館所蔵の ”縄文の女神” 。 

デフォルメされたボディーは、優美な曲線と直線との組み合わせで、前衛的造形美は西洋モダンといったところか。

縄文土偶にしては他と少々かけ離れた造形のようでも、短い腕に出尻と言われる突き出た尻とが、縄文土偶そのも。

頭部は扁平で空を見上げる表情に、豊かさは伺えない。

長い脚にピンと張った背筋、余りにも美しすぎる縄文のヴィーナスである。

”女神” と ”ヴィーナス” は、どう違うの?

”女神” を英語では、”VENUS” では? と、言うことは、”縄文の女神” と ”縄文のヴィーナス” とは、どう違うの?

まぁ、そんな些細な事はどうでも構わないことだが・・・

二つの土偶は、方や母性を讃え、一方は憧れの女性像 (まさかこの時代に、ファッション・モデルはいないだろうに) の

追求なのか? と思わず考え込んだ。

そして思うに、”女神” のふくよかさに、ルノアールの女性を。 ”ヴィーナス” のモダンさにデザインの進化を。

過去から現在に至る表現方法の原点は、”縄文にあり” と思わずにはおれない。

現代の絵画やデザインを眺めていると、

革新的デザインと言えども、古代より連綿と続くデザインの模倣に過ぎないのか? と。

縄文の土偶や土器類を眺めながら想像するって、「こんなもんなの?」



category: 雑感

CM: 0 TB: --   

嬉しいね~!! 

『 栄 枯 盛 衰 の 夢 』

L1001716.jpg

オートレース発祥の地 「船橋オートレース」 が、昨日を以て65年の幕を閉じた。

最後のレースは、特別G1 ”プレミアムC” と名打った優勝戦が行われた。

元SMAPの森 且行選手も出場したが、優勝選手は地元所属の永井大介選手。 お祝儀レースで終わったのか?

ここ数年は閑古鳥が鳴くような寂しい日々が続いたが、今日は650台収容の駐車場も満杯の様子。

近年の平均入場者数も4,000~5,000人と、なんとも気の毒な開催が続いていた。

発祥時はダートコースであったが、後に舗装走路500mに改装され、全周観客席という珍しいレース場だったが、

時代の波には逆らえず、昨日を以て閉場と相成った次第だ。”栄枯盛衰の理” とは此の事か。

『 見納めにと、満杯のファンが・・・』

L1001712.jpg

 今日でお別れね もう会えない   菅原洋一 (歌)

別れを惜しむファンで満杯になったレース場。

普段から観戦に来ていれば、閉鎖の憂き目に遇わずに済んだろうにね~。

寝台列車 ”カシオペア” も ”船橋オートレース場” も本日をもって、ハイ御終い。

無くなるとなると、人は何故にこうも集まるのだろうか? 不思議な心情であるね~。

『 兵 ど も が 夢 の 跡 』

L1001714.jpg

65年の長きにわたって戦いを繰り広げた ”船橋オート” ではあるが,

誠に娑婆世界は、諸行無常・有為転変と言われるのは此の事なのか?

