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こんなもんなの~?

趣味の写真を添えて、日々の『戯言』を・・・

”74” の想い出 

『 「山 5 ・・7 4」 』

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  48年前、乗っていた ファット 850 スパイダー (ドライバーは私ではない)

此の車の前には、フィアット 850 クーペ に乗っていたが、オープンに乗りたくて下取りに出した。

登録されたナンバープレートを見れば、「山 5 ・・7 4」 だった。

思わず、此れはイイ~!!と。 何と言っても、”借金 無し (74)” と読めるよね~と。

実はこの時、持ち金はゼロどころか借金だらけ。 車は頭金ナシの丸専手形で購入していた。

”若気の至り” と言われるが、”無鉄砲・無責任” と言った方が当たっているようなもんだった。

『 は”74”(話)に 花が咲き・・・』

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 世田谷 テラ セゾンのケーキに、LENOX-AUTUMN ティーカップ

”車” と ”ケーキ”・・・変な取り合わせだよね~。 共通するのは、「7 4 」 という数字。

私の74歳の誕生日に、娘が東京駅大丸で買ってきてくれ、誕生日の会話を楽しんだ。

ケーキはティーカップだよね~と、久しぶりに紅茶の味を楽しんだ。

カップはレノックス製、プレジデンシャル コレクションで、秋の気配が楽しめるカップだ。

”74歳” この歳になって思うのは、権力ナシ(74) 名誉ナシ(74) 財力ナシ(74) なんだよね~と。

但し、穏やかに生活出来ているのは・・・借金ナシ(74) のお蔭だよね~。

孔子は論語で曰く、「三十而立 四十不惑 五十知名 六十耳順 七十従心」 と。

私は、七十四而 ”死不恐”・・・何時お迎えが来ても良いと、心安らかな境地になる。

”苦” もな く”労” もなく、あるのは ”老” のみだが、「7 4」を迎えて今の心境は、”無” と ”空” なのかね~?

そう言えば、財はナシ (74) だが、あるのは虚しさ (空) だけかな~?

「生死即涅槃」・・・生きているからと言って、ぬか喜びする事はなく、死ぬからとして悲しむ事も無い。

とは言え、立ちくらみと目眩が・・・願わくば此れが 「7 4」 になる事を・・・

”7 4”歳に思う事って、「こんなもんなの~?」 



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消える雑木林 

『 多彩な才能、語りつくせぬ業績 』

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          武者小路実篤:胸像

文化勲章受章 洋画家 中川一政画伯は、実篤を評して・・・

「この人は小説を書いたが、小説家と言ふ言葉で縛られない。哲学者・思想家、乃至宗教家と言ってもそぐわない。

そんな言葉に縛られないところを此の人は歩いた」 と。

また実篤は、中川一政を評して・・・

「世界的に言っても特殊な味をだしている芸術家であることは確かである。

画が全力的な仕事でありながら、自ずと純化し、輝くものになることを僕は望んでいる。

僕は彼らしく美に向かって進んでもらいたい。 僕は喜んで賛美したい」 と。

『 仕事で疲れた体と心の癒しを 』

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               雑木林の中に、ひっそりと佇む東屋

記念館から地下道を潜り抜けると、実篤公園がある。

道は左右二手に分かれ、左側には木道が敷かれ東屋が佇んでいる。

更にもう一度地下道を潜れば、旧実篤邸と湧水池がある。

此の湧水池から引かれた水は、大小二つの池へとそれぞれ流れる仕掛けとなっている。

雑木林の樹々を眺め、池のほとりの東屋で一休むのは、疲れた体と心を癒すには格好な場所である。

『 武蔵野の雑木林に、心遊ばせ・・・』

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        水辺を愛した実篤 (左は、林 武画伯) パンフより転写

実篤は 「水のあるところに住みたい」 という子供の頃からの願いを此の地に求めたと言う。

気兼ねの無い安子夫人との日々、訪ねて来る友人たちと池のほとりに立つことをこよなく愛した事であろう。

池の水音を聞きながら、辛夷や桜・椿などの花を愛で、武蔵野の四季折々の風情を感じた事でしょう。

『 渡る貴族の姿が、目に浮かぶ 』

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          左下には、ヒカリゴケの小さな洞窟がある

