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こんなもんなの~?

趣味の写真を添えて、日々の『戯言』を・・・

「炎の匠」を訪ねて 

『 鋳物師は 鐘肌恋へり 花の寺 』 (故)小田原鋳物師:柏木 尭 氏の妻・陽子(句)

春の此の時期、お寺参りをすれば花々が香りも高く咲き乱れているが、

鋳物師は、梵鐘の鋳肌の出来具合が気にかかり、花よりも先ず梵鐘の出来具合を確かめたい。

2011-10-08 華2476

『 炎 の 匠 』 小田原鋳物  小田原伝統工芸鋳物研究会編纂

平成13年5月  著者:上島 国澄氏 よりお会いした折に頂いた本。

予てより鋳物には大変興味があり、是非一度工場を訪ねたいと思っていた。

麗らかな日に一日の時間が取れたので、小田原まで足を運び楽しい時間を持つ事が出来た。

2011-10-08 華2470
弥生時代の銅鐸で、国宝なのか? 国立千葉歴史博物館所蔵

『 我が国の鋳物の始まり 』

日本へ鋳物が伝来し生産され出したのは弥生時代。

技術は急速に発達し、作られた鋳物は銅剣・銅鉾・銅鏡・銅鐸などだった。

技術が定着してくるにつれ独自の優れたものが生み出される。中でも代表的な物が銅鐸だった。

2011-10-08 華2471

『 NPO法人 小田原鋳物研究所 』

東名高速道路・大井松田ICを降り、相模湾方面へ20分ほど車を走らせた長閑な田園風景の中にあった。

生憎、当日は作業がお休みなので、作業員の不在で鋳物の炉には火は入っていなかったが、

代表者の上島氏に連絡を取り急な訪問を伝えると、15分後には工場まで足を運ばれ、丁寧に説明をして頂いた。

2011-10-08 華2472

本来なら此の炉にはコークスで火が入り、高々と炎が立ち上がり、温度は1000℃を越しているのだが。

『 小田原鋳物の始まり 』

弥生時代に各地に分散された生産体制であったが、政治と文化の中心地でもあり、技術や材料の入手がし易い、

現・大阪府南河内郡が我が国の鋳物発祥の地として繁栄を見るようになった。

鎌倉時代より始まった相模鋳物は、関東ではもちろん全国的にも比較的早くその作品を見る事ができる。

鎌倉幕府の創立が鋳物技術と需要を呼び、14世紀には梵鐘生産で全国一になるほど隆盛を極める。

その後幕府の滅亡、鎌倉府の崩壊など戦国時代に至るまで、時代の大きなうねりと権力に揺り動き、

相模鋳物は衰退の道を歩み始めなければならない憂き目に遭う。

その後、北条早雲が小田原を支配するよになると、小田原を中心に鋳物需要の芽が吹くようになった。

2011-10-08 華2474

『 鋳 物 と は 』

生活用品の、鍋・釜 を始め、仏像や壺など芸術的にも品位の高い物。

機械部品として車のエンジンケースや工作機械本体、家々の門扉や街路灯。

鋳物で作られた物は実に幅広く数え上げれば限がない程多い。

鋳物は溶けた金属を目的の形に創り上げる為の、鋳型が必要となる。

方法としては、生型・真土型法などがあるが、小田原鋳物はシェルモールド法で制作される。

粘結性の全くない乾燥した砂を、1300℃に熱した金型の上に振り掛けると、

熱により溶けた砂が硬化し、形状に沿って固まり砂型が出来上がる。

この砂型に溶けた金属を流し込み鋳物を作る。鋳肌面も美しく寸法精度の高い鋳物が出来上がる。

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制作途中の小田原風鈴。 恰も18金かと見まがう程、ピカピカ光っているが、

此の後、化学処理(薬品の中に風鈴を入れる)を施し、色付けをする。

2011-10-08 華2473

薬品棚には多くの危険物指定の薬品が・・・

緑青の衣を纏った作品は、時代色がつき風格高い作品へと大変身をする事になる。

『 癒しの音色を求めて 』

人が心地よいと感じる音色は、

高い周波数と音が干渉し合ってできるゆらぎ音(1/f)が、癒される音色とされている。

研究所では、ゆらぎ音の発生波形・周波数・余韻などの長さを測定し、

人にとっての ”いやし音” を、金属材料の成分割合・熱処理などの分析・研究を日々研鑽している。

『 鈴の音や 花の向こうは 相模灘 』

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陽光の下、梅林で風鈴の涼しげな音色を聴き、長閑な相模の海を想う一日であった。

ゆらぎ音を求めてひたすら研鑽をつむ鋳物師。

1300℃の灼熱の下、陶芸・刀鍛冶・鋳物など炎に出来上がりを託す伝統って、

「こんなもんなの~?」


 
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category: 雑感

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コメント

職業柄、鋳物などにもちょっと興味があります。
熱い鉄を型に流し込んで、さまざまな形のものを作り出す技術は素晴らしいですね。
日本の鋳物の技術は、世界一ですから。
技術の海外流出。
もう止められないんでしょうね。
これからは、技術の一歩上の個人が持つ特殊技術が求められますね。
器用な日本人ならではの、機械ではまねのできない何かが要求されますね。
時代は繰り返されるものなのでしょうね。
物作り日本。
頑張ってほしいものです。

一ノ瀬 #- | URL | 2013/03/15 22:46 - edit

反省しても・・・

”一ノ瀬”さん、こんばんは

昔、昔、未だ私が幼稚園生の頃の我が家に後ろには、鋳物工場があった。

作品つくりの為の砂型が、板の上に並べて乾燥されていた。
子供の悪戯とは云え、今から思うと大変られな事をしたもんでした。
何を?って、並べられた砂型を竹の棒で突いて遊んだ事を・・・

突かれた砂型は傷つき壊れる。
其れを見た工場の人が怒って、真っ黒な砂を投げつける。
飛んで来る砂ほこりを避けながら逃げるのが、此れ又楽しかった。

無邪気な悪戯では済まされぬ事なのだが、そこが子供の子供たる所以なのでしょうか?
今となっては、反省しても反省しきれない悪戯でした。



夢旅人 #- | URL | 2013/03/16 19:27 - edit

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