『 出店も今日ばかりは・・・』

L1001719.jpg

老若男女と言われるが、今日ばかりは最後のレースとばかり、幼子を連れての観戦者が多く、

出店にも人だかりができる始末のようだった。

TVモニターでオッズを真剣に見入る人や、新聞片手に赤ペンを・・・

結果的には、持ち金すべて巻き上がられるのだろうに、哀れなのはギャンブラーなのかね~。

『 イ ベ ン ト も 盛 り 沢 山 』

L1001720.jpg


L1001721.jpg

有名選手の実車も展示され、子供たちが次々にと乗る姿が見受けられた。

真剣な眼でいい大人が跨って・・・こんな光景も見ることが出来た。

何よりもレース場廃止を歓迎する家がある。 それも1960件も。

道を挟んで、高層マンションが建っている。

開催日には、窓を閉めても75~80ホーンの煩さだ。

我が家も、ペアガラスの窓だが、TVの音も電話の音も聞こえない程の騒音。

仕方なく、窓も内側にもう一枚ペアガラスの窓を・・・四枚のガラス越しでも騒音は騒音。

酒を飲みながら、煙草を吸いながら、品の無いおっさん達が歩く姿も見納めなのか。

ギャンブル場が無くなれば、下層老人も少しは減るのでは?と思わず・・・

寂しさよりも、嬉しさ一杯なんて、「こんなもんなの~?」



category: 雑感

CM: 4 TB: --   

卑弥呼に会った 

『 初めまして、私が ”卑弥呼” よ・・・?』

L1001605.jpg

国立歴史民俗博物館で、卑弥呼(?)に出会った。

何とも可愛く美しい女の子ではないか。

『後漢書』 『三国志』 に ”卑弥呼” の事が書かれてある。、

桓霊の間、倭国大いに乱れ、更相攻伐し、年を歴るも主無し。

一女子有り、名を ”卑弥呼” と曰い、年長ずるも嫁せず。鬼神の道に事えて、能く妖を以って衆を惑す。

是に於いて共に立てて王と為す。侍婢千人見えしこと有る者少なし。唯だ男子一人有りて、飲食を給し、辞語を伝う。

居処の宮室・楼観・城柵は、皆兵を持して守衛す。法俗は厳峻なり。

成長しても結婚せず、神がかりになって宣託し、巫女として振る舞い、人々を惑わしていた・・・と。

倭国のシャーマンだった。 とても写真の様な可愛い子ではなかったのだ。

『 酒は何で飲んだの? ”高坏” で? 』

L1001641.jpg

倭国は気候温暖で冬でも夏でも野菜が出来るが、生野菜を食する。

飲み食いする時は、箸を使わず手掴みで食べるが、竹皿や ”高坏” はある。

一般に皆裸足で歩き、蹲踞の姿勢で敬意を表す。倭人は皆、酒を好む・・・と

『 権威の象徴なのか? ”銅鏡” 』

L1001617.jpg

『三国志』 は、”金印” に続いて、「汝に紺の地の小紋の錦三匹と、こまかい花模様の毛織物五枚、白絹五十匹、

金八両、五尺の刀二振り、銅鏡百枚、真珠・鉛丹各々五十斤、みな封印して持たせる。

着いたら受け取るように。その賜り物をみな汝の国の人に見せ、魏の国が汝を慈しんで、

わざわざ汝によい物を賜ったことを知らせよ」 と。

『 つまみの蛇は、倭国が東南の位置だから?』

IMG_0239.jpg

『三国志』 に曰く。 

「親魏倭王卑弥呼へ詔す。汝の献上品である男隷四人、女隷六人、斑織りの布二匹二丈を持って到着した。

 汝の住むところは、海山を超えて遠く、それでも使いをよこして貢献しようというのは、汝の真心であり、

 余は非常に汝を健気に思う。さて汝を親魏倭王として、”金印”・紫綬を与えよう。

 封印して帯方郡の太守にことづけ汝に授ける。 汝のよこした使いに、苦労して来たので、銀印・青綬を与える」 と。

”金印” は、福岡県志賀島で発見されたが、”銀印” の発見はどうなのか・

漢帝国では、皇帝を頂点とする秩序に組み入れるため、異民族の王位にも官位と印綬を与えた。

国宝 ”金印” は、一片が2,3㎝ 重さ108g の純金製で、つまみ部分は蛇を象ったものと言われる。

国立歴史民俗博物館で久しぶりに、太古の時代に夢馳せる時間を楽しんだ。

愛らしい ”卑弥呼” に会える喜びって、「こんなもんなの~」




category: 雑感