『伊勢物語』 の一節に、「八つ橋といひける。その沢のほとりの木の陰に下りけり。

                その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり・・・

                それを見てみんな干し飯の上に涙を落としてふやけてしまった」 と。

花菖蒲も終わりを迎えた今、人影さえも見えない静まり返った 「実篤公園」 。

鬱蒼とした雑木林の中、八つ橋の白さが記憶の底に焼き付く。

水をたたえ両側にアヤメやカキツバタが咲き誇れば、一服の絵を眺める様なのだが。

橋の手前にはヒカリゴケが洞窟の中にひっそりと姿を隠しているのだが、昼間ではね~見えない。

『 木材資源保護の重要性は・・』

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        太鼓橋を渡る実篤が、目に浮かぶ

無計画に乱開発された東南アジアやブラジルの国々に比べ、

50~60年を周期として計画的に開発・管理されるカナダやドイツの国々。

材木を資源と伐採にばかり目を向ける現状だが、山林保護は今や世界の急務となっている。

日本の山林は急峻な山岳のため、無防備な山林開発は自然災害へと即繋がる。

木材の不足を補うために、諸外国から原木を輸入しなければならない事情は理解できるが、

果たして此の侭、外国からの輸入にばかり頼っていても良いのだろうか?

”緑と水の国” 日本とばかり美しい言葉を並べるのは簡単だが、資源の浪費には一考を要する。

豊かな ”山の幸” と ”海の幸” とが、日本人を平和で穏やかな人間を作り上げてきたのだが・・・

今なお残る武蔵野の緑を散策し、自然災害により荒れ果てた山肌を思い出すたびに、胸を押し潰されそうになる。

そんな思いを胸に、実篤公園の一時を楽しんだ。

日々の雑事に追われ、一時の 「忙中閑あり」 を楽しむって、「こんなもんなの~?」 一部、文はパンフより借用



category: 雑感

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実篤の ”美意識” 

『 眼差しは、愛しさへの憧憬か? 』

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     「武者小路実篤記念館」 入場券より

「仲よきことは 美しき哉」 「君は君 我は我なり されど仲よき」 「人見るもよし 人見ざるもよし 我は咲く也」

一度は見たことがある実篤の句。 

”生命が内に充実するものは美なり” と実篤は語り、一筆一筆心を込めて其の美しさを表現した画家。

古今東西の美術作品に接することを、無類の喜びとしていたと言われ、

日本や中国の古美術を中心に、池大雅の絵画をはじめ、一休や良寛の書に親しみ、多くの画家たちと交際。

全てのものが心の琴線に触れ、心の糧とした生活を楽しんだと言われる。

『 生命賛美の芸術家・実篤記念館 』

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               モダンな 「武者小路記念館」 入口

予てより記念館があるのは知っていたが、所用の為入館する事は無かったが、此の度は尋ねてみた。

武者小路実篤記念館は、晩年の20年を過ごした邸宅の隣接地に開館されたもので、

実篤の原稿や手紙、書や画、著作物をはじめ愛蔵品の美術品などが多く収められている。

休憩室を兼ねた閲覧室では、雑誌「白樺」 を近代文学や美術のほんを読むことも出来、情報システムも設置。

隣接の公園で四季折々の樹々や草花を愛で、散策するのもまた一興かと思われる。

『 和モダンな31坪の瀟洒な住処 』

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               武者小路実篤 「仙川の家」 玄関前

武者小路実篤は、昭和30年 70歳の時に此処・調布市へと移り住んだ。

最寄りの駅が 「仙川駅」 だったので、新居を 「仙川の家」 と呼んだ。

90歳で逝去するまでの20年間を、妻・安子夫人と共に過ごし、多くの作品を残した。

1500坪の敷地に、約31坪の邸宅。 画室には蔵書や作品をはじめ、愛用品が沢山保存されている。

実篤の生前を偲ぶに格好の場であり、是非一度は訪ねたい 「仙川の家」 だった。

『 緑に囲まれた仕事場で・・・』

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            「仙川の家」 実篤仕事部屋 (撮影後、撮影禁止に気付く)

玄関を上がると応接室があり、左には10畳ばかりの仕事部屋がある。

実篤は、午前中に原稿を書き、午後から書画の制作にあたり、訪問客の訪問を楽しんだと言う。

此処では、小さな経机で原稿を書き、大きな座り机でカボチャやジャガイモ、花などを描いたり書を制作した。

どの作品も、独特の作風で多くの人に親しまれている。

机や畳には、原稿の書き損じや画のモチーフとなる陶器や人形、

野菜や花が一杯で足の踏み場もない状態だった。 その面影が今でも伺える実篤の 「仕事場」 である。

『 武者小路実篤の、 ”美意識” と ”表現方法” 』

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      油彩キャンバス 「卓上静物」 S28年作 (パンフより転写)

「文学は言葉だが、画は沈黙の世界だ」 武者小路実篤の言葉。

言葉から解放された世界に存在する、一心になれるものが ”画” であり、それが沈黙の世界と言う事らしい。

言葉を超えた先にある沈黙の世界の中に、大きく心を揺さぶり、かつ共通に理解しあえるものがある。

其処に、”美術の魅力” を見出した。  (引用した文は、記念館学芸員・福島さとみ氏による)

