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こんなもんなの~?

趣味の写真を添えて、日々の『戯言』を・・・

実篤の ”美意識” 

『 眼差しは、愛しさへの憧憬か? 』

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     「武者小路実篤記念館」 入場券より

「仲よきことは 美しき哉」 「君は君 我は我なり されど仲よき」 「人見るもよし 人見ざるもよし 我は咲く也」

一度は見たことがある実篤の句。 

”生命が内に充実するものは美なり” と実篤は語り、一筆一筆心を込めて其の美しさを表現した画家。

古今東西の美術作品に接することを、無類の喜びとしていたと言われ、

日本や中国の古美術を中心に、池大雅の絵画をはじめ、一休や良寛の書に親しみ、多くの画家たちと交際。

全てのものが心の琴線に触れ、心の糧とした生活を楽しんだと言われる。

『 生命賛美の芸術家・実篤記念館 』

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               モダンな 「武者小路記念館」 入口

予てより記念館があるのは知っていたが、所用の為入館する事は無かったが、此の度は尋ねてみた。

武者小路実篤記念館は、晩年の20年を過ごした邸宅の隣接地に開館されたもので、

実篤の原稿や手紙、書や画、著作物をはじめ愛蔵品の美術品などが多く収められている。

休憩室を兼ねた閲覧室では、雑誌「白樺」 を近代文学や美術のほんを読むことも出来、情報システムも設置。

隣接の公園で四季折々の樹々や草花を愛で、散策するのもまた一興かと思われる。

『 和モダンな31坪の瀟洒な住処 』

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               武者小路実篤 「仙川の家」 玄関前

武者小路実篤は、昭和30年 70歳の時に此処・調布市へと移り住んだ。

最寄りの駅が 「仙川駅」 だったので、新居を 「仙川の家」 と呼んだ。

90歳で逝去するまでの20年間を、妻・安子夫人と共に過ごし、多くの作品を残した。

1500坪の敷地に、約31坪の邸宅。 画室には蔵書や作品をはじめ、愛用品が沢山保存されている。

実篤の生前を偲ぶに格好の場であり、是非一度は訪ねたい 「仙川の家」 だった。

『 緑に囲まれた仕事場で・・・』

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            「仙川の家」 実篤仕事部屋 (撮影後、撮影禁止に気付く)

玄関を上がると応接室があり、左には10畳ばかりの仕事部屋がある。

実篤は、午前中に原稿を書き、午後から書画の制作にあたり、訪問客の訪問を楽しんだと言う。

此処では、小さな経机で原稿を書き、大きな座り机でカボチャやジャガイモ、花などを描いたり書を制作した。

どの作品も、独特の作風で多くの人に親しまれている。

机や畳には、原稿の書き損じや画のモチーフとなる陶器や人形、

野菜や花が一杯で足の踏み場もない状態だった。 その面影が今でも伺える実篤の 「仕事場」 である。

『 武者小路実篤の、 ”美意識” と ”表現方法” 』

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      油彩キャンバス 「卓上静物」 S28年作 (パンフより転写)

「文学は言葉だが、画は沈黙の世界だ」 武者小路実篤の言葉。

言葉から解放された世界に存在する、一心になれるものが ”画” であり、それが沈黙の世界と言う事らしい。

言葉を超えた先にある沈黙の世界の中に、大きく心を揺さぶり、かつ共通に理解しあえるものがある。

其処に、”美術の魅力” を見出した。  (引用した文は、記念館学芸員・福島さとみ氏による)

実篤自身の言葉によれば・・・

「僕は夢中に好きになれる画を愛する。愛しないでいられないから愛するのだ。同時に僕は画をかく時も、

材料に驚嘆しながらかく。 馬鈴薯をかく時も、南瓜をかく時も、玉葱をかう時も、その他のものをかく時も、

決してかかれるものを甘く見ない。どうかしてそのものを自分の能力のかぎりをつくして、写生したいと思う。

・・・・・僕は画をかくことは、美の発見であり、また追求であると思っている。

    この世には美がありすぎることを僕は画をかくことで、知ったことを喜んでいるいのである」 と。

『 ”円” と ”球” の違い 』

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             マンホールを配した中庭 (右奥は休憩室)

西洋絵画と日本画とには、表現方法において大きな違いを見る事ができる。

例えば、リンゴを描いても、洋画は立体性を重んじ ”球” で表現するが、日本画では ”円” となる。

洋画の特徴は、”光と影” ”遠近法” が其の基本表現で、日本画は ”平面” と ”べた光線” なのである。

とは言え、基本中の基本は、両者とも ”デッサン力” が要求される。

最も大切な事は、”精神性” ”と表現能力” なのであろうが。

竹内栖鳳の厳しすぎるほどの ”写実性”、村上華岳の崇高な ”精神性” は、日本画の特徴であろう。

現代作家のモダン(?)な作品を眺めていると、画を描く事とは? と疑問を感じるのである。

洋の東西を問わず、時代と共に表現方法は変化する。 伝統の改革なのであるが、

デッサン力も無く、ただただ奇をてらったようにも思えるのである。 私だけが ”そう” 思うのだろうか?

「虎は死して皮を残し 人は死して名を遺す」 とは昔から言われた事だが、

果たして私は、死して何を残せるのか? 「死して残るは、借金だけ」 なんて事にだけはなりたくないが・・・

記念館の中庭で思う事って、「こんなもんなの~?」  (一部、文はパンフより借用) 



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category: 雑感

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