お懐かしゅう御座います
2012/08/25 Sat. 21:17 [edit]
『 乗 蓮 寺・東 京 大 仏 』
四年半前までは此処・東京大仏がある練馬に十四年間住んでいた。
昨日は私用あって清瀬市まで車を走らせた。
外気温37℃であったが、体調も良く元気なので懐かしい『乗蓮寺』に立ち寄った。
石段を登ると古くて大きな山門(仁王門)が迎えてくれる。
左に阿形、右に吽形の立像を金網越しに見ることが出来る。
「東京大仏」で有名な『乗蓮寺』は、徳川家康公より10万石に朱印地を拝領した由緒ある寺院だ。
八代将軍:吉宗公の鷹狩の際には、休憩所またお膳所として使用された。
正面が本堂で、続く右横の建物は客殿である。
「東京大仏」と言われている大仏は“阿弥陀如来” 青銅製座像で高さは13m。
奈良・東大寺の大仏殿の毘盧遮那仏 鎌倉の大仏に次ぐ大きさである。
この暑さにも拘らず、二組の参拝者と出会った。
この大仏建立の目的は、東京大空襲や関東大震災のような悲惨な災難が、
二度と繰り返さないようにとの願いから建立された物である。
大仏の左手前には、「弁財天池」があり、六角の金堂が水の中に建てられている。
おそらく全体が金箔押しであった事だろうが、今は屋根に其の面影を見ることが出来る。
大仏の右手前には、「天保飢饉供養塔」が建てられている。
天保の大飢饉の折の犠牲者の多くが此の「乗蓮寺」に埋葬され供養をされている。
『 災難は、忘れた頃にやってくる 』
天保の大飢饉を覚えている人はいないだろうが、昨年の東日本大震災、
そして思いもしなかった福島の原発の爆発。
「喉元過ぎれば、熱さを忘れる」では、本当に困る。
両脇に植え込みのある石段を少し下れば、「福寿観音堂」を見ることが出来る。
中には、長崎の原爆記念で建立された “平和の像” の制作者で、
今となっては物故者である文化勲章受章者の北村西望氏が制作された観音立像がある。
戻って門を出れば、左側には「閻魔堂」がある。
閻魔堂には七人の王が祀られている。
人が亡くなると、七日後には三途の川を渡るが、
初七日・・・・秦広王(不動明王)
二・七日・・・初広王(釈迦如来)
三・七日・・・宋帝王(文殊菩薩)
四・七日・・・五官王(普賢菩薩)
五・七日・・・閻魔大王(地蔵菩薩)
六・七日・・・変成王(弥勒菩薩)
七・七日・・・太山王(薬師如来)
以上の七大王であるが、
五・七日を担当している王が閻魔大王であり、実は本地は地蔵菩薩で姿を変えていると仏教では言う。
この時、大王が見ているのが、閻魔帳で過去の罪が全て書き込まれている。
この五・七日の時が大変なので、亡者は閻魔大王の前に引き出され、過去に冒した罪を全て告白し、
懺悔したか?どうか?を厳しく問われる。嘘を言っても閻魔帳を見れば嘘は直ぐばれる仕組みなのだが・・・
亡者は早く楽に成りたい一心から、過去の罪を全て告白懺悔しましたと嘘をつく。
また閻魔大王が居る処にある光明王殿の広間には “浄玻璃の鏡” があり、
亡者が「そう云えば、あの時に・・・」と想い起こせば、其のこと全て鏡に映しだされる仕組みになっている。
嘘はつけないものである。
『 嘘をつくと、閻魔さまに舌を抜かれるぞ 』
子どもの頃には、誰でもが親に一度や二度は言われた経験をお持ちでしょう。
閻魔さまに脅されて子供が嘘をつかないようにと・・・親の方便という事なのか。
子どもの嘘は可愛いもので、罪も大きくはナイと思うのだが、
政治家や企業家たちは嘘で身を武装しているきらいがあるように思えてならない。
こういう“お偉いさん”にこそ、閻魔大王の恐ろしさを解からせたいものである。
冥途の大王の恐ろしさって、「こんなもんなの~?」
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category: 雑感
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