実篤自身の言葉によれば・・・

「僕は夢中に好きになれる画を愛する。愛しないでいられないから愛するのだ。同時に僕は画をかく時も、

材料に驚嘆しながらかく。 馬鈴薯をかく時も、南瓜をかく時も、玉葱をかう時も、その他のものをかく時も、

決してかかれるものを甘く見ない。どうかしてそのものを自分の能力のかぎりをつくして、写生したいと思う。

・・・・・僕は画をかくことは、美の発見であり、また追求であると思っている。

    この世には美がありすぎることを僕は画をかくことで、知ったことを喜んでいるいのである」 と。

『 ”円” と ”球” の違い 』

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             マンホールを配した中庭 (右奥は休憩室)

西洋絵画と日本画とには、表現方法において大きな違いを見る事ができる。

例えば、リンゴを描いても、洋画は立体性を重んじ ”球” で表現するが、日本画では ”円” となる。

洋画の特徴は、”光と影” ”遠近法” が其の基本表現で、日本画は ”平面” と ”べた光線” なのである。

とは言え、基本中の基本は、両者とも ”デッサン力” が要求される。

最も大切な事は、”精神性” ”と表現能力” なのであろうが。

竹内栖鳳の厳しすぎるほどの ”写実性”、村上華岳の崇高な ”精神性” は、日本画の特徴であろう。

現代作家のモダン(?)な作品を眺めていると、画を描く事とは? と疑問を感じるのである。

洋の東西を問わず、時代と共に表現方法は変化する。 伝統の改革なのであるが、

デッサン力も無く、ただただ奇をてらったようにも思えるのである。 私だけが ”そう” 思うのだろうか?

「虎は死して皮を残し 人は死して名を遺す」 とは昔から言われた事だが、

果たして私は、死して何を残せるのか? 「死して残るは、借金だけ」 なんて事にだけはなりたくないが・・・

記念館の中庭で思う事って、「こんなもんなの~?」  (一部、文はパンフより借用) 



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一抹の寂しさ 

『 寂しすぎるかね~「新習志野」駅前 』

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            閑散とした 「新習志野」駅前広場

住んでいる南船橋には ”ららぽーと” をはじめ ”VIVITO” ”イケア” もある。 そして船橋競馬もね。

最近では家具で有名になったようだ。 ”イケア” ”ニトリ” ”大塚家具” と客の奪い取り競争も心配するが。

電車で一つ先が 「新習志野」 、その先が「海浜幕張」 である。

「南船橋」 は乗降客で一年中混雑しているが、「新習志野」 駅前は人の姿も少なく何だか寂しく思われる。

駅前にはさほど大きくないがモールがある、色々な店舗があり我が家でも偶に利用する事もある。

『 中途半端な大きさのモールなの~?』

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少しばかり離れた所には、「島忠家具」 「東京インテリア」 と家具店が有り、ガリバーの大型中古車売り場もある。

駅から徒歩五分で、最近ロボット工学で有名になった「千葉工大」もあり、

一つ先の「海浜幕張」には、スーパー 「イオン」 の巨大なモールがあり、ロッテ球場も近い。

『 心巧如画士なのか?』

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かねてより妻が一度カレー専門店 「CoCo壱番屋」 に行きたいと言うので、初めて昼食に。

どんな食べ物でも、十人十色ならぬ好みはバラバラであろうが、我が家の口には合わなかった。

注文してカレーが運ばれてくるまでの時間は短くていいのだが、味にコクが無いのが少々不満。

とは言え、その昔、子供の頃に給食で出たカレーは、真っ黄色な汁の様なカレーであったが、

食糧難の時代なのか? 子供たちは皆 ”美味しい・美味しい” と喜んだものである。

「空腹は、最高の調味料」 とは、此の事だろうね。

十人の画家が同じ被写体を描けば、十通りの絵が出来上がるように、人それぞれと言う事だろう。

同じカレーを食べても人それぞれなのである。 たまたま我が家の口に合わなかっただけの事である。

『 ”猫を追うより、魚をよけよ” と言う事なの~』

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何度かスニーカーを買いに 「シューズプラザ」 に来た事がある。

昔からどのスニーカーを買っても、左足の小指が痛くなる。 少しばかりきついのだ。

EEEEを探して買うのだがね~。 EEEEEが有ればいいのでは?と思うが、5Eは無いようだ。

足に靴を合わせる事は出来ると思うが・・・それとも靴に足を合わせろと言うのか?

「猫を追うより、魚をよけよ」 と言われる。 「靴を探すより、足を合わせよ」 とでも?