CM: 2 TB: --   

足利織姫神社 

『 夕暮れ迫るも、参拝者が・・・』

L1001585.jpg
                うら寂しく感じる、裏参拝口

足利・鑁阿寺、足利学校を後にして、市内を見下ろす小高い所に 「織姫神社」 訪ねてみた。

裏参拝口は駐車場から直ぐだが、正式に鳥居をくぐり参拝するとなると、表参道から。

境内から参拝道を見下ろしてみたが、なんと階段の多い事。数百段はあろうかと。

『 朱塗りの神殿が、緑に映えて美しい 』

L1001588.jpg
             再建なった神社は、目にもまぶしい

織姫神社は、「足利織物」 の隆盛を願い建立されたものであり、

守護神は、”八千々姫命” と ”天御鉾命” が祀られている。

『 処変われば、品変わる? 』

L1001586.jpg
      愛は限りなく広い。そして深い (愛の鐘奉納者)

”愛” とは、 キリスト教では、「汝の敵を愛せよ」・・・誰でも解かる名文句。

        仏教では、「何事にも、執着するな」・・・えっ、そうなの~?

「処変われば、品変わる」 とは言うが、宗教も変われば、意味も違うんだね~。

仏教では、愛は ”固執するな”。

そう言えば、愛するって、”相手は自分の物” って固執するその物かもね~。

何事にも固執するから、苦しくなるんだってよ。 

そうか~、”愛” に固執したばっかりに、後々苦しくなるんだ~。

『 魔除けの護符は、”角大師” 』

L1001591.jpg
    ”恋みくじ” とは、引いてみたくなるよね~

全国どこの神社仏閣にも、”お御籤” や ”お守り” は人気を呼んでいるようだ

比叡山横川に比叡山中興の恩人と呼ばれ、霊能力を持つ慈恵大師・良源を祀る 「元三大師堂」 ある。

不動明王の化身と言われ、カリスマ的存在で、霊能ぶりを遺憾なく発揮した伝説は枚挙にいとまない。

ある日、鏡に映った自分の姿を弟子・明普に描かせた。 

その時の姿は、骨だらけの角を生やした鬼の姿をしていた。以後 ”鬼大師” と呼ばれるようになる。

墨で描かれ、角を生やし蹲踞した骨だらけの鬼の姿をした、護符を目にした方も多いと思う。

”角大師” ”豆大師” と呼ばれるお守りで、比叡山横川の文字が書かれている。

何処にでもある ”お守り” の原型が、”角大師” の護符である。

『 女心をくすぐる、キャラクター絵馬 』

L1001592.jpg
                 時代が変われば、絵馬も変わる

縁結びの絵馬には、「元カレと、よりが戻せますように」

織姫の良縁結ぶ赤い糸の絵馬には、「あの人との出会いが、実を結びますように」 等々。

薄れかかった記憶を呼び戻す旅、足利観光をしてつくづく思った。

記憶って、本当に曖昧なもんなんだね~。 そして忘れかかっていた己の年齢を。

この歳までくると、昔の経験も記憶も数々ある。 それを思い起こす楽しみは、若者には出来ない。

歳を重ねるメリットって、「こんなもんなの~?」



category: 雑感

CM: 2 TB: --   

大自然を知る 

『 山路を歩けば・・・』

L1001579.jpg
                      変形した岩盤に出会う

夏目漱石は 『草枕』 の書き出しでこう言う。

「山路を登りながら、こう考えた。 智に働けば角が立つ。 情に掉させば流される。 

 意地を通せば窮屈だ。 とかくに人の世は住みにくい」 
と。

いやいやこの世は、捨てたものでじゃ~ないよ。 山路を登れば、色々な断層や化石を見る事もある。

地球誕生から46億年。 人類の祖先が現れてから700万年。 縄文時代でも既に1万年を経過している。

大自然が起こす火山噴火や大地震などで、太古の地球の成り立ちを断層などで見る事が出来る。

成り立ちを知り、地球変動のリズムを知ること、山や川や地盤を知ることは、人類にとって大切な事であろう。

『 珈琲に、クリープじゃぁ~ないよ 』

L1001580.jpg
                 崩壊発生後の、”岩盤クリープ” か?

