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こんなもんなの~?

趣味の写真を添えて、日々の『戯言』を・・・

吉原は、昔の話・・・ 


『 秘すれば花、暴かれて泥 』

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歌川広重(画) 「江戸名所100選」 ”新吉原・仲町 春の景” 

元旦に、家に居てもダラダラするばかり、という事で・・・昔懐かし吉原へ足を運んだ。

浅草寺の参詣者が多過ぎて、駐車場がない事態。

”大門” 目指して歩を進めるが、何処が入り口か判らない。

途中で、老婦人が犬を連れての散歩の途中。

「スミマセン!吉原は何処ですか?」 と聞けば、ご婦人が曰く

「今は、吉原はやっていませんよ」 と。 そんな事は知っているとも云えないが、

よもや私が女郎買に行くとでも思ったのかね~。 内心一人で苦笑い。

『 栄枯盛衰、無情の風に彼方へと 』

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「吉原神社」 浅草七福神ノ内、弁財天を祀る

”吉原大門” の看板は直ぐに見つけられたが、エッ、この先があの吉原?

見事に面影すら見当たらない。 おまけに元旦、辺りは閑散として寂しい限り。

交差点の立て看板を案内に・・・少しばかり迷いはしたが 「吉原神社」 に辿り着く。

”弁財天” を祀る、浅草七福神に指定された寺で、小さいながらも多くの人出があり、

参拝の後は甘酒の接待があり、凍えた体を温める人がちらほらと。

『 闇の夜は、吉原ばかりが 月夜哉 』

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浅草名所・七福神 「吉原神社」 近く、無慚な死を遂げた遊女の慰霊場所

新吉原、花園池(弁天池)跡

江戸時代初期まで、この付近は湿地帯で多くの池が点在していたが、

明暦の大火(1657年)後、幕府の命により、湿地の一部を埋立、日本橋の吉原遊郭が此の地に移された。

以来、昭和33年迄の300年間に及ぶ、遊郭街 ”新吉原” の歴史が始まった。

江戸時代には、様々な江戸風俗・文化の源泉となった。

当時は夜ともなれば、町街から明かりが消え、闇夜と化したが、

吉原遊郭だけは、繁昌し夜を徹して明かりが消える事は無かったと言う。

遊郭造成の際、池の一部は残り、いつしか池畔に弁天祠が祀られ

遊郭楼主たちの信仰を集めたが、現在は浅草七福神社の一社として、

お正月には、多くの参拝者が訪ねて来るようになった。

『 冬日影 苦界浄土の 夢の跡 』

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関東大震災、溺死者の霊供養 観音菩薩の建立

池は、花園池・弁天池の名で呼ばれたが、大正12年の関東大震災では、

多くの人々が此の池に逃れ飛び込び、490人の人が溺死したと言われる悲劇が起こった。

弁天祠付近の築山に建つ大きな観音菩薩像は、溺死した人々の供養の為に大正15年に造立。

廻りに池が見当たらないのは、昭和34年吉原電話局の建設に伴う埋立工事で姿を消した。

池は現存することなく、わずかに其の名残を残すのみとなった。

『 遊びをせんとや生れけむ 』

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”遊女” と云えば、真っ先に想い出すのが、「梁塵秘抄」 で、「我が身さへこそゆるがれる」 と続く。

平生罪業深い生活を送っている遊女が、自らの沈倫に対しての身を揺るがす悔恨をうたったものであろうか?

「さて空しく此の世を去りて、来世は如何。是も前世の遊女にて有るべき宿業の侍りけるやらん」 と

法然は、遊女に救いの道を教えたと言うが、果たしてどんな方法を伝授したのか? 気にはなる。

好むと好まざるに拘らず、多くの遊女は女衒の手に罹り吉原へと。

10数年のお勤めの後に、自由の身になったとしても、その先へどんな道があると言うのか?