そんな無茶な事を~!!と思いながら、先日一足のスニーカーを買った。

これが我が足にピッタリ!! 人生で初めてピッタリのウオーキングシューズであった。

後日思った事があった。 「もう一足、買っておこうか」・・・と。 それまでする事もないよね~。

『 「南船橋」 から消えた、Mr、MAX 』

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「南船橋」 のモール ”VIVIT” に最近まであった 「Mr MAX」 が突然消えた。

代わりに、あの有名な 「大塚家具」 が開店したのであるが、「ニトリ」 「イケア」 との競争が心配だがね。

ご存知のように、全てを安く ”消費者の味方” が 「Mr MAX」 のモットーだった。

我が家では、缶コーヒーやペットボトルのお茶を買っていたが、・・・今日は色々な物を買いに来た。

「南船橋」 も 「海浜幕張」 も人出は多いようだが、此処 「新習志野」 はそれに比べて少々寂しいようだ。

「シャッター街」 と言う言葉が流行った事があり、全国的にも 「シャッター街」 は拡張を続けているようだ。

私の生まれ育った故郷も、人口27万から今では16万と減少の一途。街は全面的に 「シャッター街」 へと。

夏の終わりの一抹の寂しさって、「こんなもんなの~?」




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”大黒柱” と ”心柱” 

『 茅葺の大屋根。代表的な日本の建築 』

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縄文時代の集落は一族ほどのこじんまりとしたものであったが、

集落は徐々に大きくなり、ついには村を形成するまでになり、あちらこちらに村が点在した。

村では人々はお互いが助け合い、全ての事は合議のうえで事が運ばれた。

村の掟に違反すれば ”村八分” にもなり、村人との交際は禁止され、残りの二分 ”租税と葬儀” だけは義務とされた。

村人との付き合いは無視されるが、村を離れる事は許されなかった。

此処で重要な事は、全てが村人たちの合議の上で村は成り立っていた。 民意第一という事だった。

日本の古民家といえば、すぐ思い出すのは飛騨高山や五箇山であろう。

茅葺の合掌造りの大屋根は、確かに見応えある豪壮なものだが、雪深い郷だからこそである。

古き時代の庶民の家は、家と言うより小屋ほどの質素な造りで、屋根は萱ではなく藁葺きが殆どだった。

山奥僻地の生活で最も困難な事は、20年前後経た屋根の葺き替え作業であった。

この時ばかりは、村人全員が作業に当たらなければ葺き替えは出来なかった。 

共同作業がいかに大切かを、村人は日々の暮らしの中で経験していて、村人の民意一致を見ることが出来る。

「民主主義」 はギリシャが発祥の国と言われるが、縄文時代以来の日本人は ”民意” と ”全体主義” を構築していた。

「民主主義」 は、日本人が世界で最も古くから執っていた、理想の村・町・国造りの方法だったのではなかろうか。

『 襖と障子、そして廊下の文化 』

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観光客一番の人気を誇る京都。 神社仏閣もそうであるが、近年人気なのは ”京の町屋” であろう。

豪壮な建物に日本庭園、確かに京都の魅力には違いないが、古来よりの人間の住む空間が興味を引く様だ。

日本住宅 ”京町屋” は、代表される ”柱の家” なのである。

民家は豪華でなくとも質素な欄間、障子に襖、そして縁側には板戸が設えてある。

続きの間には欄間があり、空気の流れをよくする役目と、見た目の美しさがある。

部屋は襖で間仕切りされ、廊下側には明かり取り障子があり、外からの強い日差しを柔らかくし、

中には雪見障子もある。 冬の庭には雪が降り・積り、自然の景色を部屋の中から楽しめる。

モダンなマンションだが、壁紙が汚れれば張替は大変な手間と出費。

障子であれば、その都度張替も簡単だし、 何といっても柔らかな明かりが楽しめる。

襖には、山水花鳥が描かれ、一年中自然を楽しめる工夫が施されている。

そして、障子を開ければ其処は ”縁側”・・・

『 ”縁側” は、社交の場でもあった 』

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日本建築の特徴に、深い軒と庇がある。

夏には強い日差しから室内を守り、障子と襖を開ければ爽やかな空気の流れを感じさせ、

冬の寒さと降雪からは、板戸と障子が守ってくれる。

本来、三和土への入り口は、農作業などのときに使用するが、座敷への上がり口は、此の縁側の廊下より入る。

冬の暖かい日差しを浴びながら、親しい友と茶を頂く至福の一時は、”縁側” に勝るものは無いであろう。

『 ”大黒柱” と ”心柱” 』

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スカイツリーには、五重塔の心柱と同じ技法が用いられているのは有名。