登山道や林道を歩いていると、地面が斜面方向に倒れ掛かっているのを見る事がある。

足利市内には、渡良瀬川が流れている。

太古の昔、斜面の下端が川の下刻や側刻により、徐々に徐々に削られて、

山は自らの重みに耐えかねて、少しづつ変形する。

何重にも重なって出来た地層で、”岩盤クリープ” とよばれ、岩全体として固いのだが、

層状の構造を持つ地層で発生し易く、変形が進んだ地層である。

山路を登りながら・・・こう考えた。

狭い世界の人の世を憂うより、地球の歴史を断層に想う事の方が、面白いのでは?

『 動物との共棲を忘れた、現代人? 』

L1001582.jpg
                イノシシの掘り起こした跡

頂上への散策道の途中で、こんな光景を見た。 イノシシが堀起こした跡である。

20年も前の事となるか? 「田舎暮らし」 という本がある。

山口県と広島県との境付近に棲む老夫婦を取材・撮影した事があった。

人郷はるか離れた、電気なし・ガスなし・水道なしの辺境の山間地であった。

手作りの狭い部屋では薪ストーブの暖かさが有難かった。

山を少しばかり開墾し、作物を植え付けシイタケも栽培していたが、

作物は大半をイノシシに食われる始末であったが・・・老夫婦が言うには、

「動物の住処に人間が踏み込んだ。 共棲するのは当然の事なのだ。

 作物も、人間とイノシシとで仲良く分け合い食べれば、それでイイ!!」 と。

何とも長閑で此処はユートピアなのか?と思うほどであった。

なんの変哲もないイノシシの掘り起こした跡ではあるが、些細な事に感動する散歩であった。

断層に心躍らせ、動物の生きざまを想像する、山登りの楽しみって、「こんなもんなの~?」



category: 雑感

CM: 2 TB: --   

ご破算で願いまして~ 

 上を向いて 歩こうよ

L1001577.jpg

な~んて世界中で流行った六・八・コンビと、坂本九の歌である。

上からの落下物に気を付ける事も大切だが、下を見ながら歩くのもまた乙な物である。

私は撮影する時は下を見ながら歩く事が多い。

思いがけない光景を見にする事もあるが、ひょっとすれば100円玉でも拾えるかもね。

此のカットも、鑁阿寺から足利学校へと歩いていた時に拾った一枚である。

”蔵の公開” 江戸時代の創建と和紙には書かれているが、色付けされた小石が置いてあるだけだ。

”石たたみの会”とあるが、蔵と置き石の関係は? とふと思った。

『 ”論語” ばかりが、勉強ではない!!』

L1001575.jpg
       横断陸橋の上から、日本最古の学校 「足利学校」 の全景

「過ちては即ち 改むるに 憚ること勿れ」 「義を見て為さざるは 勇 無きなり」

こんな論語を素読し、建物の中から子供たちの声が聞こえるような錯覚を起こす。

短い言葉ながら、人生を豊かにさせてくれる名言は数多くある。中でも ”論語” は、其の最たるものか.

