古きに学ぶ(宮崎邸にて)
2015/11/09 Mon. 17:20 [edit]
『 花と同じく昏の嵐に散じ・・・』

何気なくふと縁側の端に目をやると、盛りを過ぎた菊の鉢植えが目に入った。
重陽の節句時分には、観る人の目を楽しませてくれた事であろうが、この時期ともなれば・・・
何故か己の越し方の人生を観るようでもある。
若く盛りの時には我が世の春を謳歌したが、齢を重ね今では此の菊の花の如くに・・・
人生にしても花にしても、弄ぶ事は玉楼に月を吟ずるが如くに暁の雲に隠るって事なのか。
盛りを過ぎ片隅にやられた一輪の菊に、生者必滅の現実を観るようでもあった。
『 細やかな気遣いに・・・』

眼には就き難い庭の片隅に蹲が置かれている。
秋とは云え未だ夏の気配も残る昨今、モミジも紅葉はしていない。
蹲には青々とした元気なモミジの葉が落し込んであった。
考えた挙句の御亭主の心遣いであろう。
『 揃え脱がれた履物に・・・』

人様の家に伺う事がよくある。 玄関先の光景に住人のマナーと躾を思う。
多くの場合、子供の履物や家族のサンダルなどが乱雑に散らかし放題な家が多い。
「鉄は、熱いうちに打て」 「三つ子の魂、百までも」 なんて諺がある。
大人になってから治る!!なんて事はナイ!!
美意識なんて事は言わない。 せめて躾の大切さは子供の内に・・・
結果、大人になってもマナーの基本すら出来ない事となる。
揃え脱がれたサンダルに、小さなマナーを見る思いがした。
『 石臼は、ワンポイントのアクセント 』

石畳の通路に敷かれた四角い石は、230年の時を刻んだ母屋の礎石だったと聞く。
現在の屋敷は布基礎にしたので、昔の基礎石は不要になったとの事である。
そして、只一つだけ丸い石が素敵なアクセントとなっている。
此の石は、昔使われていた石臼を嵌め込んだ物である。
昔の物を愛おしく思い亭主が利用された事なのだが・・・
古い物を大切にする・・・改めて学ばせて頂いた。
廃品利用なんて言葉があるが、その大切な事を再考。 新しい物がイイだけでは決してナイ!!
何気ない事に教えられるって、「こんなもんなの~?」

何気なくふと縁側の端に目をやると、盛りを過ぎた菊の鉢植えが目に入った。
重陽の節句時分には、観る人の目を楽しませてくれた事であろうが、この時期ともなれば・・・
何故か己の越し方の人生を観るようでもある。
若く盛りの時には我が世の春を謳歌したが、齢を重ね今では此の菊の花の如くに・・・
人生にしても花にしても、弄ぶ事は玉楼に月を吟ずるが如くに暁の雲に隠るって事なのか。
盛りを過ぎ片隅にやられた一輪の菊に、生者必滅の現実を観るようでもあった。
『 細やかな気遣いに・・・』

眼には就き難い庭の片隅に蹲が置かれている。
秋とは云え未だ夏の気配も残る昨今、モミジも紅葉はしていない。
蹲には青々とした元気なモミジの葉が落し込んであった。
考えた挙句の御亭主の心遣いであろう。
『 揃え脱がれた履物に・・・』

人様の家に伺う事がよくある。 玄関先の光景に住人のマナーと躾を思う。
多くの場合、子供の履物や家族のサンダルなどが乱雑に散らかし放題な家が多い。
「鉄は、熱いうちに打て」 「三つ子の魂、百までも」 なんて諺がある。
大人になってから治る!!なんて事はナイ!!
美意識なんて事は言わない。 せめて躾の大切さは子供の内に・・・
結果、大人になってもマナーの基本すら出来ない事となる。
揃え脱がれたサンダルに、小さなマナーを見る思いがした。
『 石臼は、ワンポイントのアクセント 』

石畳の通路に敷かれた四角い石は、230年の時を刻んだ母屋の礎石だったと聞く。
現在の屋敷は布基礎にしたので、昔の基礎石は不要になったとの事である。
そして、只一つだけ丸い石が素敵なアクセントとなっている。
此の石は、昔使われていた石臼を嵌め込んだ物である。
昔の物を愛おしく思い亭主が利用された事なのだが・・・
古い物を大切にする・・・改めて学ばせて頂いた。
廃品利用なんて言葉があるが、その大切な事を再考。 新しい物がイイだけでは決してナイ!!
何気ない事に教えられるって、「こんなもんなの~?」
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category: 雑感
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