何故、五重塔は倒れないのか? 其れは仏教伝来によりもたらされた日本の文化革命の始まりであろう。

五重塔が倒れないのは、地震に因る揺れを ”心柱” のしなやかさが逃がす 「柔構造建造物」 だからである。

現代の住宅は釘や金物で接合すが、塔は差し込み接合で、塔の五つの部分は独立した重箱形式。

それでも地震で揺れが生じると、塔の中心に心柱が通してあり、此の心柱が共振し揺れを逃がすからだ。

日本人には古来より 「大きい巨木信仰」 があり、直径1mを超すような ”心柱” 技術を民家にも応用した。

家を作るとき地震に因る揺れを逃がす工夫に、”心柱” ならぬ一尺もあろうかとする ”大黒柱” を用いた。

いわゆる 「巨大な一本の柱 ”心柱”」 こそ安心感をもたらすという事であろう。

”大黒柱” ・・・一家の主を大黒柱というが、安定した経済状態をもたらし、家庭の揺れを防ぐ人の事である。

近年、家づくり技術は大きく進歩(?)したと言われるが、”巨木” と ”差し込み式” には敵わないのか。

科学進歩第一主義が持て囃さるが、古来よりの技術を再確認する必要もあろう。

旧家の時代を経た黒々とした大黒柱を眺めながら思う事って、「こんなもんなの~?」



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仏教説話彫刻 

『 見事な仏教彫刻は、見ごたえ十分 』

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          本堂の周り一面に施された、仏教伝説彫刻

映画 ”寅さん” で全国的に名を馳せた、帝釈天 「題経寺」 は、巡らされた仏教彫刻でも有名である。

本堂周り一面に施された仏教彫刻は、「十二支の図」 「天人図」 「説話彫刻図」 「千羽鶴図」 「花鳥図」 「亀図」

だが、積年の風雨塵埃に晒され、湿気を帯び白くこびりついている。 ただ残念である。

以前は金網が張られ見づらかったが、近年新たに回廊を巡らし、総ガラス張りになり博物館の様相を呈している。

昭和の初めの彫刻で文化価値も高い。 仏教説話を楽しむには格好であろう。

『 さぞかし重たかろうにね~ 』

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               斗栱の大きさに、ビックリ!!

重厚な大屋根を支える巨大な斗栱に目を奪われる。

その斗栱を、更に見事な彫りの龍が支えている。

見れば、龍は目を瞑り、重たさに耐えているのか、ね~?

『 日本建築は、”板戸” と ”障子” の文化 』

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          ”邃渓園” の畳敷き回廊

縄文時代の竪穴住居は、入口以外は全て屋根による ”壁の家” であったが、

弥生時代になると高床住居となり ”柱の家” へと変化した。

現代の純日本式住宅でも、基本は田の型をした間取りで、座敷は全て南向きに構えるのが基本。

座敷は南を向き、外界とは障子と縁で隔てられ、庭とは大戸という大きな板戸で、夜にはつっかえ棒で閉められる。

西洋の家のように壁で外界と室内とを隔離するものではない。

西洋は ”壁の家” だが、日本の住居は ”柱と障子の家” なのである。

日本家屋の空間性は、其の基本を貴族の神殿造りに見る事が出来る。

南に大きく開かれている軒や庇、そして縁側は、障子と板戸で隔てられているだけだ。

庭には樹々が植えられ、小さな池まで設える家まで現れる。

吹く風や流れる遣り水の音を聞き、自然の気配に心地よさを楽しみ、夜には観月宴をも楽しんだことだろう。

南面に設えられた縁側は開放性があり、”柱と障子の家” の最大の特徴である。

『 ”反り” こそ、日本人の美意識 』

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               千鳥屋根も美しい ”観庭台”

神社・仏閣をはじめ五重塔でも、屋根はすべて軒の部分は ”反り” をもっている。

日本建築では屋根が大きく軒が深いのが特徴で、その屋根の軒線が水平に伸び、先が僅かに反り上がる。

日本の城では豪壮な屋根の軒先はやはり反り返り、石垣の線も ”武者返し” という反りを持っている。

反りをもった ”観月台” では、昼間は水音を耳で楽しみ木々の緑に目を奪われた事であろう。

そしてやがて闇が訪れれば、東の空より昇りくる月を愛でたことでしょう。

”観月台” が柱で支えられている建築方法だからこそ出来る技なのである。

此処には板戸も無く、障子すら入れられていない。 三方が開け放たれた柱だけの空間なのだ。

そして庭園を散策しながら眺める ”観月台” の屋根は、軒先が僅かに反りを持った千鳥屋根が美しい。

『 山紫水明を具現化した、日本庭園 』

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               池を配した見事な庭園

日本庭園は庭師による作庭だが、人工的ではなく自然の風景であるかのように造園されている。

縁側のすぐ先にあるほんの僅かな空間だが、深山幽谷の美を見事に演出している。

丁寧に選別植栽された樹々は、四季折々の景色を見せ、大自然の姿を再現し、

狭い空間に山あり谷あり、そして池まで設えてある。 これが日本人の美意識であろう。

夏の終わりの一時、庭園を巡りながら思う事って、「こんなもんなの~?」



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柴又 ”帝釈天” 

