Admin New entry Up load All archives

こんなもんなの~?

趣味の写真を添えて、日々の『戯言』を・・・

この ”あま” が~ 

『 よみがえる天平の甍 』

2011-10-08 華3640
               国指定 『 上総国分尼寺跡 』 展示館 

貴重な文化遺産を保存して永く後世に伝えていくと共に、潤いのある市民生活や

新たな地域文化の創造に役立たせるため、郷土の歴史や文化を見直し、

追体験する場として、平成二年に整備される。

歴史的建造物に復元では、史跡の空間的広がりを体験し、天平建築の力強い構造美を鑑賞できる。

館内では、映像や模型により国分尼寺建立の時代背景や史跡の特徴が理解できる。

『 最初の僧は、”尼僧” であった 』

上総国分尼寺跡_模型[1]
                発掘資料による 『国分尼寺』 復元模型

釈尊は、人々が修行によって悟りを開くことが出来るが、俗世間にあっての修行は難しいので、出家を勧めた。

しかし女性の出家は断じて許可しなかった。

「涅槃経」 に、”あらゆる三千世界の男子の諸煩悩、合集して一人の女の業障と為る” とあり、

「法華経」 にも、”女の身にはなお五つの障あり” とある。

女性が男へ及ぼす感覚的な魅力を特に退ける必要があったからである。

しかし、父王が亡くなった時、母が主家を願い出たため、一時はダメ押しをしたが、

余りにも其の懇願の思いが止みがたく、遂には許可する。

日本では、司馬達等の女 ”善信” が高麗僧 ”惠便” について出家したのが最初の僧であった。

『 この、”あま” が~ 』

2011-10-08 華3642
              復元された 『国分尼寺』 回廊中庭

奈良朝以後、国分寺や国分尼寺そして比丘尼御所などが次々と建立され、

僧や尼僧たちは、厳しい戒律の元で修行を重ねた。

西国から伝来した仏教を学ぶことが、唯一の知識人であり、天皇や貴族に顧問的役目を果たした。

その後、時代が下ると共に綱紀の緩みと共に、在家のまま髪を短くした ”そぎ尼” 、

諸国を遊行して念仏勧化する ”熊野比丘尼・善光寺比丘尼” 、さらには、

地獄極楽の絵解きをし、音曲で暮らす遊芸民 ”歌比丘尼” などが出現し、

ついには売笑婦の隠語に堕ちてしまった。

”比丘尼の晴れ小袖” とは、不似合いなこと、必要の無い例えで、

”比丘尼の笄” とも ”比丘尼の鍵誂え” とも言う。

”比丘尼の髪を結う” は、やれと言っても無理な事、”比丘尼にヒゲ出せ” の類だ。

”比丘尼を裸にしたよう” とは、気の毒で見ていられない状態を言う。

日常生活の中で、男性が相手を卑下する言葉に、「 この、あま(比丘尼)が~ 」 という言葉がある。

何とも失礼千万な言葉ではないか。 尼(比丘尼)も出家・修行を重ねた知識豊かな僧である。

尼から見れば、「お前の様な、ボンクラから言われる筋合いはナイ」 と言うところか?

『 日本最古の ”尼寺” とも、言われるが・・・』

hondo_photo[1]
           大阪市・太子町 聖徳太子、御侍女三尼公廟所 『西方院』本堂

推古天皇の30年(西暦622年)に、聖徳太子御薨去の後、

月益(蘇我馬子の娘)、月益(小野妹子の娘)、玉照(物部守屋の娘)、三姫は剃髪され

その名も、”善信” ”禅藏” ”恵善” と称し、太子御廟の前に一宇を建立。

『 寺の発祥は、”卒塔婆” から 』

sannikou_photo[1]
              『西方院』 三尼公御廟所

聖徳太子の遺髪・遺骨は、納骨度に納められているが、

此の御廟には、三尼公の遺骨が納められ、三基の多層塔が建立されている。

釈迦が逝去する直前の経に、最後の経典 『遺教経』 がある。

亡くなる直前に釈迦が言い残した事は、

”私の葬儀には僧侶は立ち会うな。 死体はガンジス川にでも捨てておけ”

いや、ちょっと待て ”何も残らないと私が此の世にいた事が後世に伝わらない”

”遺骨は土に埋めて、その上に 「悟りを開いた釈迦、此処に眠る」 と記念碑を建てておけ” とでも・・・

遺骨を埋めた土饅頭の上に、建てた記念碑が ”卒塔婆” である。

釈迦は ”悟りの世界” を後世まで伝えるために、卒塔婆の建立を?

それとも、己の名誉の為だったのか? いやいや、そんな下世話な話ではないでしょう、ね。

僧と尼僧・・・この最高の学識者も、規範の乱れから堕落の一歩を。

其の果ての言葉が、「この、”あま” が~」 と言われるようになったのか?

僧侶の世界も、我々の社会も、堕落・堕落とは、「こんなもんなの~?」



スポンサーサイト

category: 雑感

CM: 4 TB: --   

コメント

人はもともと、その生命エネルギーの中に、男性性と女性性の両方をもっていて・・・そして、時代時代における様々な体験をするうえで、そのどちらの性をもってすれば、より効率的と言うか、実り多い体験をするかを考えて生まれて来るといいます・・・^_^;

転生輪廻を説くお釈迦さまが、どうしてそのような性にこだわり、女性を悟りの道から遠ざけたのでしょうかね・・・(V)o¥o(V)

さては、お釈迦様の悟りって、「そんなもんなの~・・・!?」 (^_-)-☆ なんちゃって~

ダンボー1号 #- | URL | 2014/09/07 11:56 - edit

お釈迦さまでも・・・

”ダンボー”さん、こんにちは

受精卵は、はじめは皆 ”女(メス)” と言われている。
分裂を始めると、その内にメスとオスに分れるらしい。
何事も、女性を優先した方が、結果は上手くいくと神がノタマッテいるのか?

日本で最初の出家僧が女性だったとの事は、当然の成り行きだったのか。
この点に関しては、釈迦も知らなかったのでしょうよ。
悟りを開く事の難しさも、この辺にあるのか???

夢旅人 #- | URL | 2014/09/07 17:36 - edit

むむむ、これは・・・。
市原市ですよね~。
僕も地元ですね(^_^)/
もちろん行ったことありますよ!
あ~懐かしい。
ありがとうございます!!!

ちくわ #- | URL | 2014/09/08 10:50 - edit

故郷は・・・

”ちくわ”さん、おはよう!!

そうです、市原にこんな素敵な遺構があったとは知らなかった。
世に色々と文化遺産が発掘されているが、その多くは復元されていない。
後世に伝え残す作業には、多大な費用と努力が要りますが、再現する事は我々の義務かも知れませんね。

天平の思いに耽りながら、カメラに収めると共に記憶にも留めておきたいものです。

遠くに離れていると、住み慣れた故郷の風景に思いを馳せる事も少ないでしょうが、帰郷の折には故郷の良き時代を訪ね、思いを新たにして下さい!!

夢旅人 #- | URL | 2014/09/09 09:09 - edit

コメントの投稿

Secret