日本人は、何処から来たの?
2016/08/10 Wed. 09:23 [edit]
『 猛烈な風と荒波を、乗り越えて 』

船橋港に現れた、復元古代船 ”スピリット・マジャパヒト号”
5月11日にインドネシア・ジャカルタを出発、復元古代船は黒潮に乗って航海の旅立ちをした。
琉球王朝との交流があった、マジャパヒト王朝時代の古代木造帆船を復元したものである。
古代船には、イラハム・アンディ船長ら七人の乗組員と、海洋冒険家・山本良行氏が乗り込んでいた。
フィリピン・台湾までは順調な船旅だったが、その先、沖縄への航海は猛烈な暴風雨と高波に困難を極めた。
チーク材で造った小さな木造船には、アウトリガーが転覆防止のため船体の左右に備え付けられているが、
荒波を超えての航海は厳しく、今回は二度目の挑戦で成功したものである。
三か月にわたる長旅の疲れを船橋港で癒した後、日本との文化交流の役目も無事果たし、
本日(8月10日)船橋港を離岸し、インドネシアへの長旅を再度挑戦する予定であるが、
台風の憂き目に遇う事なく、無事にインドネシア迄帰還できる事を祈るばかりである。
『 三か月の航海の疲れを、船橋港で癒す 』

全長20m 全幅4m の豪華木造船
日本への、三つのルート
約700万年前にアフリカで発生した人類は、後にホモ・サピエンスへと進化する。
ホモ・サピエンスは大陸を東へ東へと進出し、やがて我が国・日本へと辿り着いた。
信頼できる初期のホモ・サピエンスの遺構からして、
南アジア・東南アジア・オーストラリアの最古の年代は4万8500~4万5000年前と推測される。
インドからインドネシアへと辿り着いた原人は、海を超えての島々への進出であったのだろう。
大陸の遺構では、ヒマラヤの北側には4万6500年~4万400年前まで遡れる。
後に、中国を超え、海上を日本へとやって来たのか?
また、シベリアではヤナ地方で、3万3000前のホモ・サピエンスの遺構が発見されている。
日本にホモ・サピエンスが渡って来て、祖先となったルートは三つのルートが考えられるが・・・
ニアの遺構は4万8500年前であるから、インドからやって来た原人が、
インドネシアから海上をはるばる渡海して日本へと到来したのである!!と考えるのが一番面白い。
理由は、台湾でも3万6000年前には到達していて、日本へはそれよりも古く、3万8000年前の遺構がある。
『 友好親善と文化交流に夢を乗せて 』

宮殿の様な操舵室とインドネシア乗組員 三名
今回の、”スピット・マジャパヒト号” の来航を見るに・・・
我が日本への最初の渡来原人は、インドネシアから台湾・沖縄を経た海上ルートと想像するのが楽しい。
インドネシアからフィリピンへ。そして島々の間を航海し、はるばる数千キロの海上を北上、日本列島へと。
黒潮に乗った大航海であった筈だ。暴風雨もあり高波もあり、時には台風にも見舞われての大冒険の旅だ。
裏付けられる理由として、西表島・宮古島・沖縄島・徳之島・奄美大島・屋久島などで
3万6000年~3万年前の多くの原人たちの遺構発見されている。
原人たちと考えたのは、渡来人が男性ばかりだと、子孫の繁栄は見られない。
簡素で小さな木造船には、男性も女性も同船していた筈だ、オソラク!!
インドネシアから台湾方面には4万7000年前、更に日本ヘは3万8000年前と言われている。
氷河期にシベリアから北海道へ、中国大陸から沖縄へ、と原人が渡来したと考えるよりは、
インドネシアから荒波を超え、はるばる日本へと航海した原人たちは、果たして航海だったのか?漂流したのか?
黒潮に乗っての大航海を終えた ”スピリット・マジャパピト号” は、今日帰国の航海へと旅立つ。
日本人は、何処から来たのか? 原人は、インドネシアから船に乗って・・・
な~んて、想像する楽しみを与えてくれた事には間違いない。
日本原人・渡来人に想いを馳せる楽しみって、「こんなもんなの~?」

