Admin New entry Up load All archives

こんなもんなの~?

趣味の写真を添えて、日々の『戯言』を・・・

ひな祭り 

『 関西式飾り方 』

2011-10-08 華3130

先日、八千代市 「文化伝承館」 に、お雛様を観に行った。

多くの吊るし雛が垂れ下がっている其の奥に、七段飾りの雛壇があった。

内裏雛段の右側に、”男びな” が、 左側に ”女びな” が。

此の飾り方は関西式と言われ、日本古来の文化では、この様に右・男びな、左・女びなが飾られた。

『 午年だからなのか? 』

2011-10-08 華3135

2011-10-08 華3132

吊るし雛飾りは、上の方に白馬が数頭結ばれていた。

色とりどりの装飾で綺麗に飾られていて、風に揺れれば可愛い鈴が澄んだ音色を楽しませる。

”吊るし雛” は、貴族や武家などのように豊かな生活では無かった庶民の智慧である。

庶民は、女の子の成長を祝い楽しませる為に、残り布などを用い手作りの ”ひな祭り” を楽しんだ。

『 関東式飾り方 』

2011-10-08 華3131

帰路の途中で、「ふるさと農園」に立ち寄った。

復元された古民家の客間に、雛壇が設えてあった。

よく見れば、右に ”女びな”、左に ”男びな” が据えてある。

此の飾り方は、関東式ひな壇で、昭和になり東京を中心に広まった飾り方だが、

謂われについては諸々説が有り、此れと言った決まりはナイという。

『 シンプル イズ ベスト? 』

2011-10-08 華3133

客間の棚には、古式豊かな内裏様が飾られていた。

お雛・め雛だけの一対で、何とも簡素に思えるが、シンプルなだけに好感がもてる。

経済的に豊かになり、雛壇も徐々に段数が増えた事であろう。

『 ひ な 祭 り 』

旧暦三月三日の 「ひな祭り」。

古代中国では、三月最初の巳の日に、川に入り穢れを流し落す上巳節という行事がった。

日本に伝来し室町時代の貴族の女の子たちの人形遊びである 「ひない祭り」 が合わさり、今の原型が出来る。

安土・桃山時代になると、貴族から武家社会に広まり、江戸時代に入り庶民にも取り入れられる。

この時代になると、ひな人形を置くと共に ”桃の花” を飾るようになった。

「ひな祭り」 は女の子のお祭りで、

桃の木は悪魔を打ち払う神聖な木と考えられていた為に、「ひな祭り」に ”桃の花” が添えられる。

三月三日には、雛壇にも飾られるように、白酒・ひし餅・ハマグリの吸い物で祝うのが一般的。

『 大内塗り、ひな人形 』
ou-a-8_l[1]

24代大内弘世は、京の都より美しい姫を迎えたが、

姫があまりにも都を恋しがるので、慰めようと都より多くの人形師を呼び寄せ、

漆の人形を飾って喜ばせる事に始まる。

優しい心遣いで微笑ましい話だ。

大内人形は「夫婦円満」 「家庭平和」 のお守りとして、今日まで愛され続けている。

『 曲水の宴 』

旧暦三月になれば桃の花が咲き乱れ、華やかで可愛らしい雰囲気が漂う。

今年の関東は異常気象のお蔭で、日陰には掃き清められた道端には残雪が。

旧暦の 「ひな祭り」 の頃には、桃の香りに誘われて春爛漫なのだが・・・

中国では 「曲水」 といい、水辺で禊をする行事があったが、

日本では、「曲水の宴」 といい、宮廷や平安貴族の間では詩歌を詠み楽しんだ。

何とも雅な儀式へと変貌を遂げたものだ。

庭園を流れる曲水に、お神酒を注いだ盃を浮かべ、詩歌を楽しむなんて・・・

「巳の日の祓い」 といい、人形を川に流して穢れや厄難を祓う ”流し雛” をした。

中国で行われる儀式も、日本では楽しみへと変貌する。

楽天的な日本人の考え方って、「こんなもんなの~?」



スポンサーサイト

category: 雑感

CM: 2 TB: --   

コメント

こんにちは。

関西と関東ではお内裏様の並びが違ったのですね…
結局どちらでも良いと云う事ですね(笑)

家の娘は法律上3月3日のおひな様でお祝いしなければならないですが、親の眼からすると5月5日の端午の節句が相応しい性格なので複雑な心境です…(泣)

musselwhite #HfMzn2gY | URL | 2014/02/26 11:03 - edit

端午の節句も・・・

”白熊”さん、こんにちは

おやおや、そんな事言ってイイんですか?
三月三日の ”ひな祭り” は、女の子のお祭りとはよく知られるが、
実は五月五日の ”端午の節句” も、元々は女の子のお祭りだったのですよね。

中国では、此の日にはショウブやヨモギを門に吊るしたり、ショウブ酒にして飲み、邪気を払ったのが始まりとか。
これが日本に伝わると、「端午の節句」となった。

五が重なる”重五” ”重午” と言い、お祭りにしたそうですよ。
こmの「端午の節句」は、田植えが始まる前に、早乙女が「五月忌み」といって、穢れを祓った。

平安時代になり、男の祭りへと変化し、ショウブが「尚武」や「勝負」と解釈され、流鏑馬や競馬なんかをした。
ショウブで作った兜を男の子が被り、女の子の祭りは男の子の祭りへと・・・

横山大観画伯の名画に、「屈原」がある。
此れは中国の詩人・屈原の故事に倣ったもので、チマキを食すようになった。

跡継ぎが絶えない様にと、柏餅を食べるのは、古い葉が落ちれば新しい葉が生えてくるからだとも・・・

まぁ、そんな事はどうでも宜しいが・・・
北海道の近況をUPしてよ~!!

※ 「親の目からすると・・・」、そんな事言ったら、御嬢さんから一言がでますよ~。

夢旅人 #- | URL | 2014/02/26 12:42 - edit

コメントの投稿

Secret