『 ”申の日” には、柴又・帝釈天に・・・』

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              本堂と見間違う豪壮な ”山門”

帝釈天・・・インドで最強の神・インドラ神で、此の神と勇猛にも戦った神がいる。

その無謀な神は、奈良・興福寺にある三面六臂の阿修羅であり、

阿修羅と言えば ”阿修羅の如く” とか ”修羅場” とか、あまりイメージの良いものではない。

こんな仏教説話がある。 「善政の誉れ高い大力王が、持っている多くの財宝を人民に分け与えようとした。

帝釈天は王の慈悲救済がどんなものか? 試してやろうと思い、バラモンに姿を変え王に聞いた。

”全ての持てる物を施与するのであれば、私に王の身体をくだされ” と。

妨害が目的と思ったが、断れば主旨を破る事になるので、”欲しいだけ切り取って行け”  と。

王は後悔しないが、他の見物人に分け与えられないが残念と言えば、帝釈天は ”知った事か” 」 と。

結果、王の布施を邪魔妨害した帝釈天は、阿鼻地獄に堕ちた。王は釈迦であったという。

帝釈天は成道後、釈尊の守護神となる。 四天王を従え万民の善悪邪正を察知し、

庚申信仰と結びつき福徳神として、”申の日” に信仰されている。 柴又の帝釈天 「経題寺」 が有名である。

『 シンプルな ”鳥居”、豪華な ”山門” 』

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     此処を潜れば、其処は ”霊域”

道の両側に土産店を構えた参道が終われば、目の前には豪壮な山門が現れる。

そう言えば、神社を参詣すれば、必ず進む処に白木の大木で造った ”鳥居” がある。

神社の広場は俗世間、鳥居を潜れば其処は神の世界である。

仏閣の山門は鳥居と比べれば、格段に豪華絢爛に造られている。

神社の鳥居も、仏閣の山門も、俗世間と神・仏の神聖な地域とを結界するものであろう。

鳥居も山門も、なんら空間を物理的に区別している訳ではなく、日本人が意識的に区別しているようである。

”山門” には、左右に ”阿形” ”吽形” の仁王像が祀られている。

折角、結界された淨域に、魔が入らぬようにと睨みを効かせているのであろうか?

『 神社・仏閣の屋根は、なぜ大きい? 』

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               美しい姿を見せる、独特な大屋根

縄文時代の竪穴住居の姿は、なぜ建物全体を覆いつくす程の大きさなのであろうか?

伏屋式と呼ばれる縄文の住居は、炉に仕掛けた火を絶やさず守り通すための、防風・防寒用なのだろう。

太陽神から派生し、”火” を神のように崇め奉った縄文人の住まいは、祭住一致だったに違いない。

大地を覆いつくす程の屋根は、聖火であろう炉の中の ”火” を風雨から守る防護装置だった。

神である ”火” 即ち ”聖火” を守る日本の住処とは、当然 ”神さまの住まい” だった。

神社・仏閣の建物の屋根が大きく軒が深いのは、”神や御霊” を祀り守るためなのだ。

「真は荘厳より生ずる」 と言われる如く、重厚にして豪華な屋根はチドリ屋根となり、

瓦と漆喰のコントラストも美しく、時には金箔を施す程である。

大屋根の効果は ”神・御霊を守” る意味と、”信を得る” 効果の両方の為なのであろう。

『 ”法華経” こそ、命 』

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        大変美味しい ”御神水”

日蓮宗の有名な大寺院が関東には多い。 ”柴又・帝釈天” もそうであるが、

近くには、日蓮上人が生まれた ”誕生寺”、日蓮宗の道場である ”法華経寺”、日蓮終焉の場 ”池上・本門寺” と。

「明らかなること日月にすぎんや。淨きこと蓮華にまさるべきや。法華経は日月と蓮華なり・・・」 と日蓮は唱う。

法華経に対する一筋の信仰に、”即身成仏” の妙果(現世利益)を期するのである。

梁塵秘抄でも法華経の効用を高らかに謳い上げている。

「般若経をなば船として 法華経八巻を帆にあげて 軸をば帆柱にや 夜叉不動い梶とらせ

 迎えたまえや罪人を。 娑婆にしばしも宿れるは 一乗聴くこそあわれなれ うれしけれ

 人身ふたたび享けがたし 法華経に今一度 いかでか参りあわむ」・・・と、法華経を絶賛。

『 火事と喧嘩は、江戸の華? 』

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        三童子が支える ”手水鉢”?

