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こんなもんなの~?

趣味の写真を添えて、日々の『戯言』を・・・

”美” 存在・・・ 

『 ”出会い” と ”別れ” 』

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今年の春、東京駅は大改修を終え、昔の姿を取り戻した。

都会の駅は、どこも立派で美麗で、エキナカと言われる商店街までも完備しているが、

昔の駅は、特に田舎の駅は木造の小さな粗末なものばかりだった。

”駅”・・・この響きが齎すものは、「歓喜の物語」 と 「惜別の物語」 であろうか。

或る日、私は片田舎の小さな駅に降り立った。

暫く木製のベンチに腰を掛け、辺りを見渡しフト太宰 治の 「列車」 を想起した。

「万歳の叫喚で送られたり、手巾で名残を惜しまれたり、または嗚咽でもって不吉な餞をうけるのである」

また、「頭の上の電気時計を振り仰いだ。到着まで未だ三分ほど間があった。

    見送り人にとって、発車前三分間ぐらい閉口なものはない」 と、ホームの情景を綴る。

長閑で空虚な時間が静かに流れるホームは、

迎える人なのか? 見送る人なのか? 其のどちらでもない人々が静かに腰を掛けていた。

都会の駅では決して見る事の出来ない、過去に流れていたであろうと思われる時間を感じる。

”旅は田舎に限る” と思う瞬間が、此処には確かに残っていた。

『 ドラマが生まれる、駅のホーム 』

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 行ったり来たり すれ違い  私 待つわ いつまでも待つわ 

駅のホームでは、こんな光景が幾たびか繰り返されたことであろう。

世の中が進歩(人の心もあれはて)し、駅のプラットホームでも別れのシーンを見かける事は無くなった。

朝のホームは、仕事へ学校へと急ぐ足ばかりだが、午後のホームは、病院通いのお年寄りばかり。

『 ”あわれ” は、嘆きの言葉なのか? 』

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侘び・寂び、 義理・人情、 あわれ・おかし、 普段耳にする対語である。

物静かな空気が漂う街を散策すると、廃屋と言われる建物にしばしば出会う事となる。

こんな時、心の中で、「あわれにも」 と叫ぶことがある。

”あぁ”、と言った感嘆の言葉が前語として付くのが本当だろうが。 

概念化されていない感動の言葉であり、其の中には ”気の毒に” という意味も含まれる。

朽ち果てる廃屋への驚きと、切ない気持ちが深く胸を打ち、鎮魂の言葉となるのであろうか?

出逢った廃屋に ”あわれ” を通り越し、”かなし” さえ覚えるのは、私だけなのか?

悲哀と辛苦の感情を超えれば、”畏怖” する心さえ喚起される。

廃屋との ”別れの悲しみ” を抱き、後にした。

寒暖・風雪・外敵から家族を守り抜き、使命を果たし耐え抜いた廃屋に、

一抹の感情が流れた事は、愛すればこその ”あわれ” と ”かなし” だったのか?

『 ”美” って、何だろう? 』

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人は一体 ”美” をどうとらえているのか? 何に ”美” を見出すのであろうか?

陶芸家:河井寛治郎の詩に・・・

「仕事が見つけた自分 自分を探している仕事 仕事が仕事を探している仕事

 美を追わない仕事 仕事の後から追ってくる美・・・」


現代社会をよくよく観察すれば、あまりにも美を追い求める仕事がおおく、

美を装う化粧、美を追う装い、美を装う動作、”美” を求める事には事欠かないのが現状だ。

美しく見せたいと思っても、”美” は決してやってはこない。

”美” は、身と心の美しさが滲み出た結果なのである。

”美” と ”女性” は付き物の様に捉えられる。

良く言われる言葉に、「女は、喪服を着ている時が一番美しい」 と。

喪服を着ている時が一番美しい、のではなく、

喪服を見事に着こなした時に、女も喪服も美しく見える、のが本当の事で、

美しく見えるのは、自己演出が上手で、内面の美しさが滲み出る時である。

朽ち果てそうな木の柵に、一本のバラの木が見事な花を咲かせていた。

「恋する女は、美しい」 とは、しばしば耳にする言葉だが、

美しさは、どんな恋をしているかによって決まるようだ。

心身美しい女性がいるのであって、女が美しく見えるのではナイ。

バラの花に、女の ”美” を見るって、「こんなもんなの~?」



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category: 雑感

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コメント

こんばんは。(^-^)

こちらの方でも、時々、朽ち果てていく家屋を見ることがあります。
家のお蔭で、人は雨露をしのぐことができ、暖かい団欒を囲み、日々を安全幸せに育っていくことができたのに、その家が無残にも崩れ果てていくのを見るのは辛いものがあります。(*_*;

物にも、物として形作られた時から、精霊が宿るといいます。
本来ならば、不要ともなれば、感謝の思いとともに解体されるものであるのに、ほったらかしの中で、むなしくその家としての生を終えていくのは、家の精霊たちも、さぞ悲しい思いをしているのではないでしょうか・・・(T_T)

ダンボー1号 #- | URL | 2014/11/08 21:56 - edit

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# |  | 2014/11/09 00:39 - edit

街歩きが好き

”ダンボー”さん、お早うございます

街歩きが大好きな私です。
是非行きたい所に、近江八幡があるのですが、なかなか時間も取れず未だ願いが叶いません。

街歩きが好きなのは、地元の人との会話や生活の歴史を聴きながら散策するのが好きだから・・・

”写す行為” は、その時その時に感じた事や、大切な記憶を心の奥底に仕舞って置きたいから。
望遠レンズを使わないのは、35mmだと在りのままの空気觀や、全ての情報が写せるからかな?

荒れ果てた廃屋や廃墟に、過去の生活を想像する楽しみが好き。
都会の殺風景な景色には色気も感じないが、過去の時間が閉じ込められた田舎の景色が好きなのもその所為なのでしょうね。

夢旅人 #- | URL | 2014/11/09 10:40 - edit

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# |  | 2014/11/09 14:17 - edit

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# |  | 2014/11/10 23:05 - edit

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