船橋港に現れた、復元古代船 ”スピリット・マジャパヒト号”
5月11日にインドネシア・ジャカルタを出発、復元古代船は黒潮に乗って航海の旅立ちをした。
琉球王朝との交流があった、マジャパヒト王朝時代の古代木造帆船を復元したものである。
古代船には、イラハム・アンディ船長ら七人の乗組員と、海洋冒険家・山本良行氏が乗り込んでいた。
フィリピン・台湾までは順調な船旅だったが、その先、沖縄への航海は猛烈な暴風雨と高波に困難を極めた。
チーク材で造った小さな木造船には、アウトリガーが転覆防止のため船体の左右に備え付けられているが、
荒波を超えての航海は厳しく、今回は二度目の挑戦で成功したものである。
三か月にわたる長旅の疲れを船橋港で癒した後、日本との文化交流の役目も無事果たし、
本日(8月10日)船橋港を離岸し、インドネシアへの長旅を再度挑戦する予定であるが、
台風の憂き目に遇う事なく、無事にインドネシア迄帰還できる事を祈るばかりである。
『 三か月の航海の疲れを、船橋港で癒す 』

全長20m 全幅4m の豪華木造船
日本への、三つのルート
約700万年前にアフリカで発生した人類は、後にホモ・サピエンスへと進化する。
ホモ・サピエンスは大陸を東へ東へと進出し、やがて我が国・日本へと辿り着いた。
信頼できる初期のホモ・サピエンスの遺構からして、
南アジア・東南アジア・オーストラリアの最古の年代は4万8500~4万5000年前と推測される。
インドからインドネシアへと辿り着いた原人は、海を超えての島々への進出であったのだろう。
大陸の遺構では、ヒマラヤの北側には4万6500年~4万400年前まで遡れる。
後に、中国を超え、海上を日本へとやって来たのか?
また、シベリアではヤナ地方で、3万3000前のホモ・サピエンスの遺構が発見されている。
日本にホモ・サピエンスが渡って来て、祖先となったルートは三つのルートが考えられるが・・・
ニアの遺構は4万8500年前であるから、インドからやって来た原人が、
インドネシアから海上をはるばる渡海して日本へと到来したのである!!と考えるのが一番面白い。
理由は、台湾でも3万6000年前には到達していて、日本へはそれよりも古く、3万8000年前の遺構がある。
『 友好親善と文化交流に夢を乗せて 』

宮殿の様な操舵室とインドネシア乗組員 三名
今回の、”スピット・マジャパヒト号” の来航を見るに・・・
我が日本への最初の渡来原人は、インドネシアから台湾・沖縄を経た海上ルートと想像するのが楽しい。
インドネシアからフィリピンへ。そして島々の間を航海し、はるばる数千キロの海上を北上、日本列島へと。
黒潮に乗った大航海であった筈だ。暴風雨もあり高波もあり、時には台風にも見舞われての大冒険の旅だ。
裏付けられる理由として、西表島・宮古島・沖縄島・徳之島・奄美大島・屋久島などで
3万6000年~3万年前の多くの原人たちの遺構発見されている。
原人たちと考えたのは、渡来人が男性ばかりだと、子孫の繁栄は見られない。
簡素で小さな木造船には、男性も女性も同船していた筈だ、オソラク!!
インドネシアから台湾方面には4万7000年前、更に日本ヘは3万8000年前と言われている。
氷河期にシベリアから北海道へ、中国大陸から沖縄へ、と原人が渡来したと考えるよりは、
インドネシアから荒波を超え、はるばる日本へと航海した原人たちは、果たして航海だったのか?漂流したのか?
黒潮に乗っての大航海を終えた ”スピリット・マジャパピト号” は、今日帰国の航海へと旅立つ。
日本人は、何処から来たのか? 原人は、インドネシアから船に乗って・・・
な~んて、想像する楽しみを与えてくれた事には間違いない。
日本原人・渡来人に想いを馳せる楽しみって、「こんなもんなの~?」
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category: 雑感
コメント
お早うございます、日本人はどこから来たのか判りませんがいろいろな仮説が出ているようです。大和民族とよく聞きますがその定義すら判りません。
興味深い話ではありますが。
頭の体操?
”purotoko”さん、おはよう!!
日本人は何処から来たのか?・・・
北から、東から、南から、三方向から列島にやって来たと考えられているが、インドネシアから島々を渡り、沖縄を経て日本列島へ、と考えるのが一番面白い。
事実、ホモサピエンスの遺構をみても、妥当性はあるようだ。
想像を巡らすことは頭の体操にもなり、ボケ防止にも一役かうからね~!!
夢旅人 #- | URL | 2016/08/13 08:32 - edit
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