日蓮宗 「法華」 と、浄土真宗 「念仏」 。 昔から実に仲が悪い。

法華信者は宗旨に凝り固まり(堅まり法華)、真宗門徒は徒党を結び(徒党門徒)たがる。

極楽往生を願う門徒と、現世利益を謳う法華では、水と油のようなものである。

日蓮上人が他宗の悪口をたたいたからとして、

「法華八巻ウソ九巻、法華が仏に成るならば、犬の糞でも肥料になる」 と悪態をつけば、

そのお返しに 「門徒もの知らず」 とやり返す。

宗論は、どちらが負けても釈迦の恥と言われる。

「法華ほうけた 念仏ぼけた」 と言われぬように心するが賢明と言う事だろう。

火事と喧嘩は江戸の華ならぬ、他人の不幸は蜜の味とも。身に降り掛かる火の粉は払うくせにね~。

そんな事を思うささやかな楽しみって、「こんなもんなの~?」


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名物は ”草だんご” 

『 柴又駅前で迎えてくれる、寅さん・・・』

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   柴又駅前広場に建つ ”寅さん” 銅像

「ごめんよ ”さくら” 、いつかはきっと偉い兄貴になるからな」・・・と、

車 寅次郎は、そう心に念じつつ故郷柴又の町をふり返えるのである。 (記念像、山田洋次監督弁)

気になったのは・・・寅さんの左足。雪駄を履いた指先が光っている。何のために摩ったの?

『 寺の前には、なぜ門前街があるの~? 』

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             中国人で賑わう門前街の土産店街

アニミズムの縄文時代から、稲作へと発展した弥生時代になると、水源が大切なものとなった。

農耕民族である日本人は、小高い森の重要性を認識するようになる。

其処には、樹々が生い茂り水源があり、天孫降臨も山であると考えた。

神が舞い降りる近くの森に生活の場を設けるようになり、其処に神を祀る神社を構えた。

時代が下り、仏教が繁栄を見るようになると、寺が建立されはじめ人々の集落が築かれる。

村人が集まり村落ができ、寺が建立されれば生活用品を営む商店が寺の門前に店を構えるようになる。

いわゆる寺町にある門前街であるが・・・

今では此の門前街も、観光客目当ての土産店へと変貌を遂げたのが現状である。

『 ”寅さん” が座ったという席から・・・』

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        映画 「男はつらいよ」 で使われた、 ”高木屋老舗” 店内

映画 「男はつらいよ」 で撮影に使われた店は、この先にある ”とらや” と思っていたが、

”高木屋老舗” がそうであると聞いた。 これは是非 ”串だんご” を楽しんで行かなくてはと入店。

室内の豪華さと綺麗さに、”寅さん” にしては抱いていたイメージとは大分違うな~と。

午後のアイドルタイムであったが、入れ替わり立ち代る客の入りに、さすが本家だな~と感心した。

『 是非食べたい、柴又名物 ”串だんご” 』

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        ”串だんご” 三種類 ¥500

”みたらし” に ”小豆” そして ”海苔” 、三種の味を堪能したが・・・

我が家では、”餡だんご” が好きなので、何時でも買ってある。

今日も妻がスーパーで買ってきた ”餡だんご” は、一串四玉が三本入り、¥59 だったそうだ。

「値は値ほど」 と言われるが、さすが名物の値段は違うね~。三本 ¥500 だぞ~!!

味の違いは、人それぞれだろうが・・・柴又に来れば一度は食べないとね。

『 ”串だんご” お土産なら此方だよ~!!』

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         ”高木屋老舗” の真向い ”亀家本舗” 経営者は一緒?

食べるのは、”高木屋老舗” 店内で。 お土産には ”亀家本舗” と聞いた。 経営者が同じで、店名が違うの~?

”亀家本舗” では、”串だんご” と ”どら焼き” が名物らしい。

店内での食事は出来ないが・・・店の右側では、”どら焼き” の箱詰めがお土産用に販売されていた。

『 お土産用は、”串だんご” ではないのは何故? 』

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        教えて~、店員さん

店内で食べたのは ”串だんご” だったが、お土産にと買ったのは ”草もち”。

え~!!どちらが本当の名物なの?