『 ”そろばん” の重要性 』

L1001599.jpg
                 雲 州 算 盤

世界最古の計算用具としての ”そろばん” の原型は、先史時代5500年前まで遡る事が出来るという。

手の形をした泥の塊で構成された計算タブレットで、人類が10本の指を持っている事に気付き、

数の列を無限に広げていく事を教えたものと言われている。

3000~4000年前になると、砂の上に石を置いて計算する ”砂そろばん” が発明されが、

カット写真の様な ”串刺しそろばん” の原型は中国からの伝来らしい。

日本では室町時代後半から使われるようになるが、その後、改良に改良を加え現在の形になった。

幼少期の人間形成には、「論語」 も大変重要であるが、計算能力を高める ”そろばん” も勝るとも劣らないであろう。

足利学校でも、”そろばん” は必修科目の一つであったに違いない。

『 レンタ・サイクル? かと 』

L1001578.jpg
           鑁阿寺の空き地に・・・色とりどりの自転車

何を思ったのか、レンタ・サイクルが・・・と。 たしか足利女子高と書いたシールが貼ってあった。

今でも ”そろばん教室” と書かれた看板を目にする事がある。

昔はいたる所に教室があったように記憶する。 それも民家の一部屋で教えていたようだった。

私も小学4年生の時、”そろばん教室” に通った事がある。ただし三日坊主だったように思う。

民主主義発祥の地・ギリシャでも、2500年前には ”そろばん” は必修学科だったと言われる。

アテネでは、七歳を過ぎると始まるのが学校に通う事であった。 学校と言うより私塾が的を得ているのか?

其処では、午前中は ”読み書き” と、アバクス ”そろばん” を使っての算術の勉強だった。

足利学校では子供たちは ”論語” を暗唱したようだが、ギリシャの子供たちは・・・

ホメロス作の 「オデュッセイア」 や 「イーリアス」 を朗読暗唱したという。

表現能力を養う事に重点が置かれていたようだ。

私には、高等学校や大学への進学を目の前にしている孫がいる。

昔は、一発勝負の入学試験だけであったが、近年は共通一次というセンター試験で偏差値を確認する。

そして、与えられたテーマでの小論文で、表現能力の実力を問われるらしい。

其のうちに、”人間性を重視する入試” が取り入れられる日も近いと察する。

”論語” を学び、豊かな人間性を身に着け、”そろばん” で、計算力をつける・・・昔の勉学は理に叶っていたのだ。

足利学校に勉学ってな~に? と考える事って、「こんなもんなの~?」


category: 雑感

CM: 2 TB: --   

鑁阿寺・門前通り 

『 薄れた記憶の中で・・・』

L1001570.jpg
                 鑁阿寺へと続く門前通り

門前通りを歩いていると、嘗て見たことがある記憶が僅かながら想い出される。

鑁阿寺・楼門の手前に、一軒の産婦人科病院がある。純白の塗装の外観も少々薄汚れているが・・・

立派な 「銀丸本店」 や、総大谷石造りの 「衣料店」 などは記憶になく,産婦人科病院を想い出すとはね~。

記憶が不確かとはよくある事だが・・・たしか右側に「甘党喫茶」があり、疲れた足を休めたと思っていたが、

何処を探しても、其の喫茶店を見出せなかった。 本当に記憶って、当てにならないんだよね~。

『 ”孔子さま” の霊験ある浄水だよ~』

L1001573.jpg
       ”麦とろ” で有名な銀丸本店。重厚な建物が目を引く

”洗心” と書かれているので手水鉢かと思いきや、何となんと ”水飲み場” だった。

横の小さな立札には、「此の地から汲み上げた、”孔子さま” の湧水です」 とある。

少し前まで、うら若き女性が、足利二条大麦味噌で作った ”味噌汁” を試飲させていた。

「此の手前の料理屋さんで、お昼ご飯を食べた事を覚えてる?」 と妻が言う。

そう言えば、何となくそんな記憶が甦った。

せいぜい二年前の記憶なのにね~。 私の記憶って、「こんなもんなの~」 と言いたいよね~。

『 蔵だけではないんだよね~ 』

L1001571.jpg
            総大谷石造りの店舗。さすが栃木県だね~

日常生活の中でしばしば見かける石に、御影石と大谷石がある。

花崗岩の御影石は石の表情が綺麗で強固な為、建築物の内外装をはじめ、墓石や敷石などに用いられる。

関東の街町では、塀や蔵などには大谷石が目に付く。

海底火山から噴出した軽石や火山灰が、海底に堆積してできたものであるが、

柔らかく加工し易い特徴を利用して古来よりありこちの家々で見ることが出来る。

”大谷石” の名の如く、栃木県・大谷の特産化かと思いやすいが、全国で産出するらしい。

『 不思議な模様、これも ”大谷石”?』

L1001574.jpg
黑漆喰の蔵と珍しい模様の石塀。勝手口は蟹の横這いで入るの~?

