Admin New entry Up load All archives

こんなもんなの~?

趣味の写真を添えて、日々の『戯言』を・・・

腑割り地蔵 

『 親思う 心にまさる親心 けふのおとずれ何ときくらん 』   吉田松陰


IMG_0004.jpg

松下村塾で弟子たちに講義する吉田松陰像。復元された塾は松陰神社の中にあり、

此の直ぐ近くの石碑にこの句が刻まれている。

“親”という字は、「木のうえに立って見る」と書く・・・と、子供の頃よく言われたものだ。

夕暮れ時、帰宅しない子供の姿が待ちどおしく、親は木の上に立ってでも探すのだ・・・とね。

そんな思いと、親心に対する感謝の念をつい忘れていた自分に気付かされる。

昨日のブログの捨て猫ではないが、親猫の心配はいかばかりのものだったろうか?

松陰は、“人であれば、親孝行を第一に”と説いたのだろう。忠義こそ一番!!


IMG_0014.jpg

松陰の出身地:萩市。萩城は今は影も形も無い。只ただ、兵どもが夢の跡。

指月山の麓に築城された萩城は石垣のみを残している。

天守閣も矢倉も全ての建物は解体されている。左奥の少し出っ張った所に天守閣はあった。

城址一体は桜の名所で、四月になれば多くの人々が花を愛で、お弁当を楽しむ光景が見られる。


IMG_0016.jpg

鬱蒼と木が茂り石灯籠が立ち並ぶ「東光寺」。珍しく黄檗宗の古刹である。

元禄四年、萩藩三代藩主・毛利吉就が建立し、後に毛利家の菩提寺となる。

廟所の門を潜ると、此の沢山の石灯籠が立ち並ぶ墓所へと続く緩やかな石段に出る。

此処で毎年行われる盆の送り行事、「万燈会」は厳かで幽玄な事で有名だ。

IMG_0011.jpg

萩市から瀬戸内海の防府市へと続く路を“萩往還”と云う。

萩市内から少し行くと、山越えの道になり、此の地から城街を振り返れば、此処が見納めの地となる。

此処に、また一つ石碑が立っている。“涙松”の地で、

『 帰らじと 思ひさだめし旅なれば ひとしほぬるる涙松かな 』  吉田松陰

松陰が萩から江戸への最後の旅立ちの折、別れを惜しむかのように詠んだ句である。

此のお地蔵さん!! どんな訳あって立てられているのでしょうか、ご存知ですか?

私の記憶が正しければの事ですが、

罪を負った女性が、此の地で“腑割り”にあった場所なのです。

生きたまま、全身を解剖されたのですね。此の地は元々、罪人の処刑場だったのです。

萩往還の中でも、もっとも凄惨で悲しみに包まれた場所なのです。

其の霊魂の供養の為に建立された、“お地蔵さん”だったのです。

どんな罪を背負っての“腑割り”の罰なのか? なぜ女性だったのか?

大罪と云うより不義密通ぐらいの罪であったのではないか?

昔も今も、女性の業って、 「こんなものなの~?」




スポンサーサイト

category: 雑感

CM: 0 TB: --   

コメント

コメントの投稿

Secret