お土産に買った ”草もち” は、箱詰めで ”草もち” 20玉が箱の半分を占め、残りに粒あんが詰めてある。

串が無いので、スプーンで餡と餅をすくい一緒に口の中へという事であろう。

お味は、やはり店内で食べる方が雰囲気があって美味しく感じる。

「名物に、上手いものなし」 とは昔から言われるが・・・

伊勢の ”赤福” にしても、柴又の ”草もち” にしても、人気は高い。

付加価値の効果だろうが、其れはそれでイイのでは。 経済効果も高いのだから。

”串だんご” の余韻を楽しみながら、「帝釈天」 へと歩を進めた。

名物を楽しむって、「こんなもんなの~?」


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日本一の松 

『 待てば海路の日和あり 』

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          日本一に、格上げになった、見事な ”松”

「二番じゃ~、ダメなのですか~?」 一世を風靡した何方かの言葉だが、

例え二番であっても、辛抱して待てば、やがては来る来る一番が。

聞くところによれば、今まで一番だった四国の ”日本一の松” が枯れて、飛び込んできた一番が・・・

枯れた ”日本一の松” の在ったお寺の、住職の悲しみと後悔は、いかばかりのものであったろうか?。

何代も亘り続いた ”日本一の松” が自分の代で枯らしてしまった事を、悔いても悔いきれない後悔だろうに。

四国の ”岡野松” と日本一を競い、当時の大相撲立行司:木村庄之助によって、東西の横綱に引き分けられた。

”影向のマツ” は一時、樹勢に衰えがみられたが、樹勢回復事業により現在の姿にまで回復した。

『 目にも眩しい、朱塗りの山門 』

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   朱塗りの山門には、横綱・栃錦関の ”横綱化粧まわし” が奉納されている

山門を潜ると左側に散策道が設えてあり、”横綱山” が姿を現す。

此処は四国小八十八か所巡りもあるが、”影向のマツ” を上から眺めるに適した小高い丘だ。

昭和55年9月7日(私が訪れたのも、偶々9月7日)、此処の庭で子供相撲大会が開かれた。

この時、小岩出身の名横綱:栃錦関が、一門の栃赤城関・舛田山関・栃光関などの関取衆を連れて参加。

山門に展示されている横綱化粧回しは、其の記念として横綱・栃錦関から贈られた物である。

「上って下りて又のぼり 足腰きたえて元気な子」 と記念碑が建っている。

『 真言宗の古刹 ”善養寺” 』

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        山門を潜ると、”日本一の松” が目に飛び込んでくる

真言宗 星住山 地蔵院 善養寺 

室町時代・大永7年 山城(京都)醍醐山の頼澄法印が、霊雲のお告げにより此の地に建立。

本尊は地蔵菩薩であるが、境内には不動堂があり ”小岩不動尊” として多くの参詣者を集めている。

「動かぬこと山の如し」 で有名な武田信玄の武士道哲学であるが、

鼻っ柱が強い青年時代、快川和尚に講義を依頼。 信玄は衝立の陰に隠れ太刀を振りかざして躍り出た。

快川和尚は、「香炉の上 一点の雪 喝!」 と。 これ以後、信玄は快川和尚の弟子となる。

後に快川和尚は信玄に、「わが心、寂然不動、心も形もない。 心動かざれば、身は傷ついても惜しむに足らぬ」 と。

”不動心” とは 「心が動かざれば、全ては自然と収まる」 とでも言う事であろうか。

『 ”蜜厳” と ”蜜言” は一緒?』

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          端麗な姿の ”蜜厳法塔” と ”本堂”

密教で言う ”蜜厳” とは秘密の言葉で、仏が真実を裏に隠して教えた言葉。

仏の真実は言葉で言い表せないものだから、全てが ”蜜言” とも言える。

”蜜言” は内緒の言葉。 言えば男女の甘い囁きにも似たものだ。

ある時、尼僧が老僧に、「秘密意とは何でしょうか?」 と問うたところ、 老僧は尼僧の手をぐっと握った。

尼僧は、「老師さまにも、まだそんな心がおありでしたか」 と問えば、

すかさず老師は、「君にこそ、その心があるのだよ」 と答う。

蜜厳密教とは、何と粋な教えなのでしょうね!!

”蜜厳法塔” という蔵の中には、そんな粋な教えを書いた経本が納めてあるの~?

『 神様は、大木がお好き? 』

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            神が姿を現した ”影向のマツ”

東西31m 南北28mにも及ぶ巨大な松の樹齢は、推定600年を超すと言われる。

繁茂面積では日本一を誇れる巨木である。

”影向” とは、神仏が降臨して姿を御見せになったと言う意味である。

『東京遊行記』 には、「珍しいのは亭々として、雲を凌ぐ星降りの松にも増して、

              その傍らに巨大な傘を差し掛けたような ”影向のマツ” の方であろう・・・」 と。

神様はどうも大木がお好きなようである。 あの有名な諏訪神社の四本の大柱にしても、

善養寺・日本一の ”影向のマ松” も、神の依代として申し分ない大木である。

神が降臨し、枯れそうになった時、このままでは我として相応しくないとキット思われた事であろう。

神のお力によって、此の大木 ”影向の松” は命を吹き返したものであろうか? 神のご加護は偉大なり!!

初めて参詣した古刹で、”日本一の松” を眺め思う事って、「こんなもんなの~?」
                                   スマホで撮影



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