以前、宇都宮の友人と彼岸花の撮影に行った折、日本一の”餃子の町” なので、試しに食したことがあった。

時間の余裕があったので、大谷石の石切跡にと・・・露天掘りかと思ったが、なんと巨大な洞窟が出現した。

遺構(?)は余りにも巨大で、一部分は水が溜まり奥へと足は運べない程。

嘗ては此の採掘跡では、仮面ライダーなどの撮影も行われたらしく、テーブルや椅子の残骸を見受けた。

栃木県・・・

宇都宮市・鹿沼市・足利市・佐野市・益子市・真岡市、そして日光・那須と見所の多い県である。

関東平野とは言え、山あり平地あり河川ありの変化に富み、何度訪ねても見飽きる事はない。

薄れた記憶を呼び戻すには、再訪を以てするより方法がないって、「こんなもんなの~」



category: 雑感

CM: 0 TB: --   

一万年のDNA? 

『 人それぞれの祈願 』

L1001563.jpg

明治の頃、月明かりの中、両国・回向院の境内にある鼠小僧次郎吉の墓前で、一心不乱に祈願する者がいた。

大工職人の某で、万引き稼ぎがはかばかしくなく、窃盗業に仕事替えをしたいと念じていたらしい。

怪しげな一心不乱の合掌祈願を不審に思い、哀れ御用となったという。

「一念、岩をも通す」 と言うが、不埒な思いは叶わないと言う事か。

ところで、このご婦人はどんな思いを叶えたいのかな~?

『 ミイラじゃぁ~ないよ、お賓頭盧さまだよ~ 』

L1001562.jpg

孫悟空の底本で有名な、世界三大旅行記の一つ 『大唐西域記』 の最後の場面に、

栴檀の木で造られた高さ6m程の仏像があり、大変霊験あらたかで光明を放っていた。

この仏像に、自分の患部と同じ場所に金箔を貼ると、直ぐに病が治るとされていた。

この仏像・お賓頭盧さまを崇拝した羅漢さんが困ったとき、食物を与えた人々がいた。

その親切な人々は、羅漢さんの予言で、災難を避けることが出来たと・・・

人がお賓頭盧さまに願いを託すのは、仏像ー羅漢ー賓頭盧尊者 と、何か繋がりを感じ、

食べ物に困らない、災いを除く、病を治す・・・と、現在の信仰へとつながったのでしょうか?

昔は、自分の患部に当てた紙切れを、お賓頭盧さまの頭に当て、願ったというが、原本では、金箔を貼りつけたと言う。

手で触るだけで病が治るなんて、虫のいい話だよね~!!

あっ、お賽銭箱が置いてあると言うことは、やはり只では治らないと言うんだろうね~。

『 ベンガラ塗装の ”赤御霊” 』

L1001566.jpg

県指定文化財 「御霊屋」。 足利大権現と称し、俗に 「赤御霊」 とも呼ばれている。

創建は鎌倉時代だが、現在の建物は徳川十一代将軍・家斉の寄進によるもの。

本殿に源氏の祖、拝殿に足利十五代将軍が祭られている。

『 関東の ”正倉院” ?』

L1001568.jpg

高床校倉造の宝物殿か? ベンガラ塗装は少々小振りではあるが、遠目にも人目を誘う。

奈良・東大寺正倉院は時代の波を被り木肌は風化しているが、もともとはベンガラ塗装だったのか?