今は露と消えた吉原廓、日本の穢れの文化を ”遊女” に見出すのは、余りにも切なさすぎる。

『 この廓や 月雪花も 三菩薩 』

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「女郎の務めの事なれば、嫌と思う客にても、惚れた顔はせねばならず、是をひとえに真と思うは、愚かな事か、

 此方は一人を相手、女郎は昨日西国の客に会へば、今日は奥州の人に会う、昼武家に会えば、夜は町人に会う。

 この割で見れば一年中には七百二十人、そのうち暇な日もあれど、

 少なくも三四百人は変わるべし」 と。    『吉原大全』


「金で女を買う。そこには、女に対する人格も認めず、ただ男の享楽の為に、金銭で一時の女を慰み者とした。

 男の傲慢さが顔をのぞかせる。女に対する哀れみも無く、手前勝手な自己本位の男の姿。

 何と無礼な男ども。女の肉体を時間ぎれの金で支払い、男は愛欲を満たす。

 男とは、そう言う者だと、自己弁護する」 と。    『昭和遊女考』


井原西鶴、永井荷風 が考えている如く、

男は、あとくされなく一時を楽しみたい。其の為には金をも工面する。

はるばる遠くからも吉原へ。 「ふらない」 散茶が一層の拍車をかける。

廓・吉原での一時の享楽を味わう男心って、「こんなもんなの~?」





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category: 雑感

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コメント

あけましておめでとうございます!
今年もどうぞよろしくおねがいいたしま~す(^_^)/

お~なつかしい、吉原神社。
前職時代はよくこの辺歩いてたんですよ~。
何の仕事かって?
ちょっとした営業の仕事で(笑)
今度帰省した時は10年ぶりにこの辺いってみようかなって、
思ってたんですよ~。
うん、本当に懐かしい・・・。

ちくわ #- | URL | 2015/01/04 14:29 - edit

千葉がイイ

”ちくわ”さん、オメデトウ!!

昔懐かし ”吉原遊郭”、どんなに変貌したのか?訪ねてみた。
場所が分らず、通り掛かりのご婦人に道を聞けば、彼女曰く 「吉原は、今はありませんよ」 だって。
分っているのだが、取り敢えず 「アァ~、そうですか」 と答えたものの、私が女郎買いにとでも思ったのでしょうね。

時代が変わり、一時はトルコ風呂が誘う時代があり、いまでは新宿あたりの客引きが目に入る。
公娼盛んな時には、遊女の衛生管理も行き届いていたが、今では果たしてどうなのか?

吉原界隈で営業を?・・・営業すると言うよりは、営業されたのでは?アリマセンカ、ね。
あの当時は粋だったね~、と懐かしく思ったのでは?

※ お正月を故郷で。 でもカヤックには寒すぎる?
   雑煮でも食べてコタツでのんびりと。 そんな時代でもないのかな?

夢旅人 #- | URL | 2015/01/04 20:06 - edit

こんばんは。(^-^)

遊郭、遊女・・・テレビの時代劇なんかでしか見たことがありませんけど、いと哀れな世界だったんでしょう・・・(*_*;
戦争終了時にも、似たようなものがあったみたいですけど。
だれでも、自分の好きな人と幸せな人生を歩みたいと思うものですから、生き地獄のような悲しい世界があったのものと推測できますね。(T_T)

法然さん、天台宗の教義を学ばれてますから、~ひたすら阿弥陀仏の誓いを信じ、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えて、極楽浄土に生まれ変わるのです~・・・なんて言われてたんじゃないでしょうかね。(^_^;) ほんまにそれだけで、極楽浄土に行けるんかいな?

コメント、ありがとうございます。
窓を少し開けて、ちょこちょこっと撮りました。(*^。^*)

陽だまり #- | URL | 2015/01/04 22:30 - edit

あらぬ教えに・・・

”陽だまり”さん、こんにちは

年季が明けた遊女でも世間が冷たいので、舞い戻って来るのが多かったようですね。
いつの世も、世間は世知辛いのでしょう。

南無阿弥陀仏で極楽へ・・・大衆を誤魔化すセリフですね~。
信者を獲得する為の詭弁でしかないと思うのだが。

何時お迎えが来ても良いように、今を精々楽しんだ方が賢明な事と思いますね~!!

夢旅人 #- | URL | 2015/01/05 12:14 - edit

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