ヨーロッパの石造りの構造物にベンガラ塗装を見受けることはないが、

日本建築物は木造に土壁・漆喰塗装がほとんどである。

そこで耐久性と美しさを兼ね備えたベンガラ塗装が好まれるのであろう。

ベンガラを塗布する技術の発明は、一万年も前、縄文時代まで遡る事ができる。

縄文の土偶や出土する土器には、すでにベンガラを塗布した事例が数多く発見されている。

現代の日本人がベンガラ色に心惹かれるのは、縄文人から受け継いだ一万年のDNAが作用しているのか?

『 鑁阿寺・本坊 』

L1001569.jpg

 粋な黑塀 見越しの松に・・・ 

こんな歌謡曲が昭和に時代に流行った事があるが、時代を経、黒ずんだ門塀はなぜか興味を惹かれる。

鑁阿寺・本坊である。 ”本坊” とは、住職の住む家であり、末寺からみた本寺なども本坊という。

”煤けた” と言う表現もあるが、時代を重ね古びて ”侘び・寂び” 感ただよう場合にも心惹かれるものである。

思えば、日本人の感覚では、ベンガラのような赤褐色、赤漆、黒漆などの色に、”侘び・寂び” を感じるのであろう。

能装束のごとき ”雅” は”動” であるが、”侘び・寂び” は”静” である。

”漆黒” と言う言葉があるが、漆といえば中国からの伝来と思われるが、

実は日本人が漆を使用した時代の方が古いのである。 それは縄文時代まで遡る事ができる。

木製品・編布・土器類に、其の使用跡を見ることができる。

神社仏閣を観光目的で訪ねる人々が最近急増しているようだ。

何を感じ、何を思うのも、人それぞれだが・・・

その中に日本人の歴史や文化・民俗などを見るのも、また一興かも。

鑁阿寺で日本人一万年のDNAを推察するって、「こんなもんなの~?」


category: 雑感

CM: 2 TB: --   

曖昧な記憶 

『 頼りない記憶 』

先日、佐野市の友人が、膀胱癌の内視鏡手術を受け退院した。

快気祝いに久しぶりにご自宅を訪れた。

聞いて呆れる話だが・・・医者が言う言い訳で 「生体検査の結果、癌ではありませんでした。ただの腫瘍でした」 と。

これって今はやりの手術ミスではないの?

昼食を終わり、近くの鑁阿寺でも行ってみようか、”行った事ある?” 聞かれたが、記憶には無かった。

取りあえず出掛けてみたが、来たようでもあり来なかったようでもある。

”二年前にも一緒に来たでしょうよ” と妻に言われれば、そのような気もして、一部分を想い出す始末。

この際、記憶から消失しないようにと、記念に何枚かシャッターを押した。

L1001559.jpg

真言宗・大日派・金剛山 「鑁阿寺」 山門(楼門)


L1001560.jpg

寺境内の周りは寺として珍しく、土塁と堀が巡らされ、太鼓橋の向こうには

「足利氏宅跡」 と立札がある。鎌倉時代の武士の面影が偲ばれる



L1001558.jpg

国宝指定の本堂(大御堂)は、鎌倉時代初期(1196年)に、

足利義兼(足利尊氏は開基義兼の七世の孫)により建立。

本尊は源氏相伝の守り本尊・大日如来である。


寺院建築は、構造雄大・手法剛健・本瓦葺唐様と和洋を加味した折衷建物。

堂内の柱・天井・逗子などの造りは豪壮にして一見の価値がある。


L1001561.jpg

時代を経た多宝塔に五色の仏幕が眩い多宝塔。

平成二十五年に国宝に指定された 「鑁阿寺」 は、

山門・鐘楼・不動堂・一切経堂・多宝塔・御霊殿などの

七堂伽藍を完備した、東国密教の大寺院である。


過去のさして重要でもない些細な事はよく覚えているが、最近の記憶が飛び気味になるようだ。

老人の記憶の曖昧さって、「こんなもんなの~?」



category: 雑感

CM: 4 TB: --